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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第二部 私(ぼく)を知る人、知らぬ人
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第十九話 三者三様 10

 私は昇降口付近へ辿り着いたなり目をぱちくりさせて、とある光景を疑った。

 昇降口から校舎に入って間もなく目の前に展開されている広間には、縦八メートル、横一二メートル程度の範囲を、高さ四〇センチの奥行きが五〇センチほどの大理石でくちの字に囲っている区画がある。 かと言って、口の字に囲われた区画に特別な何かを飾っているという訳でも無く、この空間が何の為に建設されたのかは未だに謎だけれども、その区画が昇降口付近にあるという事と、ちょうど腰が掛けやすい高さともあってか、しばしば下校時の生徒の待ち合わせ場所に利用されている。


 そしてその場所に、十分前、既に下校を果たした筈の()が腰を掛けていたものだから、思わず私は足を止めてしまって、その立ち止まった足音で私の気配に気が付いたのか、彼は自身の足元付近に向けていた視線をこちらへ向けてきて「あ、先輩、どうも」と、私の姿を確認するなり平然と会釈をした。


 彼の行動の意図が全く読めなかった私は「さっき帰ったんじゃないの?」と、怪訝けげんさを隠そうともせずに率直に聞きただした。 すると彼は「いや、ちょっと気に掛かった事があって」と要領を得ない応答をした後その場へ立ち上がり、すたすたとよどみなくこちらへと向かってきて、私の目の前で足を止め「先輩もしかして、傘持ってないんじゃないですか?」とたずねてきた。 一体全体どこで確信を得たのか、彼は私が知られまいとしていた傘の件を見事言い当てた。 何の脈絡も無しに私が傘を所持していない事実を面と向かって追求されたものだから、覚えず私は彼の目の前で動揺を晒した。


「何で、分かったの?」


 ここまで露骨に態度に出してしまうと、いくら弁明を果たそうとも意味を成さないだろうと悟った私は、素直に彼からの追求を認め、その上で、何をって彼にその事実が判明したのかを聞きただした。


「まぁ、言ってしまうと勘なんですけど、僕は通学の電車内での時間つぶしの為に本を読んでて、その本はいつも図書室で借りてるんです。 それで、一週間に一度以上は必ず放課後に図書室で本を借りるんですけど、その時に玲さんの姿を見かけた事は無かったから、ちょっと引っかかったんです。 最初は珍しいな、先輩も何か借りに来たのかなと思ったんですけど、僕が図書室にいる間には本を探そうとする素振りも無かったですし、かといって勉強する訳でもなく外ばかり眺めていたので、もしかしたらそうなんじゃないかな? って思ったんです」


 そこまで深く推察されては最早ぐうの音も出ない。 私は自身の詰めの甘さを心中で叱責したのち、私の傘を持っていない理由を彼に白状した。


「――傘の盗難、ですか。 そういえば以前うちのクラスにも傘を盗られたと言っていた生徒がいましたから、きっと常習的にやっているんでしょうね」


「私が一年の時からこの盗難は後を絶たなかったみたいだし、おそらくそうだろうね。 ……まったく、よく人のモノを平気で持っていけるよね。 もし犯人が私の目の前に居たら、一発ひっぱたいてやりたいくらいだよ」


「じゃあ玲さんも、仕返しにその辺の傘を持っていったらどうですか?」


 彼にとってその言葉は、冗談(まが)いのものだったのかも知れない。 けれど、たとえ冗談の範疇はんちゅうであろうとも、彼が私に奴ら(・・)と同様の罪を犯せとうながしてくるとは思わなかったから、私は眉間に深い嫌悪の色を塗りたくって、彼をきっとにらんだ。


「そんな事する訳ないでしょ。 盗られたら盗り返すなんていたちごっごをする奴なんてのは、自らの人間が出来てないのを大声で知らしめてるようなものだよ。 第一、私が誰かの傘を持って行っちゃったら、今度はその傘の持ち主が私と同じ立場になるんだよ? それでその人も誰かの傘を持って行っちゃったら、結局最後に残された人が泣きを見なきゃならない。 私は負の連鎖の一員になるつもりはさらさら無いよ。 だから、そんな馬鹿馬鹿しいものは私で断ち切ってやる。 ……それとも何? キミの目には私がそんな事をするような浅はかな人間に見えてたって訳? 冗談でもそんな事は言わないで」


 冗談なら冗談なりに軽く受け流せば良かったなと、私は言葉を言い終えてから目を伏せ、少し後悔した。 それでも、その程度の冗談に感化されてしまった挙句、彼に当たってしまったのは、少なからず私の心に傘を盗られたという怒りが堆積していたからなのだろうと素直に認めた。 だから、


