第二十六話 その瞳から見えるもの 1
「――え、ほんとにいいの?」
「うん、もう決めたから」
登校日を終えて帰宅した私は、昼食を終えた後、姉に髪を切ってもらうようお願いし、洗面所で姉と一緒に理髪の段取りをしていた。
私は小学校の時分から姉に理髪を任せている。 何故そうするようになったのかと言うと、まったく姉の思いつきに他ならない。
"私も美容師さんみたいに髪を切ってみたい――" 当時中学生だった姉が、突然そう言い出したのが全ての始まりである――
何でも中学生になって初めて美容院で髪を切ってもらった際に、美容師さんの手際の良さに一目惚れしてしまったらしく、それからというもの、姉は親に「誰かの髪を切ってみたい」と何度も何度も注文していた。 姉は一度こうなると、目的が達成されるまで決して我を折らない。 つまり、誰かの髪を切るまで、姉は「髪が切りたい」と言い続けるという事だ。
両親は困っていた。 いくら子供の頼みだからと言っても、社会人として働いている父の髪の毛を滅茶苦茶にされたら堪ったものじゃないし、髪は女の命とも言われているくらいだから母の髪の毛は尚更切らせる訳にはいかず、ではどうすれば姉を納得させられるだろうと悩みに悩んだ挙句、苦汁の案として両親が姉に差し出したのが、当時小学一年生だった私だ。
その頃の私の髪は母に切ってもらっていたから理髪代も掛かっておらず、また年も幼いから多少失敗しても「こういう髪型だから」と簡単に丸め込めるので、両親からしてみれば私は姉の渇望を満たすのに最適の相手だったのだ。
程よく私の髪も伸びていたという事で、程なく姉の初理髪は母監修の元行われた――けれど、まるでど素人の姉の理髪の腕などに期待出来る筈もなく、私の頭は絵に書いた如く、見事なまでに水平に切り揃えられたおかっぱ頭になってしまった。
いくら私が幼かったからと言っても、当時の私には僅かながらも美的感覚が備わりつつあったから、以前とは変わり果てた自身の髪型を見て、私は泣き喚いた。
さすがに私に悪いと思ったのか(母の手前だからという事もあるだろうけれど)、普段はちょっかいを掛けて私を泣かせても知らん振りを決め込む姉も、この時ばかりは素直に謝ってきた。
それから私の髪が伸びてきた頃、姉は再び「髪を切らせて」と私に依頼してきた。 どうやら今回は以前の失敗を踏まえて自分なりに理髪の研究をしてきたらしく、その上で母の監修無しでやりたいと言ってくる。 でも、前回の出来があれだったから、私は「いやだ」と顔を横に振って頑なに姉の理髪を拒否した。
すると姉は「もし切らせてくれたら、私のお小遣いで千佳の好きなペンギンのチョコを内緒で買ってきてあげる」と物で私を釣ろうとしてきた。 今なら物でなど釣られない自信があるけれど、小学生低学年の意思など薄弱なものだから、自分の好きなモノを餌にされたら簡単に釣り上げられてしまうのだ。
勿論私も例外じゃない。 かくして私は姉の理髪の腕の酷いのを承知しながらも、お菓子という誘惑に釣られて、再度姉に頭を差し出してしまったのだ。
そして結果は――研究してきたというだけあって、以前よりは遥かに上達はしていたけれど、やはり左右のバランスが崩れていたり、所々で例のおかっぱが出来上がっていたりして、理容師と呼ぶには程遠い腕前だった。
前回に比べるとそれらしいヘアスタイルにはなっていたので、私は以前のようには泣き喚かなかった。 けれど、三面鏡の前で首を振る度に見えてくる粗の数々を目の当たりにすると、やはり満足は出来なかった。
姉も姉で理髪の出来に納得が行かなかったらしく、姉らしからぬ落ち込んだ態度で「また失敗しちゃった、ごめん」と謝ってきた。 その上で「次、千佳の髪が伸びた時、もう一回だけ切らせてくれない? それで失敗したらもう髪を切りたいなんて言わないよ」と三度目の正直を後ろ盾に、あと一度だけチャンスをくれと私に懇願してきた。
二回目でここまで上達したのだから、もしかすると三回目には化けるかも知れないと勘繰った私は「またお菓子買ってくれたら切ってもいいよ」と姉からの最後の挑戦を受け入れた。 すると姉は「絶対千佳の納得の行く出来にして見せるから!」と力強くそう言い切った。 次で最後になるかも知れないのに、何故か姉は妙に楽しそうだった。
それから二ヶ月後。 いよいよその日はやってきた。 例の如く洗面所で理髪用ケープを付けられた私は、姉の理髪準備が終わるまで鏡に映る自分とにらめっこをしていた。 間もなく姉の準備が終わり、髪を切られる前に私は姉に訊ねられた。 「どんな髪型が良い?」と。
前々回、前回と、私の注文など聞く事も無く私の髪を切り始めた姉が、まるでいっぱしの理容師みたいな事を言ってきたものだから、私もつい「ここは長めに残して」とか「前髪ぱっつんは止めて」とか、様々な注文を遠慮なく申しつけた。
そうして私からの注文を受けた姉は「うん、わかった」と注文を承った後、以前は使用していなかったヘアクリップを使って、前頭部、頭頂部、両サイド、後頭部の四ブロックに私の髪を分けとった。 この時点で私は、本当に理容師に理髪されているみたいだとわくわくしていた。 それから姉は、理髪に取り掛かった。
ちょき、ちょき、と姉は私の髪に迷い無くはさみを入れていく。 今回は髪がヘアクリップによって分けとられているので、今のところどれ程の短さになっているのかは私には分からない。 けれど、ぱさぱさとケープに落ちてゆく髪の毛の量を見ていると、また切られ過ぎているのではと心配になってくる。
でも、依然姉の手に迷いは見られない。 こうなればもう姉の手腕に任せるしか無いと思い、私は一切の心配を捨て去り、私の髪の未来を姉に委ねた。




