第二十一話 誤解 16
『ちょっ、千佳ちゃん泣いてんの?! すまんっ、俺が悪かったっ!』
私の泣いているのに気が付いたのか、三郎太くんが慌てて謝ってくる。
「……ううん、三郎太くんは悪くないよ。 いつかは知らなきゃならない事だったし、わざわざ教えてくれて、ありがとう」
私は未だ止まない嗚咽を出来る限り抑え込み、時折鼻をすすりつつ情けなさ極まりない声色で彼にそう返事した。
『いや、違うんだよ千佳ちゃん、この話にはまだ続きがあるんだよ』
「……え?」
流れていた涙が、ぴたりと止んだ気がした。
『俺の言い方も悪かったな、ほんとごめん。 確かにユキちゃんは、千佳ちゃんの事を好きかどうかは分からないって言ってたけど、あくまで今はまだって事な。 今だから言えるけど、千佳ちゃんがユキちゃんに妙な告白した日あんじゃん? あの日、リュウと一緒にその話を聞いて、だったら付き合っちゃえよって二人して言ったんだよ。 そしたらユキちゃんは「それは出来ないし、その内、相手が僕の事を諦めてくれるかもしれない」なんてつれない事を言い出してさ』
あの日、ユキくんがそんな事を言っていたとは思いもしなかったから、私の心はまた、弱りそうになっていた。 しかし、ここで弱虫になってしまったら先の二の舞だと自身に言い聞かせ、私は彼からの言葉に耳を傾け続けた。
『でも今は昔と違って、ユキちゃんは千佳ちゃんの事を良い子だって言ってたし、だったら千佳ちゃんの事は前より気になり始めてるんだろって聞いたら否定もしなかったぜ。 俺もその話を聞くまでは心配だったけど、ユキちゃんはユキちゃんでちゃんと、千佳ちゃんの事は心に留めてるっぽいわ。 だから、たとえあの先輩が相手だろうと千佳ちゃんが気後れする事なんてねーよ――って事が言いたかったんだけど、何か千佳ちゃんに勘違いさせた挙句に泣かせちまってほんっと悪かった!』
崩落しかけていた私の心は、彼の言葉によって見事に修復された。 俄には信じ難かったけれど、三郎太くんは気休めや一時凌ぎの間に合わせで第三者に迷惑を被らせるような嘘は付かないと知っているから、先程彼の口から語られたユキくんの私に対する気持ちはきっと本物だ。 そしてその気持ちはだんだんと私の心に馴染んでゆき、程なくして、溶け込んだ。
ユキくんが、私の事を気にしている。 私の事を、心に留めている。
その事実を心の中で噛み締める度、心が温かくなって、頭がぼうっとする。
好きだと言われた訳でも無いのに、飛び上がりそうなほど、嬉しい。
まるで嘘みたいだと、現実を疑って、頬を抓ってみる。 うん、痛い。
どうやら夢ではないらしい。 だったらこの気持ちは私のものだと、安心した。
「そんなに謝らないでいいよ三郎太くん。 元はと言えば私が早とちりしてユキくんに嫌われてるかもって思い込んだのが悪かったんだから。 私の方こそ変なところ見せちゃってごめんなさい」
『いいっていいって。 でも、勘違いでも千佳ちゃんを泣かせちゃったって事はみんなには内緒な? さすがにユキちゃんにも真衣ちゃんにも怒られそうだし、特にリュウには寝技でも決められそうで怖いんだわ』
「ふふっ、大丈夫大丈夫。 そんな野暮な事言うつもりは無いから」
こうしてまた増えた三郎太くんとの秘密事。 やっぱり弱味を握った気はしない。
それから私達は、球技大会について長々と語り明かした。 話の途中、私の怪我は大丈夫だったのかと彼が心配そうに聞いてきたので、私は一言「大した事無かったよ」と告げると、彼も一言「ならよかった」と安堵してくれた。 何故だか知らないけれど、彼が私の怪我について心配してくれていたという事実が嬉しくって、一人でにやけていた。
そうして、三郎太くんと通話を終えたのは二十一時過ぎ。 ユキくんの気持ちを知れて舞い上がっていたのか、私は普段より饒舌になっていて、気が付くと、ユキくんへ再度電話を掛けようと決めていた二十時半を大幅に超過してしまっていた。
さすがにこの時間帯から電話を掛けるのは少し迷惑な気もするし、もしかすると今日の球技大会の疲れで、ユキくんは既に就寝しているかも知れない。 もしそうだとしたら尚更もう電話は掛けられそうにない。 だったら、SNSにメッセージでも残しておこうか? ――いや、それでも通知音で彼を起こしてしまいそうだ。
その後も色々考えたけれど、どの思考も実を結ぶ事は無く、この際仕方が無いと諦めて、明日の朝一番に彼に謝ろうと心に決め、寝支度を済ませてから布団に入った。
部屋が暗くなってもまだ、自分自身が興奮しているのが分かる。 どこか落ち着かない。 そわそわする。 布団の中で意味も無く、足の指を動かしてみる。 不意に怪我をしている左の足首を動かしてしまい、痛みが走る。 でもこの痛みは、私がこの世界に存在しているのだという証でもある。 だから、痛いのを承知で、また何度か動かしてみる。 私が私である事を証明するように。
この痛みは、私のものだ。
この気持ちは、私のものだ。
寄越せと言われたって、欠片一つも渡してやるものか。
こんな浮ついた気持ちを抱いたまま、明日、ユキくんの前で平然としていられるだろうかと、心配になってくる。 ――いえ、平然で居る必要も無い。 私は、ユキくんの事が好きなのだから。 好きな人の目の前で平然として居られる方がどうかしている。 だから私は隠さない。 彼に恋するこの気持ちを。
次第に眠気がやってくる。 途端に身体が重くなる。 明日目を覚ましても、この気持ちが私のものでありますようにと願いつつ、私は睡魔に導かれ、今日という日を終わらせた。




