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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第二部 私(ぼく)を知る人、知らぬ人
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第二十一話 誤解 9

 洗髪剤を頭頂部に塗り込んだ後、ごしごしと指を何度か往復させていると、僕はひどく驚いた。 泡立ちが悪いだろうという予想とは裏腹に、三、四度洗髪剤を揉み込んだだけでたちまち泡立ち始めたのである。 どうやら洗髪剤がはなはだ良質のようだ。 なるほど無料券の件といい、この温泉は中々羽振りが良いと見える。


 いくら消耗度の高い消耗品だからと言って低質な物を客に使わせていれば、折角無料券で集めた注目も水の泡だ。 この店は客のニーズをよくわきまえているらしい。 非常に好感が持てる。 これまで僕が足を運んだ銭湯や温泉にも是非見習って欲しい心掛けだ。 僕は良い心持を得ながら洗髪を続けた。


「サブ、お前まだ頭(あろ)うとるんかいや。 あんまり洗い過ぎたらフケ出るど」

「しょうがねーだろ、お前と違って俺は髪長いんだから。 っていうかお前が頭洗うの早すぎんだよ」


 僕の右隣では三郎太と竜之介が何やらわぁわぁ言い合っている。 二人とも元々声が大きい方だから、どちらかが喋るたびに風呂場全体に声が反響している。 他の客の迷惑にならないかと少々心配になった。


「そらそうやろ、俺は髪短いからな。 洗うのに三十秒も要らんわ。 お前も俺を見習ってええ加減髪切ったらどうや」

「分かってねーなぁリュウ、俺の頭は今が一番整ってんだよ。 まぁ、ヘアスタイルの欠片も無いほぼ坊主頭のお前には分かんねーよなぁ」

「アホか。 日によって髪型が違うお前の爆発頭のどこが整っとるいうねん。 無理矢理バリカンで刈り込んだりたいわ」

「爆発頭言うなよ! 無造作ヘアって言えよ! ったく、このセンスが分からないリュウは古い時代に取り残されてるぜ。 なぁ、ユキちゃん」

「え? あ、うん。 三郎太には似合ってると思うよ、あの髪型」


 不意に同意を求められて、咄嗟とっさに似合っていると言ってしまった。 確かに竜之介が述べた通り、三郎太のヘアスタイルは、一言で表せば爆発頭だ。 爆発と言うほど激しくもないけれども、やっぱりどこかまとまりが無い。 本人は寝癖でそうなるのだと言っていたけれど、発言に重みの無い彼の言う事だから、どこまでが本気なのかは分からない。


 その後も三郎太と竜之介は各々(おのおの)の美的センスを押し付け合いながら髪形についての論判ろんぱんを繰り広げ続けた。 こういう場所に来ても普段と変わらないのだなと呆れた笑いをこぼしながら、ようやく僕の洗髪が終わったのですすぎに入った。


 正面のフックにシャワーヘッドを固定し、湯を出した後、僕は少し前屈みになりながら両手で髪の毛の泡を落としに掛かった。 自宅の風呂であれば、片手にシャワーヘッドを持ち、顔に湯が掛からないよう前髪から後頭部にかけて泡を落としていくのだけれど、銭湯や温泉の洗い場でそうした濯ぎ方をしていると、後方の客に湯が掛かってしまう事があるから、こういう場合には今僕がおこなっている濯ぎ方が良いのだと父に教わった事があった。 だから僕は、父の教えを遵守じゅんしゅしている。


 この濯ぎ方だと否が応でも顔に湯が垂れてくるから、自然、目は閉じてしまう。 そうは言っても濯ぎ切るまでに一分と掛からないので然程気にはならない。 右隣からはまだ二人の論判らしき声が聞こえて来るけれど、シャワーの音で何を言い合っているのかまでは聞き取れない。 どうせ先の髪型についての話だろうと、別段気にもせず僕は濯ぎを続けていた。


 両手で優しく、頭皮から泡を払うように濯いでいく。 しかし、中々泡が落ちないように思われる。 皮肉にも洗髪剤の質が良すぎて濯いでいる最中にも泡立ってしまっているのだろうか。 いやさすがにそれはないだろうと、にべもなく自身の考を否定してみたものの、濯いでも濯いでも、頭皮から泡が無くなる気色が無い。 それどころか、濯ぐ以前より頭部から泡量がいちじるしく増加しているような気さえする。


 いよいよ異変を覚えた僕は泡を落とそうとしていた手を止め、泡のこびり付いた顔をシャワーの湯で二、三度洗顔した後、目を開いた。 すると正面に設置されている鏡に、僕以外の誰かの足が映し出されていた。 恐る恐る振り向いてみると、そこには洗髪剤の容器を片手ににやにやと笑みを浮かべている三郎太と竜之介の姿があった。 そうして、先の一向に濯ぎ切らない泡の謎の真相に間もなく辿り着いた。


