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倉掃除のバイト 前編

 ――世の中には、あまり知られていないバイトがある。

 大学一年の冬休みのことだった。凛は、生まれて初めてバイトをすることにした。

「旅行代でしょ、脱毛代でしょ、ライブ代でしょ、洋服代でしょ。もう、行動範囲が広がるだけで、一体いくらお金が必要になるの!」

 冷房の壊れたリビングで扇風機の生暖かい風を受けながら、凛は電卓を弾いていた。

「そんなに金、金、金って、そんなに金が欲しいならいっそ大学なんか行かずにさっさと就職すりゃ良かったんだよ。バカみたいに高い金払ってさあ、どうせろくに勉強もせずにサークル仲間とワイワイ遊んでるんだろ」

 同じ部屋のテレビの前にいた弟が口をはさんだ。まだ高校生なので、働くことも大学に通うこともよく知らない、部活人間である。凛は言った。

「あのねえ、人間誰しも生きている限り働かなきゃいけない時がやってくるの。だけどそのタイミングは人それぞれ。自由なわけ。どうせ四十年近くも働き続けなきゃならないんだから、四年くらい無駄に消費したってなんてことないでしょ。あと私はサークルになんて入ってないし、友達だって片手に数えられるくらいしかいないんだからね!」

「ふうーん」

 弟は馬鹿にしたように笑いながら、冷蔵庫からアイスを取り出す。凛はじろりと弟を睨みつけた。

「あっ、でも俺いいバイト知ってるよ」

 何かを察した弟は慌ててそう付け足した。

「いくら貰えるの?」

「一日間働いて五万円。隣町のバイトだよ」

「人を騙すときはもっとリアルな話を作りな」

 凛は一瞬ギラギラと目を輝かせたが、少し考えて我に返った。

「嘘じゃない。曰くつきのバイトなんだよ。隣町のナントカって山のてっぺんに神社があるだろ? あそこの爺さんの孫が俺の先輩なんだよ。部活でよく話すんだ。その人が言ってた。『毎年密かにバイトを募集してるけど、全然人が集まらない。運良く雇えたとしても、みんな怖がって半日ももたない』って」

「そりゃ面白いね。私、心霊体験なら夏休みにおじいちゃんの家でお姉ちゃんと体験済みだよ。で、仕事内容は何なの? 巫女の格好でもするの?」

「しないよ。仕事は神社と爺さん家の蔵掃除。俺も結構前に行ったことあるけど、すごいでかい蔵でさ。家は誰も住んでないような山奥にある。昔はお屋敷だったとかなんとか」

 弟は溶けかかったアイスを一気に口に押し込んだ。そして一息ついてこう言った。

「でもそこ、確実に何か出るんだってさ」

「そりゃあ、あの山には心霊トンネルだってあるくらいだし、変なものが出たって不思議じゃないでしょ。決めた。私ちょっと行ってくるわ。たった一日怖い思いをしながら掃除をするだけで、お金貰えるんだから!」

 凛は当然のようにそう答えた。


 その日はすぐに訪れた。弟が言っていた神社の爺さんは大倉さんといった。

「いやあ、助かった、助かった。うちでは毎年暮れになると境内と蔵の掃除をするんだけど、人手が足りなくてねえ! ところで君、最初に言っておくけど、怖いのは平気かい?」

 大倉さんは、化け物の類が住み着く神社の神主の割には陽気な爺さんだった。

「ちょっと物が勝手に動いたり、知らない人間の声が聞こえたり、枕元に女が立ってたりするくらいじゃビビりませんよ」

「……そりゃあいい。なによりだよ」

 二人は森の木々に囲まれた細い砂利道を歩いていた。途中までは車で入ってきたのだが、この道の手前に駐車場があり、そこから先は徒歩でないと入れないようになっている。やけに空気が冷たい。鳥たちの鳴き声もほかの場所と比べて、明らかに少ない。

