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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第二部 私(ぼく)を知る人、知らぬ人
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第十九話 三者三様 12

 彼と共に自宅へと辿り着いた私は、カーポートのひさしの下で彼の傘の保護から外れ、彼と対面した。


「送ってくれてありがと、正直助かったよ。 でもごめんね、いくら学校から家が近いって言ってもキミにとっては遠回りだったし、無駄足踏ませちゃったね」


「いえ、気にしないで下さい。 それよりも先輩が雨に濡れなくて良かったですよ。 今度またこんな事があったら遠慮せずに僕に連絡下さいよ? 家が近いって言っても濡れる事に変わりは無いんですから」


「うん、分かった。 今度からはそうさせてもらうよ。 ――あ、良かったらうち、寄ってく? 送ってくれた恩もあるし、お菓子くらいはご馳走するよ」


 ここまで彼に恩を受けっぱなしというのもばつが悪いから、私は菓子を持て成すから訪問していかないかと彼を自宅へと招いた。


「……お誘いは嬉しいですけど、今日はこのまま帰ります。 実は家族にちょっとお使いを頼まれてて、地元に帰った後に買い物しなきゃならないんですよ。 また機会があったらお邪魔させて下さい」


 しかし今回は振られてしまったようだった。 彼に用事があるのなら無理に引き留めるのも悪い。 私は「そっか、分かった」と彼の言葉を聞き入れた。


「 ――それにしても、今日のキミはちょっと男らしかったよ。 少しは男ってものが分かってきたんじゃない?」


「そう言ってくれると嬉しいですね。 でも、まだまだですよ。 未だに僕の中に女のかたちは残っていますし、あの子の事もまだ、男として好きになってあげられないでいますから」


「まぁそこまで思いつめる事も無いでしょ。 私と出会ってから一ヶ月そこらでそこまで行けてるんだから、そのまま頑張ればきっとキミの望む結果に辿り着けるよ」


「……そうですね。 まだまだ玲さんには迷惑を掛ける事もあると思いますけど、その期待を裏切らない為にも僕は必ず男というものを見つけます」


 彼の意志を改めて耳に聴き、それから二言ふたこと三言みこと言葉を交わした後、彼は「じゃあ、僕はこれで」と軽く会釈をし、私に背中を向けて歩き始めた。 私はその背中に「またね」と語りかけた。 すると私の目に、ある変化が映った。


 先程までは比較的近距離に居たから気が付かなかったけれど、いま遠目から彼の体を見てみると、彼の白い学生シャツの右肩辺りが濃く変色している。 どうやら、彼の肩はいずれかの拍子に雨に打たれていたらしい。 私はそのいずれかの拍子(・・・・・・・)に目星を付けた。


 彼の右肩が濡れてしまったタイミングは、恐らく私が必要以上に彼に近づかまいと配慮して、彼との距離を開けていた時だろう。 その時に彼は私が雨に濡れまいかと気遣って、自分より私の方を優先して傘を向けてくれていたに違いない。


  私の余計な配慮の所為せいで、あれだけ雨に濡れるのを嫌っていた彼を雨に晒してしまったという事実は、私に心苦しさをいだかせた。 と同時に、自身が濡れてしまう事すらいとわずに、それでも私を濡れさせまいと気を遣ってくれていた彼の優しさに――いえ、彼の男らしさ(・・・・)に、私は心を打たれた。


「大丈夫、キミなら見つけられるよ、キミが望む本当の自分を。 それまでは私が手伝ってあげるからね」と、私は彼のだんだんと遠ざかってゆく背中に語り掛けた。


 ――彼の努力を知る者は、恐らくこの世界で私だけだろう。 だから、いくら彼が努力を重ねて変わろうとしたところで、周囲の人間に彼の努力が伝わる事は無い。


 彼のそうとしている『男になる』という為事しごとは、普通の男性ならば当たり前にこなせる事であり、けれど彼にとってその普通(・・)は普通では無く、むしろ苦痛(・・)以外の何ものでもなかったに違いない。 それでも彼は耐えがたき苦痛に耐えながら、自身のうつわに本来有らねばならなかった筈のモノを、自らの手で作り上げようとしている。 その為事しごとは、並大抵の精神力では遂行出来やしないだろう。


