67.決意
幽霊船での戦いから数日後、クレア様と私はルイの実家を訪ねていた。
理由はもちろん、クレア様がそう望んだからである。
「まあまあ、レイちゃん。お久しぶりね」
私たちが部屋を訪れると、ルイの母親――オフリアさんは柔和な笑顔で迎えてくれた。
「横になったままでごめんなさいね。少し体調が優れないの。たいしたことないんだけど……」
「いいえ、おばさま。そのままで結構ですわ」
咳き込むオフリアさんに駆け寄ってそう言ったのは、私ではなくクレア様だった。
「あら、お嬢さんはどなた? レイちゃんのお友だちかしら?」
「いえ、違いま――」
「ええ、そうですわ、おばさま。クレアと申しますの。ルイさんともお友だちでしてよ?」
私には向けてくれたこともないような優しい笑顔を浮かべて、クレア様はオフリアさんに言った。
ジェラシーである。
「まあ、ルイとも? 私に薬を渡してくれたのを最後に、ずいぶん顔を見ていないの。あの子は元気?」
ぱっと表情を輝かせたオフリアの言葉に、クレア様は一瞬凍り付いた。
しかし――。
「ルイさんは……お亡くなりになりましたわ」
告げるべき事を、はっきりと告げた。
「そんな……。そんな、嘘でしょう……?」
オフリアさんは最初、たちの悪い冗談でも聞いたような表情で顔を引きつらせた。
しかし、クレア様の真剣な表情を見て、それが厳然たる事実だということをやがて認識したようだった。
「……あの子は……どうして死んでしまったの……?」
オフリアさんは今にも消え入りそうな声で、それでもなんとか問うた。
「ルイさんは――」
クレア様は何かを言いかけたものの、やがて考え直したように首を少しふると、
「ルイさんは、町を襲った幽霊船を退治するために、仲間を守って亡くなりました」
そう、今のところ、表向きはそういうことになっている。
私は大反対したのだが、クレア様が頑なにその筋書きで行くと言って聞かないのだ。
「ルイさんはとても勇敢でした。彼がいなければ、この町に甚大な被害が出たでしょう」
そう言って、クレア様はオフリアさんの手を握った。
「ルイさんは、この町を救った英雄です」
クレア様の言葉に、オフリアさんはしばらく言葉もなく呆然としていた。
しかし、やがて気を取り戻したように言った。
「そう……、そう……。泣き虫だったあの子が、そんな立派なことをしたの……」
オフリアさんは微笑みを浮かべていた。
そこには息子を誇らしく思う気持ちもあったのだろう。
しかし、その大部分は他の色を帯びていた。
なぜなら――。
「でも……それでも、泣き虫のままでもいいから……私の元に帰ってきて欲しかったわ」
そう言ったきり、オフリアさんは言葉もなく泣き続けたのだから。
◆◇◆◇◆
「貧困とは……恐ろしいものですわね……」
私の部屋に戻りいざ就寝という時に、クレア様がぽつりとそんなことを言いだした。
「クレア様?」
「わたくし、貧しいということが、どれだけの意味合いを持つのかを知らなかったんですわ、きっと」
クレア様は思い詰めた顔をしていた。
私はここは茶化す場面ではないと判断して、クレア様の隣に座った。
「ただ持っているお金の量が違うということではないんですのね。お金がなければ、大切な人の命を救うために道を踏み外すことすらある」
「みんながみんなそうではありませんけれど、確かに裕福な人よりも、選択肢の幅は狭いと思います」
私は努めて優しい声色を作って相づちを打った。
「ルイは確かに悪いことをしましたわ。でも、そうせざるをえなかったじゃありませんの。彼を糾弾するのはあまりにも簡単ですが、それでは事の本質を見誤っていますわ」
「本質、とは?」
私はクレア様が何かをつかもうとあがいてるように感じた。
「貧困は悪です。そして、その貧困を放置しているのは、他でもない為政者……つまり、この国の仕組みそのものですわ」
「それは少し言い過ぎかと思いますが……」
クレア様が極端な思考に走りすぎないように言葉を続けた。
「確かに貧困は悪ですし、この国に責任がないとはいいません。でも、政治が綺麗事だけでは回らないことは、他でもないクレア様が一番よくご存じでしょう?」
「確かに、それはそうですわ。でも――」
「でも?」
私が続きを促すと、クレア様はしばらく考えた後にこう続けた。
「それは理想から現実に逃げているだけではありませんの? 綺麗事を追いかけるのはいけないことですの?」
私はこの愛しい人をずっと守っていきたいと強く思った。
「クレア様が思うとおりになさるといいと思います。前にも言ったとおり、私はクレア様のなさりたいことを応援します」
そう言って、クレア様の手を取った。
「レイ……」
「クレア様の高潔な心を、私は尊重します。現実に逃げないその志を守ります。私をどうかお使い下さいな」
私はクレア様のためなら何だってする。
そう、たとえば、
クレア様を裏切ることだって。
その時が来ないことを私は祈っているが、そうなったとしても私は躊躇しない。
私の優先順位は、永遠に変わらないのだ。
だから――。
「レイ、ありがとう」
そう言って微笑んだクレア様の顔を、私は直視出来なかった。
「そういえば、ルイと戦ったときに一度危ない場面がありましたよね?」
話をそらすかのように、私は全く関係のない話題を口にした。
私が起こした水流の音に、クレア様が気を取られた時のことだ。
「ええ。あれはわたくしの不注意でしたわ」
「でも、ルイの剣はクレア様に届きませんでした。あれって一体どうやったんです?」
私はずっと不思議に思っていたのだ。
「多分ですけれど、原因はこれですわね」
そう言ってクレア様は胸元を探って「それ」を取り出した。
「あ、それ……」
「ええ、学院祭であなたに貰ったアミュレットですわ」
そういえば、そんなこともあったっけ。
「砕けてますね」
「多分これは、身代わりアイテムのようなものだったのだと思いますわ」
身につけている者の身を一回だけ守ってくれる魔道具だったのではないか、というのがクレア様の見立てである。
「そんな効果が……」
「推測の域を出ませんけれど、他に考えられませんもの」
そう言って苦笑すると、クレア様はアミュレットをまた大事に懐にしまった。
「でも、とんだ広告詐欺ですね。いえ、それが理由でクレア様が助かったんですけど」
「え? ……ああ、ええ! そうね、そうですわね!」
私の言葉に対するクレア様の反応が、一瞬、なんだかおかしかった。
「クレア様?」
「何でもないですわよ! ほら、さっさと寝ますわよ! おやすみなさいまし!」
そう言ってさっさと一人布団に入ってしまうクレア様。
なんやねん。
「クレア様、何か隠してます?」
「隠してませんわよ気にするんじゃありませんわよ普段鈍いくせになんですのこういうときだけ!」
がががっと並べ立てられて、私は気圧されてしまった。
しょうがないので、すごすごと隣に入る。
それにしても、フラグ折りというのは難しい。
センディングのフラグを折ろうとハンスさんに手を回したら、それが流れに流れてこんなところへ。
やっぱり、何かを変えようと思ったら根本の原因に手を入れないとダメだ。
上っ面だけでは状況が変わってしまい、ゲーム知識で対処できなくなる分、状況が悪化してしまう。
気を付けよう、と私は思った。
「フラグと言えば……クレア様?」
「なんですの」
「恋愛成就、しました?」
「早く寝なさい!」
ランプの明かりは落としてしまったので私の見間違えかもしれない。
でも、クレア様の顔はほんのり赤かったような気がする。
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