第二十四話 登校日 5
「手っ取り早く説明する為に私の数学のプリントを机の上に出したままにしてたのも悪かったんですけど、答えを写したって何の為にもならないって私が再三言ったのにこれですよ? ひどくないですかっ?!」
古谷さんはついと歩を止めて、全貌を語り終えた後もなお興奮の冷め切らない口吻で、平塚さんの行為は褒められるものではないだろうと僕に訴えてくる。
「待って待って千佳っ。 確かに千佳の答えを写したのはホントだけど、何も全部丸写しした訳じゃないからね? 三問に一問はちゃんと自分で解いたんだからそこの努力は認めてくれないと! ねっ、綾瀬くんっ?」
一方平塚さんも足を止め、解答を写した事を素直に認めつつも、全てを丸写ししたのではなく、一定の問題は自身の力で解いたのだから、その努力は認められて然るべきだと僕に主張してくる。
そうして二人して対立した意見を僕に明示してきたものだから、僕はどちらの味方をすればいいのだろうと弱ってしまった。 わざわざ足を止めてまで僕の意見を聞こうとしているのだから、生半可に仲介したところで火に油を注ぐようなものだろう。 だから僕は僕なりに二人の言い分を受け止め、判決を下さなければならない。
徳義上の過ちを犯したのが平塚さんである事は間違いないから、発言の正当性が真に認められる古谷さんに与するのは容易い。 けれども、僕までもが平塚さんのささやかな努力を認めないままに古谷さんと同様の否定を呈してしまっては、今後の彼女の勉強意欲に悪影響を及ぼしかねない。
しかしだからと言って、必要以上に平塚さんの肩を持つ訳にも行かない。 ここで僕が彼女の肩を持ってしまえば、僕は彼女の徳義上の過ちを黙認してしまう事となる。 それは、平塚さんを未来の愚か者に仕立て上げるも同然の行為であるから、それだけは何としても避けねばならない。
「……確かに、本来は自分で終わらせなきゃならない苦労を、誰かの苦労を無断で使って終わらせたのは良くなかったと思うよ」
「ですよね! ほら真衣、ユキくんもこう言ってるんだからしっかり反省して――」
「――でも、平塚さんも全部の解答を丸写しするのは後ろめたいと思ってたからこそ、三問に一問は自分で解いてたんでしょ? その思いの出所は多分、古谷さんに問題の解き方を教えてもらってた手前、古谷さんの親切を無駄にしたくなかったからじゃないかな。 だから古谷さんも、平塚さんなりの努力は認めてあげるべきだと思うけどね」
結局僕は、どっちつかずの両成敗に近い判決を下してしまった。 いくら僕の立場的にどちら側にも与し難かったとはいえ、これでは八方美人も良いところだ。
「そう、ですね。 真衣なりに頑張ってたのは確かですし、そこは認めてあげないとちょっと可哀想ですね。 ……真衣、ちょっと言い過ぎたよ、ごめんね」
「ううん、私も千佳に黙って答え写しちゃったのは悪いと思ってるし、これからは千佳のお許しを貰ってから写す事にするよ」
「うんうん――って、反省するのはそこじゃないでしょ! もぉ真衣ったら。 そんな事しなくても解らない所があれば私が教えてあげるからもっと頑張ろうよ。 今日先生も言ってたでしょ? 今を苦労しない人に将来の楽は訪れないって」
「んじゃ、始業式までにまた私の家に泊まりに来て勉強教えてくれる? 千佳はもう宿題終わってるし、ゲームしててもいいからさ」
「私だけそんな事してたら絶対真衣もウズウズしてやりたくなっちゃうでしょ? ぱぱっと宿題終わらせて、二人で遊ぼうよ」
「そうだねっ。 次のお泊り会までに自分で終わらせられる所まで終わらせとくから、もしかしたら千佳先生の出番は無いかもね」
「だといいけど」と呆れ笑いを浮かべている古谷さんと「私もやれば出来る子だから!」と、いつぞやの三郎太みたような事を言っている平塚さんを見るに、どうやら二人の些細な蟠りは解消したように思われる。 僕の判決は間違いではなかったらしい。 あわや一触即発の雰囲気もすっかり解れ、僕達はまた歩を再開した。
すると歩き始めて間もなく平塚さんが「でも綾瀬くんも人が良いよね」と笑みを浮かべながら僕の顔を眺めてそう言ってきたから、「そうかな」と僕が曖昧な返答をしていると、彼女はまた口を開いて、
「そうだよ。 私を悪者にして千佳の味方をしてれば良かったのに、千佳の意見を受け入れつつ私の肩まで持ってくれるなんて」と、えらく僕を評価してくれている。
「そうですよユキくん。 ちょっと甘すぎですよ。 真衣なんて甘やかしても何も良い事ないですって」
一方古谷さんは僕の八方美人を『甘い』と評し、ここに来て僕の判決の正しさが揺らぎ始めてしまった。
「それは分かんないよ? もしかしたら私の好感度を上げて、千佳から私に乗り換えるつもりなのかも知れないし」
平塚さんはまた古谷さんが困惑しそうな事を平然と述べている。 彼女のこういう本気か冗談か分からない発言をする性質は、やはりどことなく三郎太に似ている気がする。
「なっ?! 何いい加減な事言ってるの真衣っ! ユキくんがそんな事する訳ないでしょ!」
案の定古谷さんはひどく動揺している。
「へぇー。 『ユキくんは私に夢中だから他の女の子になんて目もくれない』って事? 言うねぇ千佳」
平塚さんは平塚さんで挑発的な口ぶりで古谷さんを翻弄しながら、彼女のまごついた反応を見てにやけている。
「違うってば! どう解釈したらそんな飛躍した答えが出てくる訳?! 私が言いたかったのはユキくんがそんな下心を持って女の子と接する訳が無いって言いたかっただけで――」
「だからそれは綾瀬くんじゃないと分かんないって。 で、そこんとこどうなの? 綾瀬くんっ」
すっかり狼狽している古谷さんの反応を悪戯っぽくにやにやと眺めた後、同じ調子で僕の顔を見てきた平塚さんへの返答には、すっかり困ってしまった。
こういう時『男』ならばどう切り返すのだろうと思考を巡りに巡らせたけれど、結局正解など見つかる筈もなく、僕は「古谷さんの言う通り、そういう下心が無かったのだけは確かだけど」と平塚さんの言うところの乗り換えを無難に否定しつつ『それは違う、僕の意中の相手は古谷さんだけだ』と断言出来なかった自身の意気地の無さを胸中で嘆いた。
その後平塚さんは「うわー、綾瀬くんから直々にフラれちゃったよ~。 ショックー」などと冗談めいた口調で言いながら古谷さんに合わせていた歩調を崩し、その後方を歩いていた僕に歩調を合わせてきたと思うと、僕の耳元に顔を近づけてきて「私の事なんて良いから今度は千佳の味方してあげなよ」と囁いてきた。
先頭を歩いていた古谷さんとはそれほど距離が離れておらず、今下手に返答すれば彼女に気付かれてしまうかも知れないと思ったから、僕は平塚さんと目を合わせたあと一度だけ頷いた。 すると平塚さんは小声で「頑張れっ」と言いつつ僕の背中をポンっと一度だけ叩いてから駆け足気味に僕の横を去り、再び古谷さんと歩調を合わせ始めた。
"頑張れ――" その励ましの言葉を胸に抱きながら、僅かに背中に残った平塚さんの手の感覚を感じつつ、この努力がいつか報われる事を信じ、僕は古谷さんの小柄な背中を瞳に映じながら歩を進めた。




