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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第三部 変わる人々、変わらぬ心
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第二十四話 登校日 6

 平塚さんとは道中の分かれ道で別れた。 それから僕と古谷さんが二人で駅へと向かっていると、東方面行の電車が駅を出発したのが見えた。 まもなく駅舎に辿り着いて時刻表を確認してみると、僕の乗る電車は十分後、古谷さんの乗る電車は十二分後に到着予定だったから、駅のホームに設置されているベンチで次の電車を待つ事にした。


 先程出発した電車に大半の生徒が乗り込んでいたであろう事と、十時過ぎという中途半端な時間ともあって、僕達の周りには人影一つ無かった。 ふと辺りを見回しても人っ子一人居なかったものだから、まるでこの世界に僕と古谷さんの二人だけが存在しているかのような錯覚さえ覚えた。


「――それで、朝起きてから昼まで結局一回も勉強しなかったんですよ真衣って。 こんな調子のまま、あと二週間で全部の宿題が終わるのか心配で心配で」


 電車が来るまでの間、僕は古谷さんが平塚さん宅へ泊まりに行っていた時の話の続きを聞いていた。


「でも、これから頑張るみたいな事も言ってたし、いざとなれば古谷先生(・・)がいるから大丈夫でしょ」

「ちょっと、ユキくんまで真衣みたいな事言わないで下さいよっ」


 古谷さんにしては珍しく、僕に対して口を尖らせながら、ちょっと困った態度を取っている。 その態度があまりにも珍しかったものだから、僕はつい失笑をこぼしてしまった。


「なっ、何で笑うんですかユキくんっ!」

「いや、ごめん。 古谷さんが僕に突っかかってきたのが珍しかったからつい。 ふふっ」

 一度ツボに入ってしまうと、中々自分では笑いを止められないものだ。


「また笑ってる! そんなに笑わないで下さいよ何だか恥ずかしいじゃないですかっ」

「いやほんとごめん、でも……ふふふっ」

 平塚さんがよく古谷さんをからかってにやにやしていた理由が何となく理解出来たような気がする。


「もぉっ、ユキくんってば」


 古谷さんのこうした一面を見れたのも、今日の登校日のお陰だろう。 あの早起きが三文の得に繋がったかと言われると怪しいところだけれども、心持の良い時は多少のこじつけでも良い方向に思い込んだ方が物事がうまく行きそうな気がするから、今日起こった良い事は、今日の早起きのお陰としておこう。


 それから、いささかからかいが過ぎて損ねてしまった古谷さんの機嫌をうかがいつつ、僕はまた彼女との二人きりの世界をしばらく堪能していた。 そうして、ふと上り方面へ視線を向けると、電車がやってくるのが見えた。 あれが僕の乗る電車だ。


「あ、電車、来ちゃいましたね」

「うん、来ちゃったね」


 二人して同じ調子で僕の乗る電車の来たのを確認した後、僕達はこのわずかな時間がもっと続けばいいと願っていたのであろう事に気が付いた。 僕の例の感覚が古谷さんにも備わっていたのだろうかと思うと、その感覚を彼女と今まさに共有していたのかと思うと、また一段と僕の男のかたちの輪郭が濃くなってきたようで、たまらなく嬉しくなった。


 電車は定刻通り、間もなくこの駅に到着する。 口惜しささえ感じてしまうほどに、僕は改めてこの時間が一秒でも永く続けば良いと心に願った。

 しかし、時に正確性とは非情なものである。 僕の乗る電車が駅へ止まる事は即ち、僕と古谷さんとの二人きりの世界が終わりを迎えるという事だ。


 あまりにも正確過ぎるが故、数秒の狂いも無く、あの電車はこの駅に停車し、まるではばかりも無く二人の世界を壊すだろう。 普段は正確性にたのんで利用している電車だけれども、今日だけは生真面目の過ぎた運行図表ダイヤグラムを恨んだ。


「いよいよ、来週ですね」電車の到着する間際、ぼそと古谷さんが呟いた。

「うん。 まだまだ先だと思ってたけど、案外早かったね」

 最早内容を言わなくとも、僕達は既に来週末に行われる夏休み最後の一大イベントを把握していた。


「詳しい待ち合わせ時間は来週の土曜までには連絡しますね。 多分、夕方くらいに現地に着く時間になると思いますけど」


「わかった。 それじゃ来週、楽しみにしてるよ」と言いながら僕は立ち上がり、停車寸前の電車に向かって歩き始めた。


「はい、私も楽しみにしてます」

 古谷さんもその場で立ち上がった。 どうやら僕を見送ってくれるらしい。


 そうして電車が停車した。 数人降りてくるのを待ってから、僕は電車へ乗り込んだ。 ドアが閉まるまでの数秒間のあいだ、僕と古谷さんは何も言わずただ見つめ合っていて、彼女がにこりと微笑んだのを見計らうかのよう閉じたドアは、僕と彼女との世界を完全に遮断した。


 間もなく電車は出発した。 僕は古谷さんが見えなくなってしまうまでの間ずっと、まばたきもせずに彼女の姿を瞳に映していた。 彼女もきっと、僕の乗った電車が見えなくなるまで僕を見送ってくれている。 確信的にそう思えたのは、あの僅かな時間のあいだに彼女との距離が一層縮まったからに違いない。


 電車の速度によって彼女との物質的な距離は離れる一方だけれども、心の距離は電車が速度を増していくに比例してだんだんと接近している気がする。 最早愛おしささえ芽生えそうでもある。

 ああ、来週が待ち遠しい。 今の僕にとって待つという行為は牢獄に入れられるも同然の苦悶であった。

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