77.大橋零の初恋(5)
「小咲のことが好き。付き合って貰えない?」
「え? ……えっ!? ……えええ!?」
放課後の図書室。
二人きりの時を見計らって、私は小咲に告白した。
ありきたりの文句しか思いつかなかった私は、直球ドストレートで行ってみた。
やっぱり小説の才能はないかもしれない、などと頭のどこかで冷静な私がいた。
小咲は最初意味が分かっていなかったようで、脳にそれが徐々に浸透していくにつれ動揺をあらわにした。
「え? 好きってその……友だちとして、じゃなくて?」
「うん。恋人として」
「……零ちゃんは、女の子が好きな人だっていうのは本当だったの?」
「女の人しか好きならないかどうかは分からない。でも、今は小咲が好き」
ここで引いたらダメだ。
小咲は押しに弱いところがあるから、出来れば勢いで頷かせてしまいたかった。
私は言葉を重ねる。
「小咲は私といて楽しくない?」
「そんなことない!」
「私のこと嫌い?」
「嫌いじゃないよ。でも……」
「意外と私たち波長が合うかもしれないよ?」
「そ、そうかもしれないけど……」
だが、小咲は色よい返事をくれはしなかった。
私は焦っていた。
だから、小咲の次の言葉に、私は喜んでしまったのだ。
「ちょっと時間が欲しい……かも。返事は今じゃなきゃだめ?」
「そんなことないよ。この場で断られちゃうよりずっといい。よく考えてみて」
「うん。ありがとう」
「ううん。私の方こそ、突然のことだったのにありがとう」
二人して何となく笑い合う。
「やっぱり、びっくりした?」
「そりゃそうだよ。だって、零ちゃんが女の子に告白するとしても、相手は片野さんだと思ってた」
「詩子さん?」
「最近、すごく仲いいじゃない?」
「まあ、悪くはないね」
でも、私は詩子さんに恋愛感情はない。
「……片野さん、実は美咲ちゃんと幼なじみだって知ってた?」
「え、そうなの?」
「うん。なんか色々複雑みたい」
「どういうところが?」
「それは私の口からは……。片野さんに訊いたら教えてくれるかも」
まあ、そこまで興味があることでもないしなあ。
「とりあえず、図書室閉めよう。もう閉室の時間だから」
「あ、そうだね。零ちゃん、入り口の表札裏返してきてくれる?」
「おっけい」
小咲の側を離れつつ、私は少し安堵していた。
告白しても、今までと変わらない会話が出来ている。
気まずくなることもない。
これなら脈はあるのではないかと思ってすらいた。
甘かった。
返す返すも甘かった。
私は初恋に浮かれて、周りのことが何も見えていなかった。
そのツケは、翌日早くも私に突きつけられることになる。
◆◇◆◇◆
「おはよう」
教室に入るとき、私は必ずこれを言う。
ハブられている美咲のグループからは当然返事はないものの、何人かの中立的な生徒たちからは返事を貰えていた。
昨日までは。
「?」
今日に限って返事が一つもない。
今思えばこの時点でもう気づいても良さそうなものだったのだが、告白直後で浮き足立っていた私は愚かだった。
首をひねりながら自分の席に向かう。
そして、そこには落書きまみれになった机があった。
「なに……、これ?」
乾いた声が漏れた。
机にはマジックでびっしりと言葉が書かれていた。
全てに共通している単語はただ一つ。
――大橋零はレズビアン。
「!」
慌てて小咲の姿を探した。
小咲は下卑た笑いを浮かべる美咲のそばで、私からそっと目をそらした。
そうして、私は全てを悟った。
小咲は美咲に話してしまったんだろう。
考えてみれば、同性から告白されるなんていう一大事が起きれば、小咲は誰かに相談したくなるだろう。
そしてそのとき、一番に名前が挙がるのは当然美咲だ。
さらに、その相談を受けた美咲がどういう対応を取るかは分かりきっていたはずだ。
この事態は小咲のせいではない。
