第五話 再呼出 3
この時、僕の心には妙な探究の性とも言うべきか、いわゆる好奇心というものが芽生え始めていた。 お互いに顔も合わせた事の無い関係でありながら、僕に関する『何』かを知ろうとしているその人の動機を、心情を、知りたくなってしまっていたのだ。
「ふふ、何ですかそれ、顔も知らないのに僕に聞きたい事があるんですか? ――いいですよ、放課後どこへ行ったらいいですか」
些かの失笑を含ませながら、その決断が不敵だとは認めつつも、僕は『アキラ』と呼ばれる先輩に会う事を承諾した。
『お~、ありがとー! じゃあすぐに場所決めるから電話そのままでちょっと待っててね。 おーい、アキラー?』
双葉さんはそう言って、恐らく近くに居たのであろう『アキラ』さんに声を掛けている。 スピーカーからはしばらく雑音だけが聞こえていた。
「……で、ユキちゃんその人に何したんだよ」
「……僕が聞きたいよ」
小声でぼそぼそと邪推する三郎太に同じ調子で対応しつつ、スピーカーから『お待たせー』という声を確認して、僕は再び双葉さんとの通話に戻った。
『えっとね、アキラが第三中庭辺りで待ってるって言ってたから、そこで待ち合わせって事でいいかな?』
今双葉さんが口にした第三中庭は実習棟より更に西側に位置する場所で、中庭という響きは良いものの実際は学校全体を囲うブロック塀と実習棟に挟まれた全幅三メートルほどの何の変哲も無いただの通路である。 ただ、実習棟と同じく特定の目的以外であまり人も寄り付かない場所だろうから、今回のような話し合いを設ける場としては色々と都合の良い所なのかもしれない。
「わかりました、じゃあ放課後に。 ――はい、失礼します」
双葉さんとの通話が終了してから三郎太にスマートフォンを返却した後、僕は先の通話内容のあらましを彼に説明した――
「――え、ユキちゃんもしかして先輩に目ぇ付けられたのか? 『アキラ』とかいかにもヤンチャしてそうな名前じゃん。 姉貴も姉貴でそっち系とよくつるんでるからなぁ、今の内に姉貴にお願いして話付けてもらうか?」
「怖い事言わないでよ三郎太。 まだそうだと決まった訳じゃないし。 でも、本当に心当たりが無いんだけどなぁ、何なんだろう」
その懸念は終わりのホームルームまで僕を苛め、結局心の整理もつかないまま放課後が来てしまった。 自分から承諾しておいて今更憂鬱を覚えながら帰り支度をしていると、教室の後方から竜之介がこちらに近づいてきた。
「よっしゃ帰ろうで優紀」
「ごめん竜之介、これからちょっと用事があってね、今日は先に帰ってていいよ」
「なんやそうなんかいや、じゃあしゃあないな、また明日な、ついでにサブも」
声を掛けてくれた竜之介には申し訳ないと思いつつ、僕は教室で彼を見送った。
「俺はついでかよ! まあいいや、じゃあもし万が一何かあったら俺に連絡くれよユキちゃん、姉貴に言って仲裁してもらうからさ」
「相変わらずそっちの心配なんだね。 でもありえないとも言えないから、最悪の場合頼らせてもらうよ」
これから得体の知れない相手と出会う僕を見るに見兼ねたのか、いつもおちゃらけている三郎太がいやに優しく接してくる。 しかし、今の僕にはそれがとても頼もしく思えた。 彼の気遣いを胸に抱きつつ「じゃあ、行って来るよ」と言い残して、僕は待ち合わせ場所の第三中庭へと向かった。
道中、運動場の方から部活中の生徒達の賑やかな声が聞こえてくる。 その声は今向かおうとしている場所に近づくほどに小さくなってゆき、目的地に辿り着いた頃には第三中庭付近に植えられていた木々が風に靡かされてどよめく音だけが漂っていた。 そして、一人の女子生徒が少し離れた場所に佇立しているのを発見した僕は、どうやら『アキラ』という人はまだ到着していないと悟り、しばらくこの位置で待機していようと決め込んだ――
