62.平民の生活
「それじゃあ、クレア様のご来訪を祝して……乾杯!」
「乾杯!」
「……乾杯」
「ありがとうございますわ」
果実水の入ったコップを打ち合わせて、夕飯が始まった。
焼きたてのパンに鶏肉の香草焼き、肉団子と野菜のスープ、川で冷やした果物――と、決して広くない食卓に、それでも母が腕によりを掛けた料理が並ぶ。
クレア様が満足できるレベルとは思わないが、平民が口に出来るものとしてはそれなりに豪勢である。
「クレア様、どんどん食べて下さいね」
「え、ええ……」
可愛いお客様を迎えられて喜色満面の母が、クレア様に料理を勧めた。
「……これ、無理強いするんじゃない。クレア様、お口に合わないものは、無理して召し上がらなくても結構ですから」
笑顔でプレッシャーをかける母をいさめて、父はクレア様に言った。
「いえ、頂きますわ」
そう言うと、クレア様は香草焼きにフォークを伸ばした。
こんな平民の家では浮いてしまうほどに洗練されたカトラリー捌きで、鶏肉を口に運ぶ。
「……美味しいですわ」
そう言ってクレア様は微笑んだ。
完璧な笑顔だったが、私には作り笑顔と分かる。
やはり、貴族のクレア様に平民の料理は厳しいのだろう。
そんなことはつゆ知らず、母は次々に料理を勧める。
「こっちのスープもぜひ召し上がって下さいね。今日は贅沢にコンソメにしましたから」
「ありがとうございます」
またも完璧な作り笑顔で、スープを口に運ぶクレア様。
そして、また美味しいと感想を述べた。
貴族のご令嬢に美味しいと言われて母はとても嬉しそうだった。
しかし――。
「あらあらあらあら……? あまりフォークが進んでいらっしゃらないですね?」
美味しいと口では言いつつも、クレア様はそれほど量を食べていなかった。
やはり、平民の食事は口に合わないのだろう。
建前でも美味しいと評しただけ、クレア様にしては大健闘だと私は思う。
「やっぱり、お口に合わなかったかしら……?」
「違うよ、お母さん。クレア様は元々食が細いの。クレア様、そろそろ果物はいかがですか? 取れたてで美味しいですよ」
私はクレア様に果物を勧めた。
果物ならば、普段クレア様が口にしているものと、それほど大きく味は違わない。
「そうさせて頂きますわ。ありがとう、レイ」
にこやかに笑うクレア様だが、見かけほど余裕はないに違いない。
それでも何とか夕飯を終え、私たちは食後のお茶を飲みながら学院のことなどを話した。
「それで、その時クレア様の怯えた顔と言ったら――!」
「お、怯えていませんわよ!」
「あらあらあらあら。クレア様はお化けが苦手なのですね」
私が学院祭の時にクレア様とお化け屋敷に入った時のことを話すと、クレア様は否定し、母は微笑ましいものを見るように笑った。
父は黙って話に耳を傾けている。
「でも、そうすると、海には近づかない方がいいかもしれませんね」
「? どうしてですの?」
海水浴は(私が)楽しみにしていたのだが。
「……最近、海岸沿いでアンデッドが目撃されているらしい」
「お陰で漁師さんたちが困っているの」
両親の話によるとこうだ。
一週間ほど前から、海岸沿いにアンデッドが出没するようになったらしい。
数こそ多くないが、それでも魔物は一般人にとって脅威である。
今のところ町の自警団が数にものを言わせて駆除しているが、それでもだんだんと対処しきれなくなっているという。
「それなら、わたくしたちが退治して差し上げますわ」
話を聞いたクレア様は、自信たっぷりな様子でそう言った。
「まあまあまあまあ。でも、危険ですし、クレア様はお化けが苦手なんじゃありませんか?」
「アンデッドは魔物ですわ。お化けではありませんもの」
ホントに大丈夫なのかなあ、と思いつつ、私はクレア様を止めなかった。
面白いことになりそうな予感がしたし。
「わたくしが来たからには、泥船に乗った気でいるといいですわ!」
「あらあらあらあら。聞きました、あなた? とても助かりますね」
ノリノリのクレア様と嬉しそうな母。
どうでもいいが、泥船はダメだろう。
「さっそく明日、海岸に出てみますわ。いいですわよね、レイ?」
「私は構いませんよ。水着も着ていきましょう。ついでにクレア様の泳ぎの練習も――」
「しーっ! しーっ!」
言いかけた私の言葉を、クレア様が慌てて遮った。
「あらあらあらあら? クレア様、泳ぐのが苦手なんですか?」
「そ、そんなことありませんわよ? 泳げますけれど、もっと上手になりたい、というだけですの」
「それは素晴らしいですね。レイはこの町で育ちましたからお役に立てると思います。レイ、しっかりお教えするのよ?」
「うん」
なんだろう。
クレア様は母に対してどこかいい格好をしたがっているように見える。
気のせいかな。