いや、百パーセント無罪とは言わないが、一番悪いのは考えなしだった私だ。
私は、ようやく現実を思い知った。
現実は小説のように綺麗ではない。
友情は必ず守られる訳ではない。
同性愛者はそう簡単に理解されるものではない。
そしてなにより、恋はそう簡単に実らない。
私はそこから先、しばらくの間の記憶が無い。
◆◇◆◇◆
「零さん、大丈夫?」
私が意識を取り戻して最初に覚えているのは、心配そうな表情を浮かべる詩子さんの顔だった。
時刻はすでに放課後。
夕陽が差し込む教室で、私は机に向かっていた。
いつの間にか落書きは全て消えていた。
後から聞いたところ、詩子さんが担任に抗議して取り替えて貰ったのだとか。
「詩子さん……」
「ひどい。こんなことってない」
詩子さんは怒りを表明してくれた。
私が受けた仕打ちの数々を不当なものだと糾弾し、考えられるあらゆる弁護の言葉を私に並べてくれた。
「ありがとう、詩子さん」
「お礼なんて……」
そう言った詩子さんは、どこか潤んだ目をしていた。
その意味するところを、私はすぐに知ることとなった。
「ねえ、零さん。内山さんじゃなくてさ、私じゃダメ?」
内山さんというのは、小咲の名字だ。
そのことはすぐに思い出せたのだが、私は詩子さんが何を言っているのかよく理解出来なかった。
「私、零さんが好きだよ」
不理解の色を察したのか、詩子さんはより簡単な言葉で言い直した。
今度は、理解力が極端に低下していた私の頭でも流石に分かった。
「私を……?」
「うん」
頷くと、詩子さんは私を抱き寄せようとした。
小説であれば、私は詩子さんのことを好きになっていたかも知れない。
でも、この時の私は感情が氷のように固まってしまって、何も感じることがなかった。
それどころか、ああ、詩子さんが最初に私に声を掛けたのは、美咲のグループから私を離れさせるためだったんだな、などと妙に冷静なことを考えていた。
私は詩子さんを突き飛ばした。
「……零さん」
「ごめん」
それだけ言って、私はその場を逃げ出した。
あまりに多くのことが起きて、私はもう限界だった。
何も考えたくなくて、とにかくその場から離れた。
家に帰ると食事も取らずに部屋に閉じこもって、ひたすら泣き続けた。
世界の全てが、悪意に満ちていると思った。
◆◇◆◇◆
私はそれからしばらく不登校になった。
両親は当然心配したが、クラスメイトたちのように距離を置かれることを恐れて、なかなか自分の性的指向について説明することが出来なかった。
ゆえに、不登校の理由であるいじめ(と言えるのかどうか分からないが)も、両親には伝えることが出来なかった。
私が自分のことを両親に打ち明けたのは、不登校になってからひと月がたとうとした時だった。
「そう……」
私の話を聞いて、母親は最初驚いたようだったが、一瞬で立て直して私を抱きしめてくれた。
「あなたのことを百パーセントは理解してあげられないかも知れない。でも、私たちはいつでもあなたの味方よ」
この時の母の言葉を、私は生涯忘れることはないだろう。
あの言葉がなければ、私はおそらく立ち直ることが出来なかった。
父親は黙って難しそうな顔をしていたが、数日後、同性愛を抱える当事者の会に連れて行ってくれた。
私は父が、自分のことを懸命に理解してくれようとしていることを知ってとても嬉しかった。
両親の支えのお陰で、私の不登校は二ヶ月で終わった。
同じ同性愛者の人から話を聞いている内に、私はどこか吹っ切れたのだ。
同性愛に思い悩み、一生立ち直れない人だっていることを考えると、私は本当に運が良かった。
それでも、初恋のことは、ずっと私の心の中に棘として残り続けるだろう。
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