第二十二話 好奇心 3
改めるまでもなく、僕と古谷さんは、そういう関係ではない。 そういう関係でない男女が果たして、デート紛いな事をしてしまっていいのだろうかと、僕の倫理観が警鐘を鳴らしている。
よし僕と古谷さんが二人きりで出かけ、なにかの拍子に互いの関係性を訊ねられた際に恋仲で無い事をどれだけ主張しようとも、第三者から見れば、男女二人で出掛けている時点でそういう関係なのだろうと受け取られてしまうだろう。
ただ、祭りなどの行事には不特定多数の老若男女が集まってくるから、学校近隣ならばともかく、学校から五駅も離れた場所で顔見知りに出会う可能性など極めて稀だろうし、僕と古谷さんの素性も知らない赤の他人が僕達の関係性などにいちいち意識を向けやしないだろうから、そこまで神経質になる必要性も無いとも思っているけれども、やはり僕は心のどこかで、不安を感じている。 その不安というのも、二人で出かけた際に知り合いと鉢合わせするだとかの懸念ではなく、僕が古谷さんと共に花火大会へ行く事によって、彼女の心境に変化が生まれるのではと恐れていたのだ。
花火大会と言えば、漫画や映画の演出の中でも多く活用されている定番のデートイベントだ。 夜空に咲き誇る色とりどりの火の花は、人々を非現実的な世界へと誘う。 隣で肩を並べて花火を見上げる彼、彼女は、きっと普段より輝いて見えるに違いない。 恐らく僕も古谷さんも、例外では無いだろう。 そうした雰囲気に呑まれた古谷さんが、今一度僕に本気の告白をしてきたら、僕はどう応えればいいのだろうかと、僕は一抹の不安を覚えてしまっていた。
いや、返答は決まっている。 僕がまだ男の容を手に入れていない以上、彼女の告白を受ける事は許されない。 だから僕は、彼女の告白を断らなければならない。 問題はその先である。 僕が古谷さんの正式な告白を断ってしまったら、恐らく彼女は、僕が古谷さんに好意が無いものと見なし、僕の事を諦めなければならなくなるだろう。 それが一番、怖かった。 今はまだ彼女の想いを受け取れないだけで、僕は彼女の事が嫌いな訳ではない。 むしろ、彼女を好きになろうとさえしている。 のに、それを伝えられないまま彼女との関係が終わってしまうのは、嫌だ。 そして、僕が彼女への想いを伝えるのを邪魔しているのは――やはり私という存在だ。
私はまだ、僕の心に座している。 それもただ座っているだけじゃない。 足元には座布団を敷いて、その上へ鎮座しながら、ここは古往今来より私の場所なのだと主張するよう、淑やかに目を閉じながら乙に澄ましている。 そこをどけと僕が何度も働きかけたって聞く耳すら持ち合わせないし、僕の方を見もしない。 この調子では、いざ僕が男の容を獲得しようとも、その座を譲ってはくれなさそうだ。
花火大会の日までに僕は私の座を奪い取る事が出来るだろうかと、自分自身に訊ねて見る――恐らく無理だろうという答えが返ってきて、甚だ不安になった。 この際、急な家族との用事が出来たと言って彼女からの誘いを断ってしまおうかと逃げの道に走ってしまいそうになる。 けれど今になって、僕が古谷さんからの誘いを受けた時に彼女が見せた満面の笑みを壊してしまう勇気は、僕には無かった。 だから僕は、花火大会当日までに私の座を獲得出来なかったとしても、古谷さんと共に花火大会へ行く事を決意した。
全体、古谷さんが僕へ再度告白を果たしてくるやも知れないなんて事は、何も今度の花火大会の時に限らず、僕と彼女が交友関係を持っている以上いずれ起こり得る事柄である。 ことによるとそれは明日起こるかも知れないし、僕が高校を卒業するまで起きないかも知れない。 今日か明日か明後日か――などという、いつ何時に起こるやも分からぬ懸念事に心を割いていては心が幾つ在ったって足りやしない。
だから変に気負うより、当たって砕けろの精神を以って暮らす方がよっぽど心持が良いものである。 元来の僕と古谷さんの関係性が奇妙極まりないのだから、今更その関係が壊れてしまう事を恐れていては一歩も踏み出す事なんて出来やしない。
古谷さん、そして、玲さんに出会ってからというもの、僕が男の容を獲得するという事柄は、最早僕一人だけの問題ではなくなって来たように思えてくる。 ――いや、何もおかしい事じゃあ無い。 この問題は、男として未完成であるこの僕が今後も誰かと接してゆく以上必ず付き纏う、呪縛そのものなのだから。 いずれは三郎太や竜之介にさえ、私の存在についての選択を迫られる時が来るかも知れない。
けれど、今は駄目だ。 僕見たような男の成り損ないでも、古谷さんのように僕の事を好いてくれる人も居れば、三郎太や竜之介のように何の疑いも無く僕を男扱いしてくれる人も居る。 そして、玲さんのように、私という存在を知りながらも、僕を僕として受け入れてくれる人も居る。
僕は僕が今置かれている環境にこの上ない幸福を感じている。 自らが幸いだと感じている環境を、わざわざ自身の手で破壊しようなどという人がこの世に居るだろうか。 少なくとも僕は僕の置かれている環境を壊したくは無い。 我儘だと貶されようとも、独善だと罵られようとも、僕が大切に育てて来たこの三ヶ月の高校生活は、誰が何と言おうと手放すつもりなど毛頭無い。
『男なら』この程度の問題など、難無く乗り越えられる筈だ。 だから僕は『男として』必ず、この問題を乗り越えてみせる。 何、それほど気負う事も無い。 自画自賛ではあるけれども、中学の頃に比べれば、僕も少しは男というものに接近していると思う。 以前玲さんにも言われたけれど、高々数ヶ月の間に僕はここまで来られたのだから、これからもこの環境に居続ければ僕は必ず男というものに辿り着けるだろう。
僕の周りには男らしい三郎太が居る。 男らしい竜之介が居る。 いざという時には玲さんも居る。 これほどまでに恵まれた環境に身を置きながら、僕が男の容を獲得出来なければ嘘だ。
大丈夫、僕はきっとその内、男というものを見つけられる――僕は自身を鼓舞し、これまでの弱気全てを追い出した。