「何やってるの……二人とも」

「え? いやー、ユキちゃんが絶好のポジションで頭濯いでたから、つい、な?」

「中々ええ反応やったで優紀。 泡が落ちんのに気が付いていっぺん手ぇ止めた時には笑いこらえるのに必死やったわ」


 彼らは、僕が目を閉じて頭を濯いでいる最中に、洗髪剤を僕の頭に垂らし続けていたのである。 なるほど道理でいくら濯ごうが泡が無くならない訳だ。 しかし、普段から何かと僕にちょっかいを出してくる三郎太だけならまだしも、今回は竜之介までもが子供染みた悪ふざけに乗っかってしまっていたものだから、洗髪剤を無駄遣いしているというマナーの無さも相まって、僕の心にはまた親心のようなものが育ってしまった。


「もうっ、そんな事したらシャンプーが勿体無いでしょ!」


 覚えず僕は勢いでその場に立ち上がって彼らの方を向き、僕に似合わぬ声調で二人をたしなめた。 そしてこの時、僕はまったく気に留めていなかった。 バスチェアに腰を下ろした際に、腰に巻いていたタオルを外して脚と脚に渡していたという事を。 しかし、大事に気が付いた頃にはもう――手遅れだった。


「あっ」

「あ」

「あ」


 三人揃って同様の声を上げたと共に、勢い余って立ち上がった僕の脚に渡していたタオルは、僕が立ち上がってから間もなく、床に落下した。 即ち、僕の秘匿ひとくすべき不毛()帯が彼らの目の前であらわになってしまったのである。


「~~っ?!」


 たちまち顔に熱が込み上げてくるのが分かった。 僕は途轍とてつもない恥辱に襲われて、あらわとなってしまった下半身を覆い隠すよう、あたふたと両手で股間を隠しながらバスチェアに座り直し、二人に背中を向けた。


「え、もしかしてユキちゃんって、生えてないの?」


 三郎太が恐る恐るたずねてくる。 やはり二人には、まったく僕の不毛()帯を見られてしまったようだった。 きっと彼らは、僕を軽蔑しているだろう。 高校生にもなって、まだ下の毛も生え揃っていないのかと。


「……うん。 僕、昔から体毛が薄くってさ。 腕とか脚なんて産毛程度しか生えてないし、髭も全然無いし、下の毛なんてさっきの通りだし、おまけに色も白いから、昔はよく同級生にからかわれてたんだ。 二人もやっぱり、変だと思うよね」


 最早二人の前に露呈した事実を無かった事にするのは不可能だったから、僕は正直に僕の下の毛の生え揃っていない事情を二人に明かした。


「そうやったんか。 まぁ、驚いたんは驚いたけど、体質やったらしゃあないんちゃうか?」

 背中の方から竜之介の低音声が耳に響いてきて、僕は体の向きを前方に残しつつ、若干体と首を捻って、二人の方を見た。


「そらぁ、男男おとこおとこしとる俺とかサブが下の毛ぇ無かったら違和感ありまくりやけど、優紀は全体的に線も細いし、色白やし、逆に優紀の体で毛ぇモジャモジャな方が違和感あるやろうから、別にそんな気にする事も無いんちゃうか? さっきちらっと見えてもたけど、全然生えてない訳ちゃうんやろ? やったら別に隠す事も無いやろ」


「そうそう、自分で剃ってるって言われたらさすがに引くかもしれねーけど、体質なら気にする事ないって。 俺も中一ぐらいまで全然生えてこなくて友達にからかわれた経験あるから、ユキちゃんの気持ちもよーく分かるぜ」


 僕の不毛恥帯を見た二人は、存外何も気にしていないようだった。 ひょっとすると、落ち込む素振りを見せている僕に気を遣って慰めてくれているだけなのかもしれないけれど、二人の顔色やら声色からはそうした気遣いの気は感じ取れない。 もし本心でそう言ってくれているのであれば、僕と彼らを引き合わせてくれた運命には感謝しなくてはならない。 彼らのような男らしい男性と出逢わせてくれてありがとう、と。


「ありがとう二人とも。 そう言ってくれて少し気が楽になったような気がするよ。 ……でも、さっきみたいなシャンプーの無駄遣いはもう止めようね。 ここのシャンプー、結構良いの使ってるみたいだから、そんな使い方してたら勿体無いよ」


 僕は二人に礼を言いつつ、改めて二人の行為をたしなめた。 それから二人は「分かった分かった」と反省したような反省していないような曖昧な返事をしながら「先に行ってるぞ」と大浴槽の方へと向かっていった。 僕も頭に残った泡を洗い流した後、大浴槽へと向かった。 やはりまだ移動の際の腰タオルは外せない。

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