60.帰郷
「やあ、レイ。久しぶりだね」
「マックロイさん。ご無沙汰してます」
「レイじゃないか。帰ってきてたのか」
「ジェインさんも、お久しぶりです」
翌日、故郷の町を歩いていると、道々に色んな人から声を掛けられた。
忘れていたが、私は乙女ゲームのヒロインだった。
つまり、町の人気者なのである。
「元気にしてたかい? 都会は物騒っていうから、みんな心配してるんだ」
近所の金物屋さんであるマックロイさんが人の良さそうな顔で言った。
「大丈夫です。思われてるほど、怖いところじゃありませんよ」
「そうかい? 近頃じゃあ、この町も物騒になってね。つい数日前も、アンデッドハントに来たお貴族様の船が行方不明になって――」
そこで、マックロイさんは私の隣の人物に気づいた。
「そっちのお嬢さんは誰だい?」
「あ、こちらは――」
「レイの学友ですわ。クレアと申します」
マックロイさんの問いに、クレア様はなぜか身分を隠そうとした。
はて?
「こりゃあ、礼儀正しいお嬢さんだ。こんな子が友だちなら、王都でもレイちゃん心強いだろう?」
「ええ。とてもよくして頂いてます」
「レイちゃんはどうだい、クレアちゃん。町じゃあ一番優秀な子だったんだが……」
「学院でも優秀ですよ。皆、一目置いています」
「そうかそうか!」
クレア様の言葉に、町の人たちは気分を良くしたようだった。
彼らにとって私は故郷の代表のような存在だからだ。
でも、愛想笑いを浮かべながら私は思っていた。
二人の時間を邪魔するな、と。
そんな私の内心にはお構いなしに、次々に故郷の人たちが集まってくる。
私が辟易しかけたその時――。
「……レイ?」
レイ=テイラーとしての記憶が、その声を認識する。
あちゃー……。
一番、会いたくない人に会ってしまった。
「ルイさん……」
「やっぱりレイだ。帰ってきたのか」
人だかりを押しのけてこちらにやってくる一人の男性。
彼の名はルイさんという。
「ルイさん、ご無沙汰しております」
「なんだよ、そんな他人行儀な。俺とレイの仲だろ?」
そう言ってカラカラと笑うルイさんに、クレア様が怪訝な顔をした。
「この方は?」
「ルイさんといいます。なんというかその、彼は……」
「レイの兄貴分です。クレア様」
私が濁した語尾を続けるルイさん。
あれ?
ルイさん、ひょっとしてクレア様の正体に気づいてる?
「俺は冒険者だぜ? 知らないわけがないだろ」
ファンタジー世界ではお馴染みの存在なので説明は不要かも知れないが、冒険者とはギルドから依頼を受けて報酬を受け取る者たちの総称である。
この町にとどまらず、世界各地を転々とする冒険者なら、財務大臣の一人娘のことを知っていても不思議はない。
「レイ。この町へはゆっくりしていけるのか?」
「まあ、バカンスの間は」
「そうか。後でうちにも寄ってくれ。母さんが会いたがってる」
「分かりました。私たち、ちょっと急ぎますので、これで失礼しますね」
そう言って、私はクレア様を連れてその場を抜け出した。
「ちょっと、非礼じゃありませんの?」
「いいんです。ルイさんはちょっと面倒くさいので」
「……?」
クレア様の顔に疑問符が浮いているのには気づいていたが、私はあえてそれには答えなかった。
それなのに、
「ルイさんはレイに惚れているんですよ」
「ちょっとぉぉぉ!!!」
余計なことをぶっちゃけたのは――。
「あら、ミシャじゃありませんの」
「昨日ぶりですね、クレア様。こんな所で一体何をなさっておいでで?」
学院の制服を脱いで普段着のミシャだった。
「レイの家にご招待されましたの」
「ご招待……って、レイの家って招待できるほどのものだったかしら」
「や、それには色々とあってね?」
クレア様とドル様の間が気まずい……とは、クレア様の前では言いづらい。
