第二十四話 登校日 3
「あれ、神くん先に帰っちゃうんですね。 今日はてっきり駅まで一緒に帰るものだと思ってましたけど」
教室から去ってゆく竜之介の背中を見送りながら、古谷さんがそう言った。
「あぁ、今日これから三郎太と一緒にまた例の温泉に行くみたいなんだ」
「そうだったんですか。 でもユキくんは誘われなかったんですか?」
「ううん、僕も誘われたんだけど」と言った後、僕は今朝の出来事を古谷さんに話してから、一日に何度も風呂へ入るのは身体に良くないという理由で誘いを断ったと説明した。
「なるほど、どうりで今日のユキくんは朝から良い匂いがしてたんですね」
思いがけず古谷さんに僕の体の匂いの話をされたものだから、僕は「そんなに匂いしてたかな」と、腕や服の匂いを嗅いでみた。 けれど、僕が嗅いでもそれらしい匂いは全くしなかった。
「うーん、やっぱり自分じゃ自分の匂いってわからないものだね」
「自分の匂いって、普段から嗅いでるから判別しづらいっていいますもんね。
――うん、やっぱりまだボディソープの良い匂いがしますよ」
古谷さんは突然僕の胸元辺りに鼻を近づけて、すんすんと僕から発せられているであろう匂いを嗅いだ後、その匂いの感想を語った。 彼女のあまりの卒然で大胆な行動に、僕は覚えず目をぱちくりさせながら息を呑んでしまった。
「なーに教室でイチャついてんの二人ともー」
そうして僕達の間に入ってきたのは、鞄を肩に下げた平塚さんだった。
「いや違うからっ! ユキくんが良い匂いだったのを確かめてただけだからっ!」
古谷さんは今になって自身の行動の正当性について熱弁を振るっている。 先程のあれが本当にそうした理由による行動だったというのならば、彼女の大胆な行為を変に意識していたのは僕だけだったという事で、何だか無性に照れ臭くなってきた。 そうした僕の照れを知ってか知らずか、平塚さんは僕の方をじっと見つめてくる。 それから「ふーん、綾瀬くんってそんなに良い匂いするの?」と首を傾げながら平塚さんがそう言ったかと思うと、古谷さんに続いて今度は彼女が僕の体に顔を近づけて、すんすんと匂いを嗅いできた。
こうも立て続けに女性に顔を近づけられた上で自身の体の匂いを嗅がれてしまうと、そうする目的が明言されているといえども恥ずかしい事に変わりはなく、照れ臭さが一層募ると共に、僕はすっかり二人への対応に困ってしまった。
「あ、ほんとだー。 朝からお風呂でも入ってきたみたいな石鹸の匂いだね」
まさにその通りだと、僕は古谷さんに続いて平塚さんにも僕の早朝の出来事を簡略に説明すると、平塚さんは数度首肯した後「だからそんなに良い匂いがしてた訳だ」と、先の古谷さん見たような納得の仕方をしていた。
それからしばらく匂いについての話題で話に花を咲かせた後、そろそろ帰ろうかという話になって、僕達は教室を出た。
道は外れてしまうけれど、駅へ向かう途中までは平塚さんも一緒に帰るという事になって、僕達は下駄箱で上履きから靴に履き替えていた。 すると、靴を履き終えた直後に僕のスマートフォンが振動を来した。 誰からの着信だろうと確認してみると、それは玲さんからのSNS宛のメッセージだった。
[今日の登校日思ったより早めに終わったし、もし暇してたら遊びに来る?アイスもあるよ]
彼女から宛てられたメッセージは以上の内容だった。 スマートフォンで時刻を確認すると今は十時前。 中間、期末考査テスト実施時よりも一時間ほど早い下校であり、一学期の最後に玲さんの家を訪れたのが約一ヶ月前という事と古谷さんとの花火大会を目前に控えている身として、彼女との有意義な対話に耽って僕の男の容に更なる輪郭を与えるのも悪くは無いだろう。
僕は特に迷う事も無く[いいですよ、今から行きます]という文章を作成してから、それを送信――しようとした親指は何故か直前で戸惑いを見せた後、その指は文章消去の為の×マークへと向かい、送ろうとしていた文章の一切を消し去った。
そうして僕がスマートフォンを操作しているうちに「あれ、綾瀬くん何してるの? 忘れ物?」と平塚さんが男子用下駄箱の方へ顔を出してきて、僕の出遅れたのを心配してきた。
「いや、ちょっとメッセが入ってたから確認してただけだよ。 待たせてごめん」
結局僕は玲さんの誘いに対し承諾か拒否かも示さぬまま、三人で駅までの道のりを歩み始めてしまった。