 三分ほど歩いただろうか。所々苔むした白い鳥居が姿を現した。その奥には古臭い建物が見えている。鳥居をくぐる時、何者かが境内から姿を現した。

「こんにちはー。今日はわざわざどうも! 邦枝といいますー」

 元気なお婆さんである。凛も話には聞いていたが、これが大倉さんの奥さんである邦枝さんらしい。

「境内の方は私がやっておくからいいわ。凛ちゃんはこの人と蔵の掃除をお願いね。そこの道をもっと奥に入ったところにあるからね」

 邦枝さんはそう言うと、再び境内の中へ戻っていった。色褪せた橙色のエプロンに、朱い頭巾をしている。

「ほれほれ、こっちだよ」

 凛が邦枝さんの後姿をぼうっと眺めていると、大倉さんに声をかけられた。彼はしわだらけの手で凛を手招きしていた。その手の動きが、妙にゆっくりして見えたような気がした。

 大倉さんに案内されるまま、邦枝さんが言っていた奥の道へと足を踏み入れると、更に空気がひんやりとしてくるのを感じた。道は林の奥へと繋がっている。

「ほれ、見えてきた」

 大倉さんは前方を指さして言った。足元に注意して歩いていた凛は、一端顔を上げ、その指が向けられた方向へ目を向けた。木々の間から微かに覗く、灰色のずっしりとした建物。それが問題の蔵であるらしかった。

 林を抜けると、そこには広い庭が広がっていた。正面には古びた大きな家と雨水の溜まった小さな池があり、右手には例の蔵があった。蔵の扉はすでに開いており、まるで大きな化け物が真っ黒な口を開け、凛たちを待ち構えているようだった。

「早速始めるかな」

 大倉さんはそう言うと、すたすたと当たり前のように蔵の中へ消えた。その瞬間、凛は自分の真後ろに何者かの気配を感じ、ぎょっとして振り返った。しかしそこには何者の姿もなかった。

 考えすぎだと思い、小走りで蔵の中へと入る。しかし、ここでも凛は複数の視線を感じた。蔵の中は埃っぽく、今まで嗅いだことのない独特の臭いに包まれている。

「物は外に出さなくていいから、ちょっと動かして、その下を雑巾で拭いてくれるかい?」

「え? それだけでいいんですか?」

 凛はもっと大規模な大掃除を想像していたので、大倉さんの言葉に自分の耳を疑った。

「ここにあるもんは蔵の外へは持ち出せない。昔からそういう決まりがあるんだよ。一度だけ、私も中にある人形や仏像を外に出したことがあるけど、その瞬間、蔵の壁に大きな亀裂が走ってね。嫌な予感がしたもんだから、もう一度蔵の中に戻しておいた。すると不思議なことにその三日後、亀裂の入った壁は綺麗に元通りになっていたんだよ」

 大倉さんは遠い昔の青春時代を語るように生き生きとしていた。確かに言われてみれば、蔵の中には書物や米俵などに混じって、人形や仏像などの姿が見える。先ほどからずっと誰かに見られているような気がしてならなかったが、どうやら彼女を見ていたのはこの人形たちのようだった。

「あの人形は何なんですか?」

 凛が尋ねると大倉さんはうーんと唸ってから、少し間をおいて答えた。

「詳しいことは、私にもよくわからない。けれどね、ずいぶん昔……私が生まれる前だったかな。どこか特別なルートで持ち込まれたことには違いない。とある骨董品屋を通じて」

「骨董品屋?」

「そう。とても人には売れない代物を、うちで引き取っている」

「聞かなきゃ良かった」

「なに、大したことないさ。ちょっと動いたり喋ったりするだけだから」

「……そう」

 凛は何とも言えない気分になった。そして、骨董品屋という言葉だけが、頭の中にまとわりついていた。

 彼女は今年亡くなった祖父のことを思い出した。無類の骨董品好きで、家の中のあちこちに妙な置物や美術品を飾っていたのだ。

「それじゃあよろしく。私は右側から掃除するから、君は左側から頼むね」


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