幕間 勘違い 2
何故、綾瀬を利用して自身のノートを取っていたであろう竜之介が、わざわざ綾瀬の分の授業内容まで認めているのだろうか。 分からない。 理解出来ない。
三郎太は我慢ならずに竜之介に訊ねた。 「何でお前が綾瀬の分のノートを取る必要があるんだ」と。 すると答えはすぐに返ってきた。
「んなもん決まっとるやろ。 優紀が俺の友達やからや」
この瞬間、三郎太は自身の思い込みによる甚だしき勘違いを認めた。
この後、三郎太が竜之介から聞いた話はこうだった――
三郎太の起こした優紀の名前誤認騒動より以前、つまり、彼が優紀と竜之介に対し面識が薄かった時分、竜之介は微熱をこじらせて一日だけ学校を休んでいた。 授業の始まって間もなく休んでしまう事は大きな出遅れになるかも知れないが、体調不良には逆らう事が出来ないと、彼は甘んじて学校を休んだ。
次の日、すっかり体調の良くなった竜之介が普段より少し遅めの登校を果たすや否や、優紀が彼の座席へと近寄ってきて「これ、良かったら使って」と竜之介に複数枚のノート用紙のようなものを手渡した。
これは何だろうと、竜之介はそのノート用紙の内容を確認した。 そこには、国語の漢字の書き取り問題があった。 数学の数式があった。 歴史の世界四大文明についての説明文があった。 ――即ち、昨日竜之介が休んでいた日の授業内容全てが、そのノート用紙に書き写されていたのだ。
竜之介はただただ驚いた。 改めてノート用紙を見てみると、要点などが蛍光ペンで色づけされており、誰が見ても分かりやすくまとめられている。 恐らく、このノートの作成にはそれなりの時間を費やしたに違いない。 ことによると優紀の休み時間全てを潰してしまったのかも知れない。
それに、わざわざ手書きで用意しなくとも、コピーを寄越してくれれば十分だったのに――そして竜之介はたまらず優紀に訊ねた。 何故、ここまでしてくれたのか、と。 すると優紀は顔色一つ変えず、はてなと首を傾げながら「友達だからに決まってるでしょ」と、さも当然のように言い切ったという。
「――まぁ、そういう訳でな、高校に入って知り合ぅて友達になって間もない俺の為に優紀がそこまでしてくれたんやから俺もあいつの為におんなじ事したろと思ってな。 でも他人に見せるノート作るいうもんは中々難しいもんやな。 俺はこういうの作った事ないからようわからんわ」
「……ここは、赤か何かで印付けてやってた方がいいんじゃねぇか? その部分、テストに出すかもしれねーって先生も言ってたし」
三郎太は、竜之介が書き記している途中のノート用紙のとある部分に指を差した。
「お、そうか。 ほんだらこれを、こうして――おお、ほんまやな、こら分かりやすいわ。 自分なかなかええ奴やんけ」と言った後、竜之介は三郎太の顔を見上げるように覗き込んだかと思うと、にぃと白い歯を見せつつ破顔した。
「いや、何自分で自分の事褒めてんだよ。 ナルシストかよ」
「アホ、俺の言う『自分』言うのは相手の事や。 お前を褒めとるんやぞ」
「は? いや……ってか、アホとか言うなよ! たいして仲良くもない癖に慣れ慣れしいんだよお前っ」
「ほんだらこれから仲良うなったらええんやろが。 しょうもない事でぐちぐち文句言うなや。 自分が邪魔せん言うんやったら、さっきみたいに優紀のノート作る助言してくれてもええんやで」
三郎太は理解した。 竜之介は人生を達観している訳でもなく、何事にも何者にも興味を持たない訳でもない。 ただ、感情の表し方が途轍もなく下手なのであると。 そのからくりさえ分かってしまえば、今まで三郎太が彼へ向けてきた敵意などは甚だ滑稽なものである。 完全なる勘違いの極みである。 だから三郎太は、竜之介の一切を見直したと共に、彼へ向けていた嫌悪の牙を自身で叩き折った。 彼はようやく、竜之介という存在を自身の中に認めたのである。
「あーもう分かったよっ! そんなに言うんなら手伝ってやるよ。 ――俺は、鈴木三郎太だ」
「神竜之介や。 にしてもお前の名前おもろいけど呼びにくいから『サブ』にするわ。 これから頼むでサブ」
「はぁ?! お前それはあまりにもいきなりフレンドリー過ぎんだろ! あー何かお前と喋ってると色々調子狂うわ……。 んじゃ俺もお前の事『リュウ』って呼ぶからな! 文句言うなよ!」
「おう、好きなように呼べや。 んで早速ここなんやけど、やっぱりここも色使うた方がええやろか――」
かくして二人の仲は、優紀が登校する頃には水魚の交わりとなっていた。
そして三郎太は事ある毎にこう思う。 優紀の献身さが竜之介の心を動かしていなければ、俺は竜之介の事をずっと嫌ってしまっていたかも知れないと。 その度に彼は、優紀に対して感謝の意を心に思い巡らせる。
自身の行動ばかりが自分の人生を彩る訳では無い。 誰の選択や行動の結果が誰の人生を彩るかなど、誰にも分からない。 人生とは、そういうものである。