 当然だ。 自分といううつわの中にあらかじめ用意されていた性別を押し殺し、まるで正反対の性別を取り入れようとしているのだから。 言ってしまえば、創造主たる神に反旗はんきひるがえしているようなものだ。 そうして彼は神の気まぐれに翻弄ほんろうされつつも、本当の自分を見つける為、一人であらがい、一人で戦い続けている。 その殊勝さには私も頭が上がらない。


 けれど、先に述べた通り、そうした彼の努力が世間に認められる事は、無い。

 努力の種類にせよ、それが認められないのはとても辛い事だ。 まるで悲劇に相違無い。 この世にあってはならない盲目さだ。


 ――だからこそ私が、彼の努力をそばで見守り続けてあげなければならない。 そして今日のように、彼の努力を感じ取れる場面があったら褒めてやろう。 そうでなくては不公平だ。 自分の意思とはまったく関係無しに "普通" というの中からはじき出されてしまった迷子の彼を導いてやれるのは、私だけなのだから。


 私は彼の姿が見えなくなるまで、彼の背中を見送った。



 ―幕間― 『うっかり』




 帰りの電車内で、僕は自身の右肩辺りの違和感に気が付いた。

 左手で右肩付近を触ってみると、いささか湿り気がある。 どうやら、玲さんを家まで送っている最中、知らずの内に雨に濡れてしまっていたらしい。 感覚とは面白いもので、先程まで全く気にしていなかった右肩の濡れを感知した途端に、右肩周辺がじんわりとべたついて来る感覚を得た。


 少し気持ち悪い。 けれども、玲さんは濡れていなかったようだし、それなら僕が濡れた甲斐もあっただろう。 それに、僕のこれ(・・)もすぐ乾きそうだから問題はなさそうだと、僕は肩の濡れを名誉の負傷と誇りながら、今日借りたばかりの小説を鞄から取り出して早速読もうとした。


「あっ」


 鞄を開けて間もなく、覚えず僕は声を漏らした。 その声につられて周囲に居た数名の乗客がこちらを向いた時には少々顔を赤くした。 しかし、これ(・・)の存在をすっかり忘れてしまっていたのだから、つい声を漏らしてしまうのも仕方が無い。


 僕が鞄の中に見たのは――例の折り畳み傘だ。 僕とした事がうっかりしていた。 この折り畳み傘がある事に気が付いていれば、玲さんも一人で家に帰る事が出来たというのに。 今になって、実は折り畳み傘があったんです、などと軽々しく言ってしまったら、きっと玲さんはぷんぷん怒るだろうから、この事は内緒にしておく方が吉だ。


 ――それにしても玲さんは、僕が距離を詰めた時にえらく動揺していた。 一体何を気にしていたのだろうか。 玲さん()女性なのだから、何も気にする事は無いと言うのに。 しかし、そんな事を本人に直接確認してしまっては、また例の如くお小言が飛んでくるのは火を見るより明らかである。 だから、この件についても黙っておくのが吉だろう

 僕は玲さんの不可解な態度に関する思考を頭の外に放り出した後、小説の表紙をしばし眺めてから数ページめくって本文に目を移した。 一行目は、こう始まっている。


『 傘を持たぬ私を眺めて、雨空が笑っているような気がした。 だから私は御構い無しに、雨の中を駆け出した。』この一節を読んだ後、僕はわずかに口元を緩めた。


 僕が今日図書室へ行かなかったら、玲さんもこの小説の主人公の様に降りしきる雨の中を傘も無しに駆け出していたのかも知れないと、今日の出来事と小説の一節の重なりを面白い巡り合わせだなと評しつつ、ちらと窓を眺めた。


 窓に付着した雨の玉たちが電車の速度に置き去りにされ、次第に進行方向の真逆へ向いて窓をなぞり濡らしてゆく。 どうやら本格的に降り始めたようだ。 しかし、いくら雨が電車を打とうと僕が濡れる気遣は無い。 僕は例の心持を抱きながら、また小説に目を戻した。

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