「……もうこんな時間か。クレア様。もうお休みになって下さい」
「あらあらあらあら。楽しい時間はあっという間ね」
柱時計を見た父が宴の終わりを促してきた。
「そうですわね。お風呂に入って休むことにしますわ」
「……む」
「ごめんなさいね、クレア様。うちにはお風呂はないのですよ」
クレア様にとっては当然の習慣なのだろうが、平民は毎日お風呂に入ったりはしない。
せいぜい濡らしたタオルで身体を清めるくらいで、お風呂は数週間に一度、風呂屋に行くくらいである。
「あ……。そ、そうですのね。分かりましたわ」
「石けんを持ってきていますから、部屋に戻ったらお拭きします」
「そう……。お願いね、レイ」
と、微妙な空気のまま、歓迎会はお開きとなった。
◆◇◆◇◆
「……。わたくし、とても恵まれていますのね」
部屋に戻ってクレア様の身体を拭いていると、クレア様がそんなことをぽつりと呟いた。
「やはり、料理は口に合いませんでしたか」
「……レイのお母様には申し訳なかったですけれど……。こんなに違うとは思っていませんでしたわ」
平民の食事は全体的に味が薄い。
調味料をふんだんに使った貴族の食事に慣れているクレア様には、かなりきつかったはずだ。
「食べ物だけじゃありませんわ。お風呂にも入れないなんて……」
学院にもお風呂があるため意識していなかったのだろうが、毎日お風呂に入れるのは一部の特権階級だけである。
クレア様は、今まで自分が当たり前だと思っていたことが、ことごとく「贅沢」であったことを思い知ってショックを受けているらしい。
「まあ、貴族と平民は違いますよ」
クレア様の身体は綺麗だなあなどと思いながら、私はさらにクレア様の身体を拭いていく。
「……そうですわね。それはわたくしも知っていました。でも、理解は出来ていなかったですわ」
こうして実際に平民の生活に触れたことで、ただの知識が理解に変わったとクレア様は言った。
「平民運動、というものが以前ありましたわね?」
「はい」
「あの時わたくしは、彼らの主張を馬鹿なこととしか思えませんでしたわ。でも――」
「でも?」
「こんなにも生活水準に違いがあるのなら、貴族を悪く思う者がいても不思議はありませんわね」
そう言ってクレア様はうつむいてしまった。
いかん。
これじゃあ、クレア様、何の気分転換にもなっていない。
むしろ悪化している。
なんとかしなければ。
私は濡れタオルを桶に置くと、クレア様にパジャマを着せながら言った。
「クレア様は力のある貴族ですよね?」
「そうですわね」
「なら、クレア様が世界を変えていけばいいのではありませんか?」
「世界を……変える……?」
私の言葉は、すぐにはクレア様に伝わらなかったようだ。
「平民の暮らしが、今より少しでも楽になるような、そんな世界に変えていく……。クレア様なら、それは不可能ではないはずです」
「それは……でも……」
クレア様の瞳に理解の光が灯ったが、クレア様はそれが簡単でないことをすぐに悟ったようだった。
「もちろん、簡単なことではありませんし、クレア様がしなければならないことでもありません。でも、それがクレア様がしたいことなら――」
「……したいこと……?」
「はい。クレア様がそう望まれるなら、私は全力でクレア様をお手伝いします」
パジャマの前のボタンを止めながらそう言うと、クレア様はなんとも言えない顔をした。
嬉しそうな、むずかゆいような、そんな表情だった。
「平民のくせに生意気を言いますわね」
「クレア様のメイドですから」
「ふん……」
悪態をつけるということは、少しは元気が出ただろうか。
「さて、もう寝ましょう。明日は海ですよ」
「……そうですわね」
そう言って明かりを消したのだが、クレア様はベッドに入ろうとしない。
「どうなさいました?」
「このベッド、大きいですわね」
と、クレア様は言うが、私のベッドは決して大きくない。
むしろ、寮の二段ベッドの方が大きいくらいである。
「そうでしょうか?」
「そうですの! だから……」
「だから?」
「だから……。もう!」
何やら癇癪を起こしているクレア様である。
訳が分からない。
「あなたもこっちで寝なさいな」
「狭いですよ?」
「いいから!」
腕を引かれてベッドに倒れ込むと、すぐにクレア様も横に入ってきた。
「おやすみなさいまし!」
「……おやすみなさいませ、クレア様」
これは……クレア様はデレてくれているのだろうか。
このところ私は調子が狂いっぱなしである。
(まあ、深く考えても仕方ないか)
私は気楽に考え直し、とりあえず明日に備えて眠ることにした。
明日はクレア様の水着姿が見られるなあ、などと思いながら。
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