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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第二部 私(ぼく)を知る人、知らぬ人
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第二十二話 好奇心 9

 僕がぼくを振り切れないでいる事で何が起こるのか。

 僕が真っ先に考を巡らせたのは、ぼくの存在によって影響を及ぼすであろう環境の変化である。 ただ、先の先まで考慮してしまうと収拾が付かなくなってしまいそうだったから、ひとまず視野に入れたのは高校で僕と関わりの多い人物のみだ。


 第一に確信として導き出されたのは、僕と古谷さんの関係の破局だ。 これは疑うまでも無く、僕の中にぼくが居残り続ける事によって必ず起こる、最早約束された未来である。

 次に、三郎太と竜之介との関係を想像してみる。 ――僕と古谷さんの破局を知って、ある程度の失望はいだかれるかも知れないけれど、存外、彼らとの関係はそれほど劇的に変化しないように思える。


 平塚さんはどうだろうか。 ――恐らく彼女は古谷さんの味方であろうから、僕がこれだけ思わせ振りな態度を古谷さんにかもしておいて、彼女の想いを受け取らないと来れば反感はまぬがれないだろう。 よって古谷さん同様、平塚さんとも今の距離は保てなくなるに違いない。


 最後に、玲さんとの関係性を想像――しようとしたけれど、不思議と何も思い浮かばなかった。 いや、何も思い浮かばなかったというよりは、想像する必要が無かったと言うべきなのかも知れない。


 玲さんは、既にぼくの事を知っている。 知っているが故に、僕がこれからもぼくを心の中に居座らせていたとしても、別段気に留める事も無く、僕を僕として接してくれるだろう。 勿論、玲さんにはかねてより必ず男のかたちを手に入れると豪語してしまっているから、多少なりとも失意は抱かれてしまうだろうけれども、それでも彼女は男になり損なった僕ですらも優しく包み込んでくれるような気がする。


 以上の観点から、僕と関わりの深い同級生四人と玲さんとを比べてみても、やはり玲さんは僕にとって代用の利かない特別な存在であると思い知らされたと同時に、ぼくが居残り続ける未来の大まかな試算が完了した。 やはりぼくの存在は、僕にとっての障害であり、足枷あしかせでしかない。


 障害とは取り除かれてしかるべきである。 だから僕は僕の中にある障害を排除する為に男の容を手に入れなくてはならない――と安易に自分に言い聞かせてきたのがこれまでの僕で、あくまで玲さんがただして来たのは『僕がぼくを振り切れない未来』についてである。 ので僕はその問いに対しての答えを出さなくてはならない。


 玲さんの言うような未来が訪れる前に、僕は男のかたちを手に入れてみせる――などという答えは、只の論点のげ替えだ。 幼子の稚拙ちせつな言い訳に相違ない。 故に僕は先の思考にもとづいて玲さんの質して来た問いに対し、真摯しんしに向き合わなくてはならないのだ。


「……もし、これからもずっと、僕が女としての自分を捨てられなかった時には、僕は、古谷さんの事は諦めます。 ――いえ、古谷さんだけじゃないです。 僕の中に女のかたちが残り続ける以上、僕は誰からの好意も受け入れるつもりはありません」


 僕は正直に、玲さんからの問いに答えた。 改めて僕に起こりうる未来と真っ直ぐに向き合って素直な気持ちになれたからなのか、僕を直視する玲さんから目を逸らす事も無く、僕は僕の思ったままを彼女にぶつける事が出来た。 すると彼女は、僕を見つめたまま軽く何度か首肯しゅこうした後、


「それが、キミの答えなんだね。 わかった。 それと、ごめん」といわれ無い謝罪を僕に果たしてきた。

「どうして、先輩が謝るんですか」思わず僕は謝罪の理由をたずねた。


「どうしても何も、キミが自分の中の女性としての心を捨てられない未来なんてのは、キミが一番考えたくない事なんでしょ? なのに私は、キミにその未来を考えさせちゃった。 キミは少しずつだけど男に近づきつつあると思うから、そんな未来が訪れる可能性の方が限りなく低いのにね。 だから、変にキミの不安を煽っちゃって、ごめん」


 口にしてしまうとお小言が飛んでくる事は判然はっきりとしているから口には出さないけれど、玲さんにしてはえらく下手したてな対応にちょっと驚いている。 彼女にここまでへりくだられると、かえって対応に困る。 ので僕は、


「いえ、むしろ僕は、今この時にその未来と向き合えて良かったと思ってますよ。 そうなる未来の可能性が限りなく低くても、僕が初めてトランスジェンダーという観念を知った時のように、いつどこで僕の心境が唐突に変化するなんて事は僕にすら分からない事ですからね。 だから今日みたいに、望んでいない起こりうる未来から逃げずに真正面から向き合うのは今後の僕にとってもプラスになり得る事ですから、先輩がそこまで謝る事は無いですよ。 逆に僕の方から感謝を述べたいぐらいです」


 玲さんの行為は決して間違いでは無いと言い切り、その上で僕は彼女に感謝の意を表した。


「そっか。 ……何だか私と初めて出会った頃より、キミもずいぶん成長したよね」

 今度は卒然と玲さんに褒められて「そうでしょうか」と咄嗟とっさ謙遜けんそんするも、妙に照れ臭くなってしまい、僕はここに来て彼女から目を逸らしてしまった。


「本当のキミを知る私がそう言うんだから、素直に受け取りなよ。 ――あんまり勝手な事も言えないけどさ、キミなら大丈夫だよ。 キミの望む未来をきっと手に入れられる。 もしキミが間違えた道を歩みそうになった時は遠慮無く軌道修正してあげるから、キミはキミの思うままに進めばいいよ。 その為に私はキミを見守ってるようなものだし」


 玲さんはそう語り終えた後、グラスの中身をぐいと飲み干した。 その行為が、先の彼女の頼もしい言葉も相まって、大船に乗ったつもりでいろと言ってくれているような気さえして、僕の心が芯から温まってゆくのをしっかりと感じ取れるほど、玲さんの存在は僕の中で燦々さんさんと輝きを放っている。 この人が照らす道を歩み続ければ、きっと僕は僕の望む未来へ辿り着けるだろう。


 太陽然とした彼女の意志に応えるよう、僕もグラスに残っていた中身をぐいと一気に飲み干した。 僕と古谷さんの関係が、炭酸の如くいつしか空気に溶け出してはかなく消えてしまわないよう祈りながら。

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