第二十七話 終着駅でさようなら 5
理由はあれど長年維持してきた髪形を変えた事といい、先の発言といい、古谷さんは完全に自分を変えようとしている。 そして、その変革のきっかけを作ってしまったのは、恐らく僕だろう。
古谷さんが僕の事を好いているという事実は今さら更新するまでもない情報だけれど、まさか彼女がそこまで本気で僕の事を想っているとは、正直思わなかった。 今の彼女は、僕には眩し過ぎる。 だから僕は、彼女からあからさまに目を逸らしてしまった。
古谷さんは、本当に強い女性だ。 僕の苦悩とは種類がまるで違うとはいえ、彼女は自らの弱点を知った上でそれを克服しようと前を向き、前進し続けている。 なのに僕の方はどうだ。 男の容を手に入れると誓い、玲さんに助言や助力を受けながらこれまでの数ヶ月間を過ごしてきた訳だけれど、僕は何か一つでも男として成果を上げられただろうか? いや、成果などは無かったはずだ。 何故なら、これまでの月日において、僕が男らしい行動を出来た記憶が何一つ無かったからだ。
玲さんに口付けを迫られた時もそうだ。 体育大会で連敗を喫した時に古谷さんに元気付けられた時もそうだ。 あの時の僕の何処に男としての魅力があったと言うんだ。 まるで逆さまだ。 あの時の僕はまったく私だった。 最早それを僕が否定する事すら烏滸がましい。
果たして、未だに自分で自分の『男』も碌に認められない体たらくな僕が、今の彼女の真っ直ぐな気持ちに応えてあげられるのだろうか。 それは僕にとって、限りなく難しい問題のように思われた。
「古谷さんは、強いね。 もし僕が古谷さんと同じ立場だったら、多分僕は古谷さんのようには強くなれないよ。 きっと僕は悩みを抱いたまま、膝を抱えて縮こまる事しか出来そうにないよ」
僕はすっかり、弱気の虫に巣食われていた。 まだ花火大会の会場にすら到着していないというのに、この調子では古谷さんにまで悪影響を及ぼしてしまいそうだ。
「……先に謝っておきますね。 ごめんなさいっ」
「え? ――痛っ!」
何の脈絡も無く何を言い出したのかと思った矢先、古谷さんは軽い握り拳を僕の額付近に持ってきたかと思うと、親指で押さえていた人差し指を弾いて、僕の額に当ててきた。 彼女の放ったいわゆるでこピンは、思いのほか痛かった。 それから古谷さんは僕の顔を真っすぐ見据え、
「何弱気な事言ってるんですかユキくん。 誰のおかげで私がここまで変われたと思ってるんですか」と真面目な顔をして僕を問い詰めてきた。
「それは、古谷さん自身の力なんじゃないかな」
相も変わらずの自信無き声色で僕はそう答えた。 しかし彼女は迷い無くかぶりを振って、
「私が自分を変えようと思えたのは、ユキくんのお陰ですよ」と微笑みながらそう言い切った。 僕は何も言葉が出てこなかった。
「ユキくんは、自分が思ってる以上に誰かに影響を与えてると思いますよ」
古谷さんはそのまま話を続けている。
「まさか、買いかぶりすぎだよ」
咄嗟に出た僕の謙遜を聞いても、彼女はまた迷いなくかぶりを振った。
「三郎太くんが前にこう言ってたんです。 ユキくんと知り合ってなかったら自分は神くんとは友達になってなかっただろう。 って」
「三郎太が、そんな事言ってたの?」
「はい」彼女の顔付きを見る限り、その話は嘘でも冗談でも無いらしかった。
確かに、僕が高校で一番最初に仲良くなったのは竜之介だ。 入学式を終えた次の日、僕が駅から歩いて登校していると、竜之介の方から僕に声を掛けてきた。 その時はまだお互いの名前すらも曖昧だったから、僕は改めてその場で竜之介と自己紹介を交わし、顔見知りとなった。
それから彼とは通学途中の電車内で世間話を繰り広げる仲となり、気が付けば僕は竜之介とすっかり友達になっていた。 この時、僕と竜之介はまだ三郎太とはほとんど面識が無かった。 それから一週間も経たない内に三郎太の引き起こした、僕の名前誤認騒動によって僕と竜之介は三郎太という人物を知る事となった。
その騒動以来、三郎太が何かと僕に付き纏うようになってきたのは覚えている。 僕は僕で、やけに馴れ馴れしい人だなという、あまり快くない心持を彼に抱いていた事も良く覚えている。 けれども、あの頃の三郎太と竜之介が互いにどういう態度を取っていたのかは、あまりはっきりとは思い出せない。
ただ、一つだけ分かっている事はある。 あの頃の二人の仲が今ほど友好的では無かったという事だ。 ――先の古谷さんの口から語られた三郎太の竜之介に対する思いは、その辺りに関係しているのかも知れない。 しかし、それにしたって解せない点があるのも確かだった。
「でも、今の三郎太と竜之介の仲を見る限り、例え僕が間にいなかったとしても、いずれ三郎太は竜之介と友達になってた気もするんだけど」
元々あの二人の波長は似ていた。 むしろ、彼らの環の中に僕というまるで波長の違う人間がいる事の方がよっぽど奇妙極まりないのだ。 だから、たとえ彼らの間に僕が介在しなくとも、彼らが親しい友好関係を結ぶ事は最早必定であり、時間の問題だったと断言しても良いぐらいである。
「それがそうでも無かったらしいですよ。 三郎太くん、神くんと出会ったばかりの頃は神くんの事をあまりよく思ってなかったみたいなんです」
しかし古谷さんが僕に告げたのは、僕の確信とは真逆の真実だった。




