第二十二話 好奇心 5
そうして第一に目に留まったのは、僕の後席で未だ机に突っ伏している三郎太だった。 どうやら水分を取り過ぎた所為で、まだ気分が優れないように思われる。 自らが招いた体調不良だとは言え、三郎太のここまで元気の無いところを目の当たりにすると、さすがに気の毒になってくる。
「三郎太、大丈夫? もうホームルームも終わったけど、帰れそう?」
つい心配になって声を掛けてみると、三郎太は弱々しい声色で「おう……大丈夫だ」と強がって見せた。 それから彼はむくりと上体を起こして、鞄を手に取り、その場に立ち上がった。 けれど、やはり全然大丈夫ではなく、足取りがふら付いていて今にも転倒しそうだ。
「ほんとに大丈夫? まだ気分が悪いならもう少し休んでた方がいいんじゃないの?」
「いや、多分波は抜けたから大丈夫だと思――うっ!」
また強がりで誤魔化そうとしたのも束の間、三郎太は突然形相を変えて口元に手を当てながら鞄を投げ出し、小走りで教室から駆け出して行った。 先の一連の行動から察するに、突然立ち上がった事によって強い吐き気を催してしまったのかもしれない。
「なんやサブのやつ、さっきまでくたばっとった癖にもう走り回れるほど元気になったんかいや」
三郎太の奇行を淡々と評しながら、竜之介が僕の傍へ寄って来る。
「元気、っていうよりかは焦ってたって感じでしたけど、大丈夫でしょうか三郎太くん」
近くに居た古谷さんも、三郎太をひどく心配している。
「今頃トイレで吐いてたりして」
その横で平塚さんが僕と同様の推察を口にしている。 それから数分後に三郎太は戻ってきた。 教室を出る前とは見違えるほどに、一仕事やり終えたような清々しい男の顔をしている。
「いやー、さっきまで死ぬほど気分悪かったけど、我慢せずに全部吐いたら最高にすっきりしたわ。 やっぱ我慢は身体にわりーな、うん」
三郎太は今し方体験して得た教訓を自らに言い聞かせ、腕を組みながらしたり顔で首肯している。 そこは水分を過剰摂取してしまった事を反省すべきなのではという苦言が喉まで出掛かったけれど、体調不良から快復したばかりの彼にそれを言ってしまうのは野暮だろうという遠慮が勝ってしまい、敢えて言わずに飲み込んだ。
それにしても、いくら三郎太の人となりとは言え、女性である古谷さんや平塚さんの目の前で「嘔吐してきた」と平気な顔で宣える根性は感心せざるを得ない。 僕も玲さんと初めて出会った時に彼女の前で嘔吐してしまったけれど、その事を古谷さん達に面向かって言える気がこれっぽっちもしない。
そもそも三郎太の嘔吐と僕の嘔吐では条件や状況がまったく異なっているから、比較するだけナンセンスだとは理解している。 それでも、仮に僕が彼と同じ条件、状況で嘔吐したとしても、顔色一つ変えず、剰え破顔しながら彼女達に「たった今、嘔吐してきた」などと言える気がしない。 それを思うと、三郎太の人となりは洗練されたもののように思えてくるのだから不思議なものである。
「もー、サブくん汚いって。 女の子の前なんだから少しは遠慮しなよー」
「悪い悪い、でもあのまま我慢し続けて教室で撒き散らすよりはマシっしょ?」
「だから汚いってばー」
平塚さんは三郎太の嘔吐発言を受けて苦笑いしながら彼を窘めているけれど、彼女の態度には嫌悪だとかそういう類の感情は表れておらず、口ではそう言いつつも、あくまでからかい半分といった雰囲気だ。 人によっては不快を覚えさせられてしまう言動も、三郎太を以ってすれば閑談に変換出来るように思われる。 彼の普段の軽薄も満更悪い方向へ向かうばかりではないらしい。 この時初めて、三郎太の人となりを羨ましいと思った。
それから三郎太の嘔吐話もそこそこに、僕達五人はしばらく教室で雑談を交わした。 その中で僕は皆に、暫しの間会えないけれど、また夏休み後には元気で会おうね、という旨を伝えた。 すると平塚さんが僕を見据えて「綾瀬くんは色白いから、この夏でちょっとは焼いてきなよ」と言ってくる。 僕は僕で「考えとくよ」と苦笑気味にお茶を濁した。
やはり女性的には肌の色黒い方が男らしく映じるのだろうかと僕の腕の白いのを眺めながら、今年は少し焼いてみようかしらと軽い気持ちで目標を立てた。




