第二十二話 好奇心 13
「えー、何だか怖いんだけど」
玲さんは苦笑気味に、ちょっと困惑したような呆れているような口調で僕の振る舞いを評した。 恐らく今の僕は玲さんから見て、一心不乱に映じている事だろう。 鼻息は荒いかも知れないし、目は血走っているかも知れない。 それでも今は自身の必死さを取り繕う余裕も無く、恥も外聞も捨て去って、僕は彼女の両腕が背中から出現する瞬間だけに意識を向けた。
そうして、隠されていた玲さんの両腕が背中から現れ、注視していた左手には果たしてスマートフォンが握られていた――のを瞬時に確認したと同時に僕は右腕を彼女の左手首付近へと素早く延ばし、掴んだ。 ――瞬間、僕の身体は玲さんの方へと引き寄せられるように傾いた。
どうやら、僕の手から逃れようとした玲さんが、自身の左腕を反射的に後方へと引いていたらしく、僕も僕でようやく捕らえる事の出来た彼女の腕を離してたまるかと確り握ってしまっていたから、その結果僕の身体は引っ張られるような形で玲さん側に倒れかかってしまった。
このままでは玲さんに覆い被さってしまうと焦った僕は、咄嗟に身体を引き起こそうと踏ん張ってはみたけれど、元々膝立ちという前傾姿勢に対してはめっぽう不安定な格好をしていた上、既に僕の上体は膝より前に出てしまっていたが為に、いくら身体を引き起こそうとしても上体は倒れる一方で、「わっ!」という玲さんの驚倒の声を耳にしながら、僕は為す術も無くそのまま玲さんを押し倒すような形で前方に倒れこんでしまった。
幸い、倒れる際に一番前に出ていた僕の腕が玲さんの顔や身体などにぶつかる事も無く、僕自身も間一髪で彼女の左手を握っていた手を離し、両手を床に付いて転倒を防いだお陰で、玲さん側に完全に倒れこむ事態は防ぐ事が出来た。
「……っ、すいません玲さん、大丈夫です――か」
僕は真っ先に玲さんの安否を確認した。 すると、仰向けになった彼女と不意に目が合って、何故だかそのまま言葉を失い、彼女の瞳に釘付けにされてしまった。
「……」
玲さんは尚も神妙な顔付きで僕を見つめ続けている。 口を開く気色も無ければ、何かしらの感情を露にしようとする素振りも無く、ただじっと、透き通る程に瑞々しい両の瞳で、僕の目を見つめ続けている。
どうしてそんな目で僕を見るんですか。 どうして何も言わないんですかと訊ねたくて仕方が無かった。 けれど僕の口は、まるで縫われたかの如くに堅く閉じたまま、まったく開く事が出来なかった。
そして僕は、この状況が以前玲さんに例の写真を撮られた時の状況の真逆である事に気が付いた。 彼女の両肩こそ押さえてはいないものの、僕の両手は彼女の顔のすぐ両側の床に付いていて、彼女に覆い被さるように、僕の身体が上にある。 まさしくあの時の状況の真逆だと、僕は妙にばつの悪い心持を抱いた。
今すぐにでも玲さんから離れなければと思ってはみたけれど、やはり彼女の視線が僕の行動を許してはくれず、僕は視線すら逸らせぬまま、ごくりと生唾を飲み込んだ。
以降も時が止まったかの如き沈黙がしばし続いた後、玲さんはおもむろに瞼を閉じ始め、首を動かして口元を僕に差し出すような姿勢を取った。 この時僕はまた、何故そんな姿勢を取るんですかと訊ねたくて仕様がなかった。 何故なら玲さんのその姿勢は、その態度は、まるで僕からの口付けを待ち受けているようにしか見えなかったから。
しかし僕はその姿勢を見るなり、これは玲さんの例のからかいに違いないと悟った。 どうせ目を閉じている振りをして、実際は薄目で僕の素行を眺めているのだろう。 その上で僕が彼女に口付けを迫ろうものならば、口付けの手前で僕の身体を押し退けて「演技でしたー」などと軽快にネタバラシをした後「キミは雰囲気に流されたら誰とでもキスしちゃいそうだね」などと、僕の軽薄を嘲笑ってくるつもりなのだろう。
ならば、敢えてその演技に乗ろう。 毎回やられっ放しと言うのはどうにも心持が悪いから、玲さんが行動を起こす手前を見計らいつつ、なるだけ僕の顔を近づけて玲さんをおどかしてやるとしよう。 そして彼女の起こすであろう何かしらの行動を回避した上で「やっぱり演技だったんですね、気が付いてましたけど」と平然と言い放って、いつも僕が彼女にやられているよう手玉にとってやろう。
そうして、玲さんに悟られぬ程度に一度だけ鼻のみで深呼吸を行った後、僕は自身の顔を徐々に彼女の顔へと接近させ始めた。




