第二十一話 誤解 13
「それで、どうしたんですか、いきなり電話なんて掛けてきて」
『ん、キミが面白い事言ってたから、電話の方が都合いいかなと思ってね』
「面白い事、って」
『さっき送ってきたでしょ、怒ってないんですか、って。 キミは一体私が何に対して怒ってると思ってたのさ』
彼女の応答を聞いて、僕と玲さんとの思考に些かの齟齬があるように思われた。
「今日の球技大会で、古谷さんが怪我をした時に僕も付いていくって言った時に、先輩が付いてくるなって言ってきたじゃないですか。 その時の先輩の態度が結構剣幕だったんで、きっと先輩を怒らせてしまったんだろうなと思ってたんですけど」
僕は正直に、先の理由で玲さんが怒っているに違いないと判断していたと告げると、スピーカーからくすくすと失笑のような声が聞こえてきた。
『そんな事くらいで私が怒る訳ないでしょ。 ――まぁでも、今思い返してみれば確かにちょっと強く当たり過ぎちゃったとは思うけど』
玲さんは、あの件で僕が出しゃばった事についてまったく怒っていなかったらしい。 だとすると、端から怒りを伴っていなかった彼女は何を思ってああした態度を僕にぶつけてきたのだろう。 今度は彼女の行動の真意が気に掛かってきた。
「じゃあ、先輩は何であの時、僕に付いてくるなって言ったんですか」
『ん、あの時言わなかったっけ。 キミが付いてきたところでどうなるのさ、って。 キミにあの子の治療が出来る訳でもないし、キミが付き添ったところであの子の怪我の痛みが和らぐ訳でもないし。 なら逆に聞くけど、キミは何で私達に付いてこようと思ったの?』
「それは――」
間もなく応答しようとして、僕は咄嗟に言葉を切った。 僕が当時思っていた事をそのまま玲さんに伝えてしまっていいのだろうかと心配になったからだ。 しかし、言葉を切った後も別の弁解が思い付くでもなく、これ以上の沈黙を続けるのも不審がられてしまうと焦った僕は、渋々元の通りの理由を語る事を決意した。
「それは、古谷さんが怪我をしてしまった原因が僕にもあるんじゃないかと思ってて、それで居ても立っても居られなかったので、ついあの場で先輩たちに付いていくと言ってしまったんです」
――僕はあの時、前衛は来るべきチャンスに備えて不必要に行動してはならないという思い込みに囚われて、古谷さん一人にラリーを任せっぱなしにしてしまった。 試合展開としてはあれで正しかったのかも知れない。 けれど、一人の人間として正しい判断であったろうかと言われると、僕は首を縦には振れない。 こうした災難を生んでしまった今だからこその結果論だとは承知しているけれど、それでもあの時の僕に何かやれる事はあったと思う。 それを遂行しなかったのは、まったく僕の怠慢だ。 だから、古谷さんが怪我をしてしまったのはきっと、僕の所為でもあるのだ。
『なるほどね。 だったら尚の事、付いて来なくて正解だったね』
「どうしてですか」
『よく考えてもみなよ。 もしキミが私達に付いてきて、治療後にあの子と話す機会が出来た時に、キミはあの子に何て話すつもりだったの?』
「……古谷さんばかりに無理させた上、怪我させちゃってごめん、って」
『そう言われたあの子は素直に『そうだね、怪我をしたのはあなたのせいだよ』だなんて言うと思う?』
「多分――いや、絶対言わないと思います」
『だよね。 じゃあキミはあの子からどういう返答を期待してたの? キミは一体、何に対して謝ろうと思ってたの?』
そこまで捲し立てられて、僕はいよいよ沈黙せざるを得なかった。
僕が救護班である玲さん達に付いて行くと言ってしまったのは、古谷さんに怪我をさせてしまったという罪悪感に急き立てられたからであり、言わば咄嗟の思いつきのようなものだ。 だから、もし僕があのまま玲さん達に随伴出来ていたとしても、古谷さんへ謝罪の言葉を掛けた後の事などはまるで考えていなかったから、先の玲さんからの問いには答えられるはずが無かったのだ。
『キミが答えられないなら、私が代わりに答えてあげよっか?』
それから僕の長い沈黙を見かねたのか、僕の返答もないままに再び玲さんが喋り始めた。
『キミはあの子に『この怪我はあなたのせいじゃない』って言われた上で、自分があの子の怪我の原因を作ってしまったかも知れないっていう罪悪感から逃れたかったんでしょ? だからキミが行おうとしてた謝罪は、あの子の為じゃなくて、自分の為。 違う?』
玲さんは僕に代わって僕の心情を推察してくる。 言われてみればまったくその通りであったと素直に認めた。 僕は僕の為に古谷さんを利用して、彼女が怪我をした原因を作ってしまったという罪悪感から逃れようとしていたのである。 なるほど玲さんが付いて来なくて正解だったと言い切ったのにも合点がいく。 そうして、僕の浅ましき思惑を彼女の口から突きつけられて、ひどい自己嫌悪に陥った。
「その通りです」
そうして僕は素直に玲さんの推察の正しさを認めた。 すると彼女は『はぁ』と一つ溜息を付いた。 その『はぁ』は彼女の呆れとも諦観とも捉えられるような印象を僕に与えてきて、まるで僕の浅ましきを嘲笑されているかのようでちょっとばつが悪くなった。
『まぁそんな事だろうとは思ってたよ。 でも、キミのあの子を心配する気持ちは本物だったんでしょ? あの時のキミは、あの子の事を本当に心配そうに見てたからね。 その気持ちまで否定するつもりは無いよ。 だからこの話はこれでおしまい。 後は、あの子に対してキミがどうしてやればよかったのか、自分で考えてみなよ』
「いつもみたいに、教えてはくれないんですか」
『なーに甘えた事言ってんのさ。 毎回私が答え出しちゃったら何時まで経ってもキミが成長しないでしょうが。 これもキミが男に近づく為の勉強だよ。 んじゃ、またね』
「あっ」と僕が言った頃には、玲さんとの通話は切れていた。
結局、あの時には強く当たりながらも、玲さんは僕に対し寸分の怒りも持ち合わせていなかった事が判明した。 それが知れただけでも僕にとっては十分な収獲であり、これで例の心持から解放されたと胸を撫で下ろした。
それにしても、ほんの僅かのやりとりで僕の心情を見抜いて見せた玲さんの視野の広さと言うか、勘の鋭さというものを今一度改めて思い知らされ、ただただ感心した。 高々二年ほど生まれの早さが違うだけで、あそこまで人間性が違ってくるものなのだろうかと、自身の頑是無きを彼女に丸裸にされてしまったようで、忸怩の念すら覚えさせられた。
窓辺に切り取られた常闇が、また僕を吸い込もうとしてくる。 僕は無心で窓とカーテンを閉じ、電燈も消して、部屋に闇を齎した。 部屋全体が暗闇に閉ざされていれば、吸い込まれる気遣は無い。 むしろ自分が暗闇の一部に溶け込んでいるとさえ思えてくる。 そうして、床に就いた僕は玲さんに課された宿題を瞼の裏で解きながら、知らぬ間に眠りに落ちた。




