第三十一話 可哀想な彼
・・・
(コンコンコン)
「うん?
あ、なおくん入って良いよ〜」
余り眠気が無いので、ベッドでウトウトしていたら。
ドアがノックされたので、返事をする。
「ごめん、寝てた?」
「ううん、寝れないから、ただ横になって居ただけだよ」
寝ていたと思っていたらしく、なおくんが謝るが。
私は、それを笑いながら否定する。
「それで、どうしたの?」
「えっと、その……」
「?」
彼が、何か言いたそうにしながらも、ナカナカ言わないので。
私は不思議に思いながら、待っていると。
「千早ちゃん、やっぱり僕、自分の時代に戻らないよ」
「えっ!」
「最後まで、千早ちゃんと一緒に居たい」
思ってもみなかった突然の内容に、私は驚いてしまう。
「ど、どうして……。
だって戻らなかったら、なおくん死ぬまで、この時代を彷徨わないと行けないんだよ!」
「いや多分、その前に、何処かで早々に野垂れ死にすると思うよ」
「だったら直の事、自分の時代に戻らないと!」
彼の言葉を聞いて、思わず身を起こした。
「もう決めたんだよ、この時代に留まると」
「どうしてなの……」
「最後まで、千早ちゃんの側に居たいから」
更に続く信じられない話に、私は理由を聞く事しか出来ない。
「最後まで、千早ちゃんの側に居たら。
その時になるまで、千早ちゃんが生きてて良かったと思って貰えるし。
僕も、千早ちゃんとの楽しい思い出を持って、死んで逝けるから」
「そんなのダメ、なおくん死んじゃダメ!」
(ゆさゆさゆさ)
トンデモナイ事を言う彼に。
私は思わず襟を掴み、揺すりながら思い留ませる。
「すぐに死ぬっていっても、私が死んだ後。
なおくんはその間、ずっと苦しむ事になるんだよ」
「大丈夫、千早ちゃんが逝った後、僕もすぐに後を追うから」
「いやっ! そんな事言ったらダメだよ!」
なおもトンデモナイ事を言う、なおくんが悲しくて。
とうとう涙が流れ出した。
・・・
「いいよ、どうせ自分の時代に戻っても、何の為に生きているのかも分からないんだし」
「えっ?」
なおくんの意外な言葉に、俯いていた顔を上げる。
「今日の午前中、僕の母親が、僕の世話さえロクにしなかった挙句、僕の事を置いて男の所に走った事。
そして父親も仕事に夢中になって、僕の事を放置していた事を話したよね。」
「……う、うん」
私は、駅に行く時の事を、思い出す。
「だから、幼稚園児の頃、家に誰も居なくて、寂しい思いをしていたんだよ。
で、寂しさを紛らわせる為に、家に有る色んな本を読み耽ったんだ。
そんな有る日、たまたま母親が若い頃読んでいた少女マンガを見つけて読んだら。
世の中には、こんなに優しくて温かい世界が有るのかと思い。
そして、女の子と関わるとこんなに穏やかな気分になると思って。
それから女の子と、積極的に関わるようになった」
「そうだったの……」
ああ、だから、なおくんは少女マンガを読んでいたのか……。
「小さな頃は、女の子たちと、お互い仲良くなっていたけど。
小学校に入ってから、だんだん女の子たちが変わって行って。
それに従い、僕との関係が悪くなって行ったんだよね。
小さい頃は、ほら“あの公園での女子高生たち”、あんな風な感じだったんだけど。
大きくなるに連れ、中身が駅で見掛けたり千早ちゃんを襲った、“あの不良みたい”に、柄が悪くなって行ったんだ」
「そう言ってたよね……」
「僕は、そんな女子から罵声を浴びたり、蹴りを入れられた事さえ有るんだよ」
「それも聞いた……」
「僕だけなら、“知らない内に、何かしたんだろうな”と思うけど。
他の、気に入れらない男子にも、同じ事をしていたから。
まず、それは無いとは思う。
要するに、自分たちにメリットがある男子にしか、眼中に無くなってしまったと言う事だね。
だから、少なくとも女子の中に、親しい娘なんて皆無だよ」
「……」
昼間に聞いていた未来の話で、初め聞いた時はビックリしたけど。
しかし、何回聞いても、信じられない内容である。
「でも、なおくんモテそうだと思うけど、こんなにキレイな顔だし、優しいし」
「ううん、僕なんて、向こうでは普通にドコにでも居る、平均的な存在だから全然モテなかったよ。
むしろ向こうでモテるのは、“粗暴な二枚目”だよ。
この時代で例えるなら、ん〜っ……。
“テレビで出てくる二枚目”の脳みそを、“駅前や千早ちゃんを襲った不良”と入れ替えたみたいな感じかな……」
「それだったら、乱暴に扱われるんじゃ……?」
「向こうからしたら、それが“男らしく見える”みたいだけどね」
彼の話を、信じられない思いで聞いているが。
当のなおくんは、顔を僅かに顰めていた。
「中でもショックだったのは。
僕の家の隣に“水樹ちゃん”って言う娘が住んでいて、幼稚園の頃はとても仲が良く、いつも一緒に遊んでたんだけど。
その娘も、小学校に入った頃から、僕への態度が段々冷たくなって。
終いには、別れを突きつけれてしまった……。
僕はその事が原因で、ついには現実の女に幻滅してしまって。
