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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第三部 変わる人々、変わらぬ心
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第二十五話 気付いてしまった気持ち 2

 テーブルを叩いた衝撃で、私に対し真っ直ぐに置いていたスマートフォンが斜めに傾いた。 加えて右手にじんじんと若干の痛みが走り出す。 私はその痛みをまぎらわすかのよう、更に右手の拳を力強くぎゅっと握り締めた。 そうして私は改めて、先の醜穢しゅうわいな答えを私の前に突き出した。


 あの時私は彼にキスをされたかった。 それは即ち、私は彼に好意を抱いているという事。 ありえない。 ――いいえ、あってはならない不義だ。 

 私はあの時、彼の本質を知ってしまったあの時、出来る限りの助力を以って、彼の男を目指す暗澹あんたんな道を照らしてやると心に決めた。その心の出所は、善意でも偽善でもなく、私の過去に犯した過ちに対する贖罪しょくざいの念から生まれたものである。


 犯してしまった罪というものは、罪責感というくさびに形を変え、永遠にその人の心に刺さり続ける。 罪に対する後悔が大きければ大きいほどに、楔の与える苦痛は増してゆく。 そして、私にも一本だけ刺さっている。 どれだけ贖罪を重ねようとも一生抜く事の叶わない、いびつでどす黒い楔が。


 ただ私は、その痛みを綺麗さっぱり消してしまおうなどとは微塵も思っていない。 むしろその痛みを受け続ける事こそが、私の犯した過ちに対する最大の償いだとさえ思っている。 かと言って、痛みというものは大きければ大きいほど耐え難いものであるから、どうしても痛みに耐えられなくなってしまった時、私は贖罪という姑息な麻酔に手を付けてしまう。 それが、私が彼を手助けしている最大の理由でもある。


 彼の相談役として彼と向き合っている時、私は罪の痛みから逃れる事が出来る。

 痛みを受け入れる事が償いだなんて格好良い事は言ってしまったけれど、痛みに耐え続けられる人間など、この世には居やしない。 いくら苦痛を受け入れる事が私の償いだったとしても、私は激痛をともなう度、その痛みに耐えられなくなって、心の中で罪に対し許しを乞うてしまう。 それが、人として許されざるべき罪を背負う者の罰であったとしても、だ。


 浅はかでもいい、身勝手で自分本位な人間だとののしられようとも構わない。 信念さえも簡単に捻じ曲げられてしまうほどに、罪の痛みというものは耐え難き苦痛なのである。 故に私は痛みを恐れている。 故に私は彼の苦悩を利用して贖罪を続けている。 ただ、彼の未来がどうなろうと構わないという訳では無い。


 彼の本当に望むべき未来――即ち、彼が自信を持って自身の事を『男』だと主張出来る日が来るのを私は心から待ち望んでいるし、その結果として最終的に古谷という子と結ばれれば私としてもこの上ない幸いだと考えている。


 しかし、どれほど綺麗事を並べたとしても、私のやっている事は彼の苦悩を利用した己の耐え難き苦痛からの逃避である事に変わりは無い。 その点で言えば、私のやっている事は世間一般でいうところの、いわゆる偽善に違いないだろう。 けれど、悟られさえしなければ、善を受け取る側にとっての偽善とは、善意と遜色ないのである。


 恐らく彼もこれまでに一度くらいは、何故私がこれほどまでに自分の力になってくれるのだろうと疑心を抱いた事もある筈だけれど、その疑心を払拭ふっしょくする為にあえて私は彼を容赦なく突き放す事がある。 近々で言えば、球技大会の時に古谷という子が怪我をした際、救護班であった私と行動を共にしようとした彼を一喝したのがそれ(・・)である。


 私は彼の本質を知ってはいるけれど、知っているからこそ私は彼を特別扱いして変に味方するような真似はしない。 それは彼の為でもあり、私の為でもある。

 私が一方的に彼を肯定し味方し続けていれば、彼はきっと私に依存してしまう。 彼と知り合って間もなくの頃にはその片鱗も見え隠れしていたから、その片鱗が見える度に私は彼に水を差し、一定の温度を保たせ続けていた。


 一方で私の為というのは、私が彼に肩入れし過ぎて、万が一にも彼に対し好意を抱いてしまわない為である。 彼と同様、私も私自身を律し続け、一定の温度を保ち続けていたのだ。

 そうして熱過ぎず冷た過ぎず、寄せては返すを繰り返す私と彼との関係は、言うなれば平行線のようなものだ。


 線同士の距離はそれほど遠くはないけれど、平行線である以上、二つの線は交わらず、接点が生まれる事もなく、付かず離れずの距離を保ちながら、どこまでも平行に進んでゆく。 だけれど、何かの拍子にどちらかの線が、もう一方の線へ向けてわずかでも傾いてしまったらどうなるか。


 たったの1°(いちど)でも傾いてしまえば、いずれその平行線は必ずどこかで交差する。 そして私の線は今まさに、彼の線へ向かって傾こうとしているのだ。

 ただの一度いちどでもその傾きを許してしまえば、二度と角度の修正は叶わない。 もしそうなってしまったが最後、あとは彼目掛けて進んでゆく私の線を止める事も出来ずに、私は彼との交点を作ってしまうだろう。


 従って私は、何としてもその傾きを阻止せねばならなかった。 私と彼の関係は、いつまでも平行線で有り続けなければならない。 何かの間違いでその線が交わってしまえば、私はもう、彼と今の距離を保てなくなってしまう。

 それは同時に、彼を一人真っ暗闇の迷路に置き去りにするも同然の行為なのだ。

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