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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第三部 変わる人々、変わらぬ心
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第二十三話 それぞれの思い 5

 夏休みも早や四週目。 来週の土曜はいよいよ古谷さんと花火大会へ出かける日だ。 そして今日はお盆の日で、仕事の都合により市外でそれぞれ一人暮らしをしている兄達が先日の夕方から帰省していた。


 兄達は盆や正月ぐらいにしか実家へ帰省せず、年に数度しか会えない事もあって、父母は勿論の事、兄弟関係である僕も、毎度兄達の帰省を心待ちにしていた。 だから先日の夕方から僕と両親は兄達との空白の時間を埋め合わせるよう、彼らとの談話に花を咲かせ続けていた。 兄達の土産話はどれもこれも面白いものばかりだったから、また正月には帰ってくると約束して実家を去っていた兄達の次回の帰省が今から楽しみでもある。


 それから兄達を送り出し、ここ二日ほど絶えず騒がしかった我が家には平生へいぜいの平穏が訪れた。 そうしてその日の夕食時、母が「優紀もいつかはあの子達みたいに家を出て行っちゃうかも知れないのよね」と、僕のいずれ家を出るかもしれない未来を心配してきた。


 まるで明日にでも僕が兄達の様に一人暮らしをするかのような母の口吻こうふんに、父が横合いから「優紀が高校を卒業するまでまだ二年以上あるんだから、今から心配したって仕方ないだろう」と行き過ぎた取り越し苦労など止めておけと母に忠告している。


 母は母で「そうだけど、ねぇ」と曖昧な返事をした後、手を軽く頬に当てながら溜息を付いている。 この母の子に対する親心は表面だけ見ればただの過保護と映じてしまうかも知れないけれど、僕はそうした母の心情が分からないでも無かった。


 ――兄達は二人とも大学へは行かず、高校を卒業後に就職しており、就職先はそれぞれ異なっているけれど、二人して勤務先が自宅から一時間以上掛かるという事もあって、六つ違いの長兄は僕が小学校を卒業前に、四つ違いの次兄は僕が中学生の時に家を出て、一人暮らしをしている。


 僕は昔から兄達の事を敬愛しており、物心付いた頃から家の中では絶えずどちらかの兄に引っ付いて回っていたから、長兄が就職の為に家を出る事が決まった時は、両親と両兄を大いに困窮こんきゅうさせてしまうほどに号泣してしまった事を今でもよく覚えている。


 次兄の家を出る事が決まった時には、それこそ長兄の時のよう号泣はしなかったけれど、次兄が家を出た次の日、学校から帰ってくるなり次兄の部屋を覗いて見ると、すっかり整理されてがらんと片付いた部屋が僕の目に映った。


 次兄は昔から片付けが嫌いで、部屋を散らかしてはよく親に叱られていた。 それだけ怒られていたにもかかわらず次兄は次の日にはまた同じ事を繰り返し、僕が次兄の部屋に遊びに行く時にはいつも足の踏み場が無いほどに、物という物があちらこちらに散乱している始末だった。


 しかし、その時僕が見た次兄の部屋に、次兄の名残なごりは欠片も残っていなかった。

 部屋へ行く度に並ぶ順番が違っていて次の巻を探すのに苦労した漫画の本は発行順に截然せつぜんと整理され、ゲーム好きだった次兄と一緒にプレイしていた一昔前のゲーム機と有線コントローラーは線に足を引っ掛けてよく怒られたけれど、今は押入れの中に片付けられて姿すら見えない。


 そうして、次兄が居なくなった事によって整理整頓を取り戻したこの部屋に違和感と物悲しさを覚えた僕は、思わず戸を全開に開け放って部屋に進入し、部屋の中心に立ち、部屋全域を見渡した後、こう呟いた。