「そんなことはどうでもいいですわ! それより、あの男がレイに懸想しているというのはどういうことですの!」
えええ……。
そこ続けるんですか、クレア様。
「簡単なことですよ。さっきご覧になったとおり、レイは町の人気者なんです。当然……モテます」
「……へー、ふーん」
あ、クレア様の目が据わった。
「ルイさんもそうした内の一人ですね。レイも町を離れる前は満更でもなか――」
「そんな事実は微塵もありませんから。私にはクレア様だけですから」
さらに余計なことを言おうとするミシャの口を塞ぐ。
クレア様の視線が氷点下だ。
実はミシャの言うことはある程度正しい。
ルイさんは主人公にとって、一番近しい異性だった。
いわゆる「過去の男」である。
いや、別に主人公がルイさんに懸想していた訳ではないのだが、乙女ゲームの主人公というものは建前上普通の少女であっても、なぜか異性にモテたり人気者だったりする。
ルイはそういった主人公の設定の為に存在する、いわば賑やかしである。
バカンスでチケットを使わずに帰省すると、その時点で一番親しい王子とルイとの三角関係イベントが始まることになるのだ。
現実には王子様方は誰も来ていないので、そんなイベントは起きようもないと高をくくっていたのだが――。
「まさかクレア様がジェラるとは」
「ジェラってませんわよ!? いえ、意味は分かりませんけれど、なんとなく!」
何かを察して否定してくるクレア様。
クレア様もだんだん私への理解が深まってくれたようで何より。
「クレア様」
「……何ですのよ」
「ルイさんとはなんでもありません」
「……どうかしら」
「信じてくれないんですか?」
「……つーん」
私はなんとかクレア様のご機嫌を取ろうとしたが、クレア様は頑なだった。
「あの……」
「なんですの、ミシャ?」
「痴話げんかはよそでやってくれませんか?」
「痴話げんかじゃないですわよ!?」
ぎゃーっとクレア様がキレた。
「そうですか。それならいいのですが。私もこれで失礼しますね。レイ、あとよろしく」
「ちょっと、ミシャ!」
爆弾だけ置いて、ミシャは去って行った。
ホント、何しに来たんだ。
「ほら、行きましょう、クレア様」
「つーん」
「ジェラってるとこも最高に可愛いです」
「……そんな言葉に誤魔化されませんのよ?」
ふむ、と私はしばし考え、
「えい」
「うきゃあ!?」
天下の往来でハグしてみた。
「な、ななな……!」
「うーん。柔らかい」
「何してますの!!」
思いっきりはたかれた。
痛い。
でも離さなかった。
「公衆の面前であなたは――!」
「クレア様が許して下さるまで離しません」
クレア様に抱きつく力をさらに強める。
「分かりましたわ! 分かりましたからお離しなさい!」
「えー」
「なんで残念そうですの!? 許しを請うているんじゃありませんでしたの!?」
「そうなんですが、それはそれとしてクレア様の抱き心地が素晴らしくて」
「い・い・か・ら・離・れ・な・さ・い!」
力業で逃れられてしまった。
残念。
「ふーっ、ふーっ。最近、少しは暴走しなくなったと油断していたら……」
「私のこのあふれ出す愛は、誰にも止められないのですよ?」
「黙らっしゃい! もう……。お父様やお母様にご挨拶する前に、ものすごく疲れてしまいましたわ……」
「え、お義父様やお義母様?」
「今、絶対、おかしなこと考えましたわよねぇ!?」
こういうぎゃーぎゃーしたやりとり、なんだか久しぶりな気がする。
やっぱり私たちはこうでなくっちゃ。
「さて、クレア様」
「……今度はなんですの」
「ここがうちです」
きょとんとするクレア様。
「さて、入りましょうか」
「……心の準備とか色々台無しですわ……」
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