それから、コンピュータが作った歌手やアイドル、コンピュータでの疑似恋愛に夢中になったんだ」
……なおくんは、そんな目に会ってたんだ。
だったら、自分の時代の女の子をアンナ風に言うのも。
現実に居ない女の子に走るのも、何となく理解できる。
「男子にしても、小中学校の頃までは、そこまで深い関係じゃないけど、何人かは友達が居たのが。
高校に入ってからは、誰も居なくなって。
その入った高校は、人間関係が苦痛になる様な、まるで教室自体が全体主義的な社会になっていて。
お互いがお互いを相互監視して、それから少しでも外れると皆で攻撃する。
まあ〜、この時代で言えば教室が、ソ連や東欧諸国みたいになっているんだよ。
あ、そうそう、そのソ連は21世紀になる前に、崩壊して無くなり。
東欧諸国も民主化して、共産政権ではなくなってしまっているね」
「ええっ〜!」
不意に思わぬ話を聞いて、驚きの声を上げる。
ーーあのソ連が崩壊していたなんて……。
予想もしない未来の話に、私はしばらく思考が停止してしまう。
・・・
「学校がそんな感じだから、親しい人間どころか教室に居ても息苦しいし。
だから、僕は学校に登校するのを拒否してしまって。
今は学校自体は辞めてはいないけど、ずっと学校には行ってないんだ」
「それって、なおくんだけ?」
「違うね、僕の時代だと別に珍しい事ではなくて。
大なり小なり、どこの学校でも有る事で。
もう色んな意味で、日本の教育自体が崩壊しようとしているんだろうね」
なおくんが話す、未来の学校の話を唖然として聞いている。
「そんな訳で、僕は仮に自分の時代に戻らなくても、誰も悲しむ人間なんか居ないんだよ。
だから、この時代に残って、最後まで千早ちゃんと一緒に居たいと思った。
例え最後が悲惨でも、少なくとも楽しかった思い出を胸に抱いて死ねるのだから」
「ダメ、そんなのダメだよ!」
最後に、悲しい笑顔を作りながら彼が言うと。
その馬鹿な考えを、私は何とか変えさせようとする。
「私の為に、なおくんが不幸になるなんて許さないし。
不幸になる為に、なおくんが自分の時代に戻らないのは、私は悲しいよ」
「えっ?」
「私の方こそ、やっと理想の男の子と出会えて、素敵な恋愛が出来て。
生きてて良かったと思えたんだよ。
私の方も、なおくんとの思い出を胸に、残りを生きる事が出来るから。
だからなおくんも、私との思い出を胸に抱いて、向こうで最後まで生きて!」
「千早ちゃん……」
「私、なおくんの事が好きなの!
最初に、なおくんと会った時から好きなの!
だから、お願い、私の為に生きて、死んだらダメ!」
私は何とか、なおくんの考えを変えさせようと、彼への思いを全て曝け出すと。
なおくんの目から涙が溢れ出した。
(スッ)
(ギュッ)
多分、溢れた涙を隠そうと、なおくんが下を向いたが。
そんな彼の事が、何だか愛おしくなり、思わす頭を抱き締めてしまう。
(なで……、なで……)
なおくんが下を向いた状態なので、彼の広い背中が見えたから。
その背中を優しく撫でる。
撫でる感触が気持ち良いのか、小さな溜息が聞こえた。
「ねえ、なおくん。
私は、少なくとも私の所為で、なおくんが不幸になるだけは嫌なの。
お願いだから、自分の時代に戻って。
なおくん、私なおくんが好きなの、なおくんはどうなの?」
「僕も、僕も千早ちゃんの事が好きだよ!
最初に日記を見てから、こんなにキレイで優しい女の子が現実にいるなんて。
とても信じられなかった!」
「だったら、お願い、私の為に自分の時代に戻って」
彼の心が揺らいでいる様なので、私が更にダメを押すと。
なおくんも、私への思いを口にしてくれた。
「私は、なおくんの事を愛しているよ」
「千早ちゃん、僕も千早ちゃんの事を愛しているよ」
二人は、お互いの思いを確かめ合うと。
なおくんが私に抱き付き、甘えて来た。
ーーこの男の子は。
母性を含めた女性の優しさや、暖かさを求めていたんだな
私は彼が、一体、何に飢えていたのか初めて分かった。
その求めていた物が分かった途端、なおくんの事が可哀想になった。
母親から与えられなかった挙句、去られてしまい。
それを求めて女の子たちに近づいても、次第に離れていった末に、嫌悪される様になってしまって。
そして、現実に失望してしまった結果。
現実には居ない、コンピュータの女の子たちに救いを求めてしまった。
そこまで分かった私は。
私の胸に顔を埋めていた、なおくんの頭を更に抱き締める。
すると彼が、私の胸で声を殺して泣いていた。
(なで……、なで……)
(とん……、とん……)
私の胸で泣いている、なおくんの背中を優しく撫でたり、叩いたりする。
(すーっ……、すーっ……)
その内に、彼が眠り込んでしまったらしく。
微かな寝息の音が聞こえてきた。
ーー今度は私が与えて上げたい。
私は、なおくんから生きている喜びを与えてくれた。
だったら今度は、私が彼に女性的な優しさや暖かさを与えたい。
そんな事を思いながら、私は寝ている彼を抱き締めつつ、背中を撫で続けていたのであった。