「ごめん、ちょっと言い過ぎた。 キミに当たるのは筋違いだよね」


 自らが生んだ罪責感に耐え切れなくなった私は、先の八つ当たりまがいの態度を謝罪した。 それを聞いた彼も「いえ、僕の方こそ先輩の気持ちを考えないでいい加減な事を言ってしまってすいません」と私同様に謝罪を果たしてきた。 何だか以前にも似たようなやり取りがあったような覚えがあって、何の躊躇ためらいも無く互いに自分の非を認めてしまう素直さが妙におかしくなってしまった私はつい失笑を漏らした。 それにつられたのか、彼も口元をほころばせながらくすくすと笑っている。


 ――とは言うものの、いくら互いに笑みをこぼせたとはいえ、私の傘盗難事件に寸分も関与していない彼に怒りの矛先を向けてしまったばつの悪さまではぬぐい切れなかったから、


「まぁそういう事でさ、私に傘は無いけど、走って帰ったら数分で家まで帰れるから気にしないでよ」

 私はこれ以上彼に余計な感情を見せてしまわない内に彼と別れようと心に決め、話を纏めに入った。


「いや気にするでしょ。 いくら数分で帰れるって言っても外はこの雨ですよ? 濡れて風邪でも引いたらどうするんですか。 僕が傘持ってますから家まで送りますよ」


 しかし彼にしてはえらく真面目な顔をして私の意見に食い下がってくる。 濡れて困るのは私だけだというのに、一体何が彼の心を動かしているのだろう。 そうした彼の心情の出所は気になるけれど、このまま話し込めば新たな言い争いに発展し兼ねない。 ゆえにここは私が引く方が無難だと推断した私は、


「大丈夫大丈夫、私あんまり風邪引かない方だから。 帰ってすぐシャワーも浴びるつもりだし」とえて悠然ゆうぜんと構えて彼からの申し出を断った。 しかし彼は、


「先輩は大丈夫でも、僕が大丈夫じゃないです。 先輩が傘を持ってないのを知りながらみすみす雨に濡らすような真似をしろって言うんですか」と今日一番の大真面目な顔をして、ただただかたくなに私が雨に濡れるのを許容できないとまくし立ててきた。 彼にとっては至極真っ当な意見をていしているつもりだったのだろうけれど、私の感覚で推量するに、彼は今とてもおかしい事を言っている。


 私が何かしらの損失をこうむる事に対し、当の本人である私がそれを既に許容しているというのに、彼はそれをまったく許容できない――改めて先の彼の言葉を頭の中で反芻はんすうしてみても、過剰とも言える彼の献身さがまるで理解出来ない。 あえて形容するならば、自身の子の危なげな行為に対し事前に叱りとがめる親心のようなものだろうか。 私と彼の関係からするに、どちらかと言うと私の方が親なのだろうけれど。 だからこそ私は彼の発言を『おかしい』と感じたのだろう。

 

「ふふ、何それ。 私は自分が雨に濡れようと構わないのに、キミは私が雨に濡れる事に納得が行かないんだ?」


 だから私は失笑を溢しつつ率直に聞きただした。 彼の献身の出所を。


「そうですよ。 僕は雨に濡れるのが大嫌いですからね。 だからこそ、僕の知っている人が雨に濡れてしまうのを見過ごせる筈が無いでしょ」


「……くくっ、あははははっ!」


 これを笑わずにいられる方がどうかしている。 自身のみ嫌う種類の損失を自身の交友関係にある相手にこうむらせる訳には行かないという彼らしからぬ一種の傲慢ごうまんさは、ここ数日の雨天続きと傘を盗まれた事によって私の心にじめじめと蔓延はびこっていた鬱屈の一切をことごとく吹き飛ばした。 そして彼にとって先の発言は大真面目であっただろうから、私に大笑されるなどとは思いもしていなかったに違いない。 彼はちょっと首をかしげながら「……先輩?」と言いつつ困った顔をしている。


「あーもうっ、キミって変なトコで強情なんだから。 そこまで言うんだったら家まで送ってもらうよ? ただし、ちょっとでも濡れたら文句言うからね」


 何だか無駄に片意地を張っていた私が滑稽に思えてきたものだから、私は先の彼に負けないくらいの傲慢さを以って私の家まで送ってくれと依頼した。 すると彼は、


「ご心配無く。 僕の持ってる傘は結構大きめなので、二人いっしょに入ったところで濡れる心配は無いですよ」と私の不遜ふそんな態度に物怖ものおじする事も無く、彼は紳士然と私の依頼を引き受けた。


 こうして、彼の偏屈へんくつな強情さに押し負けた私は彼と共に一つ傘の下、私の家へと向かった。

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