第二十話 球技大会 7
球技大会二日目。 天候は些か淀んだ曇り空。 昨日より幾分日差しは弱いけれども、湿気は今日の方が上回っており、玄関の扉を開けるや否や、水気のあるじめじめとしたいやらしい空気が素肌に纏わりついてくる。 加えて今日は風も無い。 今日の球技大会、昨日以上の汗は覚悟した方が良さそうだと襟を正しながら、徒歩で駅まで向かった。
定刻通りの電車に乗り込むと、素肌に纏わりついていた湿気が一気に振り払われるような感覚があった。 先月の下旬辺りから電車内は冷房が効いていて、家から駅までの道のりで汗が滲む事も少なくない今の時節には実にありがたいサービスだ。
それでも徒歩の関係で体温が上昇しているから、先ほどまで心肺機能優先になっていた体は必然、次に体温を下げる為に体温調整機能を働かせる。 運動量がそれほど多くなければそのまま体温は落ち着くけれど、気温の高い今の時期になると、たった少しの運動量でも体温が上昇してしまい、その結果、身体は汗を掻かせて体温を下げようと躍起になる。
今日も座席へ座った途端、背中にじわりと汗が滲んでくるのが分かった。 しかし空調で気温と湿度が快適に保たれているお陰で、その汗は間もなく乾いた。 後は額から珠になりつつある汗の滲みをハンカチで何度か拭き取り、ようやく汗も体温も落ち着いた頃、僕は鞄の中から小説を取り出して読み始めた。 停車駅ごとに確認した空は、やはり灰色のまま重苦しく停滞を決め込んでいた。
「おはようございます、ユキくん、神くん」
共に登校した僕と竜之介を見かけて、教室内で古谷さんが挨拶をしてきた。 僕達は共に彼女へ挨拶を返した。 そう言えば昨日は早めに就寝して古谷さんとの日課となっているSNSでのメッセージのやり取りが出来ていなかったなと思い出したので、
「昨日はごめんね、メッセ送れなくて。 球技大会の疲れもあって二十一時にはもう寝ちゃってたんだ」と彼女へ単簡に詫びた。 すると彼女も「実は私も二十二時過ぎには寝てたので気にしないで下さい」と返してきた。 僕と同様、古谷さんも球技大会の疲れがあったのだろうと推察した僕は、
「そっか、ならよかった。 今日も頑張ろうね」と言って、彼女に微笑みかけた。
「はい、早く寝たお陰で疲れはばっちり取れたので、今日は動けなくなるまで頑張ります!」
朝から古谷さんの志気は高そうに思われた。 これは僕も昨日以上に頑張らねばと意気込んだ後「張り切りすぎて怪我しないようにね」と返し、昨日の夜のやり取りが無かった分、ホームルーム開始のチャイムが鳴るまで話頭を転じながら古谷さんとの会話を弾ませた。
――実際のところ、古谷さん同様、僕の志気も高い方だった。 球技大会二日目の開会式までは今日も難なく全勝してやるさと意気込んでさえいた。 しかし、感情の昂りによる実力の上昇効果は、そう簡単に見込めるものでは無い。 それこそ、それを意図的に見込む事の出来るのは日々鍛錬に鍛錬を重ね続けたプロフェッショナルの人々に限定されていると言い切っても過言では無いだろう。
まるっきり素人の僕がいくら志気を高めたところで、感情の昂りとは裏腹に本来の実力は然程も変化を来さないものだ。 むしろ感情だけが先走ってしまい、運動能力に悪影響を及ぼすデメリットの方が大きいのである。 ――今の僕がまさにその状況に陥ってしまっていて、本日の球技大会開始後、僕達のペアは特に見せ場も無く、屈辱の二連敗を喫した。
決して自惚れていたわけではない。 今日の対戦相手は全員、昨日の各組を勝ち抜いた猛者だという事は重々承知していた。 けれど、僕達もその猛者の一組であるという事実に胡坐を掻き、驕ってしまっていた節はある。
一組目の対戦相手は三年生で、文字通り手も足も出なかった。 その試合後、小耳に挟んだ情報によると、何でも男女双方が中学の時分、バドミントンの全国大会に出場経験のある実力者で、過去の栄光もさることながら実力も確かだったようで、昨日行われた各組でのリーグ戦においてそのペアは四試合中三試合を無失点の完全試合で締めくくっていたという。
そうした実力者を相手に、雨の日の体育の時間や、昨日高々四試合こなしただけの僕達が対抗出来る筈も無く、試合は二一対一という無残な成績に終わった。 僕達が獲得したなけなしの一点も、相手チームがアウトだと予測して見送った僕のロブショットがたまたまライン上に落ちて獲得出来た偶然の産物であり、肝心の打ち合いでは完全に打ち負けていたほど、相手との実力は当に天と地の差だった。
二組目の対戦相手には、前の試合よりは善戦出来ていたと思う。 けれど、一試合目から圧倒的な実力差を見せ付けられて動揺していたのも事実で、おまけにほぼ連戦に近かった事もあってか、こちらも十点以上の大差を付けられたまま敗北した。
一年が総合点上位になる――昨日、僕が描いていた夢物語は、早くも崩壊の兆しを見せ始めている。 と同時に、僕の気持ちも深く沈降してしまっていた。




