第二十話 球技大会 12
僕が先のポイントの余韻に浸っていた矢先、先程まで歓声一色だった周囲の声が、次第にざわつきに変化してゆくのが耳に感じ取れた。 何やら様子がおかしい。 そういえば転倒した古谷さんは大丈夫だったろうかと、彼女の応援を受けてから初めて後方を振り向くと、未だ立ち直れずに横たわっている古谷さんが目に映る。 そして、左足首辺りを頻りに両手で擦っている彼女の姿を見た僕は、握っていたラケットをその場に投げ捨てて、一目散に彼女の元へと走った。
ネット際から、床に転倒している彼女までの僅かな距離を駆けている間、僕の胸に嫌な鼓動が走った。 それは先の高揚感から来る高鳴りでもなく、息切れによる動悸でもなく、一抹の不安によって引き起こされた不整脈のようなものに近かった。
「大丈夫っ?! 古谷さんっ!?」
そうして横たわる古谷さんに駆け寄って、僕は第一に彼女の安否を確かめた。 しかし応答は鈍い。 目をぎゅっと瞑り、歯を食いしばるように何かを堪えている風の彼女が苛まれているのは、痛みに違いないだろう。 ではその痛みの原因は一体何なのだろうか。 真っ先に思い付いたのはやはり、先の激しい転倒による負傷の線だった。 擦っている部位をぶつけたか、もしくは捻ってしまったのかも知れない。
いずれにせよ、当人がこれほどまでに苦悶の表情を浮かべているのだから、最悪の場合、骨にまで異常を来たしている可能性も無いとは言い切れない。 となれば、医療分野においてまったくの素人である僕に、彼女の身体を動かす事は出来ず、第一に駆け寄ったはいいものの、それっきり僕は、彼女が痛みを堪えながら顔を歪めて辛そうにしている様子を、ただじっと見守る事しか出来なかった。
それからまもなく、異変を察知した男の先生がこちらへ駆け寄ってくる。 次に『救護係』という腕章を付けた生徒が二名、近づいてくる。 その内の一名は、玲さんだった。 昨日から何かしらの球技で姿を見かけないなとは思っていたけれど、そういう役割を担っていたのかと納得したのも束の間、彼女は僕に目もくれず、先生と共に古谷さんの怪我の具合を確認していた。
救護の邪魔になるだろうと思い、僕は古谷さんから少し離れた場所に退いた。 先生は古谷さんに怪我の具合を訊ねている。 そうして彼女に二言三言の問いを掛けた後「担架持ってきて」と救護係の二人に指示を出した。 それから無言の頷きと共に先生の指示を肯ったらしい二人は体育館内のどこかに常設されていたであろうそれの場所へと走り出し、間もなく戻ってきて、持ち運んできた担架を古谷さんの真横へと設置し、先生と協力しながら古谷さんの身体を優しく担架へと乗せた。 そして救護係の二人は担架を持ち上げて、体育館を出ようとしていた。
「――僕も行きます」
何故この場面で、そうした言葉が僕の口から出たのかは分からない。 けれど、そうでもしなければ、怪我をしてしまった古谷さんに申し訳が立たないと思ったのだ。 しかし、担架の前方に居た玲さんは振り向きざまにきっと僕の顔を鋭く見据えるや否や、
「来てどうなるのさ。 これは救護係の仕事だよ。 キミが居ても邪魔になるだけだから」と僕の同行発言に対し冷淡に拒否の姿勢を取ってくる。
「でも」
「でもじゃないっ!」
「……」僕は何も言えなかった。
「さ、保健室に向かうよ。 後ろは足元見えにくいから、階段には気をつけてね」
玲さんはしどろもどろする僕を一喝した後、何事も無かったかのよう後方の生徒に注意を促しつつ体育館入り口へと向かって歩いている。 僕の中に燃えていた闘志の炎はすっかり鎮火しており、一人取り残されたかのような心持を抱きながら呆然と佇立し、担架で運ばれてゆく古谷さんと、担架を担ぐ玲さんの背中をただじっと眺めていた。
その後、パートナー不在により、僕の棄権負けが審判より下された。 一緒に居た三郎太や竜之介は『折角優勢だったのに、一人でもやれるところまでやったらいいんじゃないのか』といった不満を述べていたけれど、ルール上でそう定められているのだから仕方無いと、僕は二人を宥めた。
ただ、僕だって不満が無かった訳じゃない。 ここまでの試合で圧倒的にリードしていたのは僕達ペアなのだから、本来ならば僕もここで二人と共に不平不満を述べるべきだったに違いない。 けれど、たとえ一人で試合続行可能だったとしても、既に闘志を無くした僕の敗北は決まっていたようなものだ。 だからこそ、多少の不満は抱きつつも、存外すっぱり棄権負けを受け入れる事が出来たのだろう。
結局、僕達ペアの最終成績は五勝。 相手ペアが二位となり、僕達ペアは三位という結果となった。 逃がした魚は大きい――三位という結果だけ見れば佳良として映ずるかもしれないけれど、それでも、獲得出来ていた可能性のある二位という栄光は僕の脳裏に煌々とこれ見よがしに輝き、皮肉にも僕を燦々と照らし続けている。
光は強ければ強いほど、影は濃くなる。 羨望の光に照らされ作られた、最早輪郭さえも正確になぞれそうなほどに濃密な心の影は、今にも僕の意志から離れて容を成し、独りでに歩き出しそうで、ひたすら不気味だった。