――三分、五分、十分と経過してゆく中、一向に現れない『アキラ』なる人物。 まさか待ち合わせ場所を間違えたのかと今更焦りながらも、あの時確かに待ち合わせ場所は『第三中庭』と聞いていたから、場所は間違えていないはずだと自身に言い聞かせた。 では何故その人は一向に現れないのだろうか。 ちょっと不安になってくる。
そういえば――僕が第三中庭に到着した時、既に女子生徒が居たなと思い出した。 その女子生徒は僕がこの場所に到着してからずっと同じ場所に立ち続けている。 彼女も僕と同様、第三中庭で誰かと待ち合わせをしているのかもしれない。
一瞬、もしやあの女子生徒がアキラなる人ではなかろうかと思ってはみたけれど、よもや女性で『アキラ』という名前の人は居ないだろうと確信的に思い込んでいただけに、その発想はたちまち思考の外へ消え去った。 しかし、このまま待ち呆けていても埒は開きそうにも無い。 いくら寝て待つのが主流の果報も、本当に寝て過ごしているだけでは訪れるべき結果も愛想を尽かして他所へ流れてしまうだろう。 だからこれ以上呆けて待っている訳には行かない。 何事にも限度はある。
かと言って何の目算も無く無暗やたらに動き回ったところでこの状況をひっくり返せるのかと言われれば決してそうではないけれども、それでも動かないでいるよりはよっぽど有益だろうから、僕は僕より先に第三中庭に居た例の女子生徒から何かしらの情報を聞き出す為、彼女の元へ近付いた。
こちらが女子生徒に接近する頃には彼女も僕の足音で気配を察知したようで、僕が呼び出す前にこちらを振り向いて見せた。 雰囲気的に上級生のようだった。
「あの、すいません、この場所に誰か来てませんでしたか」
「ううん、私がここに着いた頃には誰も居なかったけど」
「そうですか、ありがとうございます」
模索虚しく、大した情報は得られそうにも無かった。 ただ、端から収獲を期待していなかった分、成果が無くとも心持は微塵も損なわれなかった。 しかし、これからどうするべきだろうか。 唯一の手がかりと成り得るこの女子生徒が何も知らなかった事から察するに、アキラなる人物はまだ第三中庭には足を踏み入れていないという線が濃くなってきた。
さすがにホームルームなどとうの昔に終わっているだろうし、その人から僕を呼び出したのだから他に用事を作っているとも思えない。 ならばアキラなる人は今一体何処で何をしているというのだろう。 一向に解せない。 せめて双葉さんにその人の特徴だけでも教えてもらっていればこちらから探す手がかりとなっていたかも知れないのにと、僕は今になって双葉さんにその人の特徴を訊ねなかった事をひどく後悔した。
「君、誰かと待ち合わせしてるの?」
そうして、僕が悩みあぐねて途方にくれている最中、声を掛けてきたのは先程の女子生徒だった。
「はい、そうなんです。 でも、中々現れないみたいでちょっと困ってます。 時間と場所は合ってると思うんですけど」
「その人の特徴とかは?」
「実は何も知らされてないんですよね。 分かってるのは三年生の先輩って事と『アキラ』っていう名前だけで――」
僕がその名を口にした途端、その女子生徒はどこか驚いた様子で僕を見据えた後、何かを悟ったような表情を覗かせながら僅かに微笑んだ。
「そっか、君がアヤセ君か。 まったく双葉ったら、私の事何も教えてなかったなぁ? ほんといい加減なんだからあの子」
何故か双葉さんの名前を口にしたその女子生徒は、今確かに僕の名前を呼んだ。
「あの、あなたは」
「私は坂井玲。 君の探してた『アキラ』だよ」
どうやら僕は、とんだ勘違いをしていたらしい。




