第二十二話 好奇心 8
それから二転三転と話頭を転がしている内に僕と古谷さんの交流具合の話になって、僕はそれを玲さんに語った。 その語りの中には勿論、せんだっての古谷さんとの期末試験の勝負事の件も含まれている。
「へぇ、あの子がキミを花火大会にねぇ。 何ていうか、やっぱり私はあの子の事、勘違いしてたみたい」
「勘違い、ですか」
「うん、勘違い。 実はこの前の球技大会の時、保健室であの子と二人っきりで色々話したんだ」
「どんな事を話したんですか」
「それは言えないよ」
「もしかして、僕に言えないような事を話してたんですか」
「さあ、どうだろうね」
曖昧にはぐらかされながら、玲さんはおぼんの上に置かれていたペットボトルを手にとって、氷入りのグラスに中身を注いでいる。 液体が注がれる内に、グラスの中で氷がピシペキと唸りをあげている様が何とも夏らしくて良い心持がする。
ペットボトルの中身は注がれる前に液体の色とラベルで判明していた。 別にそれらを見なくとも、玲さんの家に辿り着く前に何の飲み物を出されるかは予め推測していたのだけれど。
以前、僕が玲さん宅へお邪魔した際、次の機会に再び玲さん宅を訪れた時には、彼女は僕に粗相の起こらないよう、粗ソーダを用意しておくと豪語していた。 だからあの時の発言を忘れていない限り、彼女は今日きっと僕にそれを出してくるであろうと予想していたのだ。
案の定玲さんは今日、ソーダを用意していた。 そうして彼女は「はいどうぞ」と、注ぎ終わったグラスを僕に差し出した。 グラスの底からはソーダを注ぐ時に生じた炭酸の気泡が飲み口目掛けて次々と上昇し、今もなおしゅわしゅわと小気味良い音を発している。 音もさることながら、透明なグラスに透けたネオングリーンの色彩がこれまた何とも夏らしく、とうに始まっている夏を忘れ、改めて今年も夏が来たんだなとしみじみ感じた。 ――僕の前に置かれたのは、ソーダはソーダでも、いわゆるメロンソーダであった。
「ありがとうございます。 メロンソーダ、おいしいですよね」と言いながら僕はグラスを手に取った。
「メロンソーダほどアイスに合う飲み物も無いよね」と言いつつ玲さんも自身で注いだメロンソーダ入りのグラスを手に取った矢先、それを持った方の腕を僕目掛けて伸ばしてきて、
「じゃ、期末試験を終えて一学期も無事終了したって事で乾杯しようよ」と僕に乾杯を勧めて来たから、僕もグラスを持っていた手を玲さんのグラス付近へと近づけ「一学期お疲れ様でした」と言った後、玲さんのグラスに僕のグラスを接触させた。 それから僕達は互いにメロンソーダを味わった。 乾いた喉へ焼け付くよう広がる炭酸の刺激は、再度僕に夏という時節を連想させた。
「――それで、先輩と古谷さんの会話の内容は置いておくとして、先輩は古谷さんに対してどういう勘違いを抱いてたんですか」
グラスの中身が半分ほど減った頃、僕は先の話題を掘り返した。
「ああ、その話ね。 食堂で初めてあの子と会った時から思ってた事だけど、あの子はもっと内向的で、引っ込み思案な性格をしてるのかと思ってたんだ」
言われてみればあの時、玲さんと対峙した古谷さんの態度は、玲さんにそうした印象を与えて然るべきだった。 僕ですら古谷さんとまともに交流する以前は、玲さんと同様の印象を彼女から与えられていたから、玲さんが彼女をそう印象付けてしまうのも無理は無い。
「でも、この前の球技大会の時には絶対取れそうにない球を追いかけて相手へ打ち返して会場を沸かせたり、最近ではキミを花火大会に誘ったり、やる時はやる子なんだなって思い知らされたんだよ」
「先輩でもやっぱりそう思いますよね。 僕はもっと前から気がついていましたけど」
「なになにー、その『僕はあの子の事なら何でも知ってる』みたいな言い方。 生意気に彼氏ぶっちゃって。 もー、暑いのは夏だけにしてよ」
「か、彼氏ぶるとか変な事言わないで下さい! 僕と古谷さんはまだそういう関係じゃないんですからっ」
「まだ、とか言ってくれるねー。 っていうか、キミもそこまであの子の事想ってるんだったら、いっその事キミの方から告白しちゃいなよ」
「それは、無理です」
僕は笑顔の一つすら作らず、玲さんから視線を逸らしながら先の彼女の提案を真っ向から否定した。
「無理、っていうのは、あの子の事が嫌いとかじゃなくて、まだキミの中に女性としての心が残っているから、って事でいいの?」
玲さんはたちまち僕の否定の理由を言い当てた。
「そうです。 前にも言ったかも知れませんけど、僕は男性として古谷さんと向き合う事を望んでます。 だから、僕の心に女性としての容がある以上、僕はまだあの子への気持ちを伝える訳には行かないんです」
「じゃあ、もしキミがこのままずっと女性の心を捨てられなかったら、その時はどうするつもりでいるの?」
「それは」と答えようとして間もなく、その答えが今の僕の中に無い事を知って、僕は二の句も継がぬまま口篭ってしまった。 そもそも、僕がこのまま私を振り切れずにいる未来など、考えた事も無かった。 いや、ことによると、そうなってしまう可能性から目を逸らし、逃げていただけなのかも知れない。
今思い返せば、そうした思考が訪れる度に僕は、何とかなるさなどと安易に自身を励ましては、眼前の問題を無視し続けてきた。 そのツケが今、巡り巡って僕の目の前に現れたのだろう。 ならば、向き合わない訳には行かない。
僕は改めて、僕がこれからも私を振り切れないでいる未来を想像した。