『この部屋って、こんなに広かったんだ』と。


 当時は物を踏まないよう恐る恐る忍び足の爪先立ちで歩いていたこの部屋も、今では大の字で寝転がってもまだ余裕があるほどに広々としている。 その広さがまるで次兄の存在がここには無いのだと僕に主張しているようで、思いがけず物悲しさを助長させられてしまった僕は、この茫漠ぼうばくたる部屋の中心で膝を抱えて一人静かに涙を流し続けた。


 そしてこういう時、時の流れというものは非常に気の利くものだと思い知った。 どれほど悲しい出来事も、ゆるやかな時の流れに身を委ねていれば、知らずの内に心の溝を埋めてくれる。 その上で、人生とは悲しい事ばかりではなく、楽しい事もあるのだと気が付かせてくれる。


 兄達が家を出て行ったからと言って、何も一生会えなくなる訳じゃあ無い。 その実、盆と正月には必ず帰省してくるのだし、だからといって彼らの生活を心配しないではないけれど、彼らももう子供ではなく、一人の人間として立派にこの世界の軸を回している社会人なのだから、母のように過保護が過ぎては、かえって彼らの方が気を遣ってしまいかねない。


 かと言って、母の過保護を責めている訳でもない。 親が子を心配するのは最早本能の極みであり、無償の愛を持ち合わせているが故でもある。 子が幾つ歳を重ねようと、親から見た子は何時まで経っても子のままなのだから、子が何歳になろうとも、親は子を心配してしまうものなのだ。


 その親の心理というものを、兄達が家を出る事によって間接的に知ってしまった僕は、僕までもが若くして家を出て行ってしまう事を心配している母の心情を痛い程に理解している。 何故なら、兄弟関係であるこの僕でさえ当時は落涙してしまうほどの悲しさを負ったのだから、兄達の親である母や父が、僕以上の悲しみに暮れていたであろう事など、火を見るより明らかだ。


 ――いずれ僕も兄達のよう、この家を出る時が来るだろう。 その時は父母を悲しませ、心配させてしまう事だろう。 だけれど僕はまだ高校生一年目。 先に父が述べたよう、僕が卒業するまでにはあと丸二年以上の歳月がある。 だから、


「父さんの言う通りだよ母さん。 明日僕が居なくなる訳じゃないんだからそんなに心配しなくてもいいよ。 それに、兄さん達みたいに僕が卒業してすぐに家を出るって決まってる訳でもないし」

 父に準じて僕も母の心配を取っ払うよう、そう言った。 すると母は、


「それじゃあ優紀には、いつかお嫁さんと一緒にこの家に住んでもらおっかな」などと、悪戯いたずらっぽく僕に言ってくる。 急に将来の伴侶はんりょの話をされて、第一に脳裏に浮かんだ顔が玲さんだった事も助けて、僕はひどく動揺してしまった。


「お、なんだ優紀。 お前のその顔、もしかしてもうアテでもあるのか?」

 僕の動揺を見逃さなかったのか、父が間髪入れずに聞いてくる。


「い、いや、違うよ、母さんが急にお嫁とか言い出したからちょっとびっくりしただけで」


 咄嗟とっさに弁明は果たしたけれど、これでは僕に想い人が居るのを告げているようなものだと、全て言い終えてから気が付いた。


「いやいやそれってもう目当ての相手が居るって言ってるのも同然じゃないのよ。 それで、その子どんななの?」

 果たして母には見抜かれてしまい、僕は自ら逃げ道を塞いでしまった。


「だから違うってっ!」


 父母にそういうたぐいの話を向けられるのは小恥ずかしい気もするけれど、そうした話を交えられるようになっただけでも、昔の僕よりは成長していると言えるだろう。 例の時期には、同じ家に居ながらも、父母とまともな会話を交えない日々が続いていたから余計にその成長が身に染みて仕方が無い。


 こうして父母に冷やかされつつ、我が家の夜は深みを増してゆく。 兄達が家を出てからすっかり居座っていた平穏も、僕達の賑わしさに耐え切れなかったのか、いつの間にか、居間からおいとましていたようだった。

 騒がしさは戻らないけれど、温かさはいつものままである。

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