第二十一話 誤解 15
「三郎太くんは、あの先輩の事、綺麗だと思う?」
しばしの沈黙を経て、私は彼に突拍子も無い事を訊ねた。
『え、いや、そりゃあ俺の姉貴に比べたらよっぽど綺麗な人だと思うぜ。 背丈も俺よか低かったけど、女性にしちゃ高いほうだと思うし、結構雰囲気あるし、なんつーか、大人の女性って感じ?』
「じゃあ、もし三郎太くんがあの先輩に告白されたら、三郎太くんはどうする?」
『正直、断る理由は無いわな。 でも実際問題、姉貴の友達ってのが引っかかって断るかも知れねーなぁ。 まぁ、彼女が居ねー男子だったら大半はオッケーするんじゃねーのかな。 ――で、千佳ちゃんは、例の先輩にユキちゃんを取られるかも知れないって焦ってる訳だな?』
さすがにここまで踏み込んでしまったら、私の心配事など筒抜けて当然だ。 厳密には少し違うけれど、三郎太くんの話を聞く限り、男性からすれば先輩の風貌はとても魅力的のようだ。 女の私から見たって、先輩は綺麗で雰囲気がある人だと思う。 だから、ユキくんが先輩に好意を抱いたとしても何らおかしくはないのだ。
「うん。 私と先輩じゃ、勝負にもならないだろうから」
私は先ほどの三郎太くんからの問いを濁す事も無く、はっきりと正直に答えた。 身も蓋もない私の自虐混じりの応答に三郎太くんも困惑しているのか、しばらく彼の声は耳に聞こえてこなかった。
私は沈黙を紛らわすよう、勉強の為に机の上に出していた筆箱に付けているたれペンのぬいぐるみを、手全体で包み込むように撫でた。 こうする事で――いや、こうでもしなければ、ユキくんとの繋がりがぷつんと切れてしまいそうで、だから私は、彼とお揃いのこの子を意識せずにはいられなかった。
『……んー、ほんとはこんな事言うのは卑怯かも知れねーけど』
私が頻りにたれペンを撫でている内に、三郎太くんの声がようやくスピーカーから聞こえて来る。 しかし、彼の口調からはどこか遠慮というものを感じる。 神くんから弄られるのを分かっていながらも言いたい事はハッキリと言う普段の三郎太くんとは、少し雰囲気が違っているように思う。 私は相槌も打たず、次なる彼の言葉を待った。
『実は今日さ、リュウとユキちゃんとで俺の地元の温泉に行ってたんだわ。 で、その時ユキちゃんに、千佳ちゃんの事どう思ってるのかって聞いちゃったんだよ』
なるほどあの三郎太くんが遠慮する筈だと、私は彼らしからぬ態度の理由に合点がいった。 と同時に、私の心臓は突如、強く早く鼓動を打ち始めた。
ユキくんは私の事を、どう想っているのだろう。
それは、私が最も知りたい彼の気持ちでもあるし、私が最も知りたくない彼の気持ちでもある。 仮に、ユキくんが私の事を好きだというのならば、今すぐにでも彼の口から私への想いを語って欲しいくらいだ。 しかし、もしユキくんが私の事を嫌っていたりでもしたら、果たして私はその事実に耐えられるだろうか。 ――いいえ、耐えられる筈が無い。 そのような事実を突き付けられた日には、きっと私の心は跡形も無く木っ端微塵に砕け散るだろう。
だから私は、これから三郎太くんより語られるであろうユキくんの私に対する想いを聞きたくもあるし、聞きたくもなかった。 あの三郎太くんがここまで遠慮し、気を遣うような結果なのだから、もしかするとその話の内容は、私が最も知りたくないユキくんの気持ち、なのかも知れない。 だったら、聞かない方がマシとさえ思ってしまう。 私はまた、自身の中に巣食う弱気と臆病の虫に食い殺されそうになっていた。
いっその事、このまま一方的に通話を切ってやろうかとも考えた。 でも、三郎太くんへ電話を掛けたのは私だ。 そんな無礼な事をしでかしてしまっては、彼にすら嫌われかねない。 かと言って彼に話を止めてもらおうにも、弱気と臆病の虫に纏わり付かれた私は最早、声を上げる事すら出来なかった。 だからただ、黙っていた。 緊張で胸が張り裂けてしまいそうになりながら、ただ黙して、彼の言葉に耳を委ねた。
『ユキちゃんは、千佳ちゃんの事を好きかどうかは分からないって言ってた』
やっぱり、予想通りだった。 まるで馬鹿みたいだ、いえ、馬鹿そのものだ。
最近ユキくんとの距離が縮まったと勝手に勘違いして、球技大会では彼とペアになれたからと一人で舞い上がって、そうしていつしかユキくんは、私の事を好きになってくれると思い込んでいた。 けれど、そんなものは全部、私の行き過ぎた願望でしかなかった。 やっぱり、私なんかがユキくんを振り向かせる事など到底叶わなかったのだ。
気が付くと、頬に涙が伝っていた。 それから私は、電話中だったという事も忘れて軽く嗚咽し始めてしまった。




