55.風は去って
「えっ!? お姉様、スースにお戻りになるんですの!?」
「うん」
クレア様の驚きは、そのままみんなの驚きだった。
アモルの祭式から一夜明けて、学院にやって来たみなが知ったのは、マナリア様のスースへの帰国だった。
「第一王子が急死してね。王位継承権が繰り上がって、ボクはまたお家争いのドロドロにとんぼ返りさ」
参った参った、と全く参っていない様子で、マナリア様は笑った。
すると、ロッド様が不満そうに鼻を鳴らした。
「勝ち逃げする気か?」
「うん、そうなりますね。まあ、再戦の機会はいくらでもあるでしょう。ですよね、未来のバウアー王?」
「ふん、首を洗って待っていろ」
ロッド様はそう言って不敵に笑った。
「あー、帰りたくない。レイ、二人でどこかに逃げよう?」
「お一人でどうぞ」
しなを作ってくるマナリア様に冷たく返すと、マナリア様はおよよと泣き真似をした。
いや、可愛くないです。
「レイにも振られたし、仕方がないから王位でも取ってくるよ。そしたらまたちょっかいかけに遊びに来るから」
「来なくていいです」
「ちょっとレイ、あなた不敬が過ぎますわよ」
心からの言葉をクレア様にたしなめられてしまった。
好きです。
それにしても、王位でもとは簡単に言ってくれる。
マナリア様なら似合うけどね。
「でも、例の性的指向暴露の件はどうなったんですか?」
「そんなものはささいなことさ。元々、国民には知られてなかったからね。せいぜいお家争いに不利に働く程度だと思うよ」
ま、どうでもいいんだけどね、とマナリア様は言った。
「この一ヶ月はすっごく楽しかった。王宮に帰らなくちゃいけないのが、本当に残念だよ」
「わたくしもですわ、お姉様」
「……早く帰れ」
「レイ!」
クレア様に足を思い切り踏んづけられた。
痛いです。
好きです。
「本当にもう……レイはもう少し王族に対する敬意を持ちなさいな」
「私の心の中は、クレア様への愛でいっぱいなので」
「も、もう――!」
顔を赤らめてそっぽを向くクレア様。
はい可愛い。
「あーあ。すっかり仲良くなっちゃって。ボク、余計なことしたかなあ」
などとぼやくマナリア様は、ちょっぴり不満げだ。
でも、私は思う。
これが最初からマナリア様の狙いだったのではないだろうか。
自分が悪者になって、クレア様と私の仲を一歩前進させる――それこそがマナリア様の真意に思えてならない。
(でもまあ、嫌いなものは嫌いだけど)
真意がどうあれ、感謝の念もあれ、私はマナリア様が嫌いだ。
散々煮え湯を飲まされた相手だし、未だにクレア様に慕われているし。
なにより、次があったらもう勝てっこない。
「ところで、ロッド様。一つ悪い知らせがあります」
そう言うと、マナリア様は硬い表情になった。
「なんだ?」
「スースの第一王子の死因は毒殺だということなのですが、その際に使われた毒が以前こちらの国でセイン王子に使われたものと一致しました」
「なんだと?」
それの示すところはつまり――。
「ナー帝国か」
「はい」
王国と長年敵対関係にある隣国、ナー帝国が暗躍しているらしい。
「第一王子は元々、帝国への敵視政策を標榜していました。それが気にくわなかったのでしょう」
ボクが王位についても、それは変わらないとは思いますけれどね、とマナリア様は言った。
「セイン王子暗殺未遂にスース王子の毒殺……。ナー帝国の動きが活発になってきています。どうかご注意を」
「分かった。お前も母国で気を付けてな」
「ご忠告、痛み入ります」
そうロッド様に返すと、マナリア様は私に向き直った。
「レイも気を付けるんだよ? キミはカンタレラを解毒できるそうだけれど、キミ自身がその毒に冒されてしまえば、解毒の魔法も使えないかもしれない」
「大丈夫ですよ。カンタレラの解毒魔法は今、学院で定式化している最中ですから」
セイン様が狙われてすぐ、私は解毒魔法を誰でも使えるようにするために、学院の研究機関に魔法の構成式を提出してある。
これが完成すれば、カンタレラで命を落とす人は飛躍的に少なくなるはずだ。
「そうか。キミはやはりいいな。クレア、やっぱりボクに――」
「差し上げませんわよ?」
「キミたち、最近、似てきたよね」
マナリア様は苦笑した。
「マナリア様、そろそろお時間です」
どうやら迎えの馬車が着いたようだ。
「あ、馬車までお見送りを――」
「クレアはここに残ってて。レイを借りたい」
「お姉様ってば、まだそのような――」
「はは、違う違う。最後にちょっとだけ、二人で内緒話をしたいだけさ。それくらいはいいだろう?」
「……仕方ありませんわね」
レイ、行ってらっしゃい、と背中を押された。
仕方なく、馬車までの道を同行する。
「レイ、キミに聞きたいことがある」
「なんでしょう」
しばらく黙って歩き続けてから、マナリア様が口を開いた。
「キミは、何者だい?」
そう問うマナリア様の目は、鋭い光を放っていた。
「未知の毒を解毒し、未知の供物を知っている。その知識はどこから得た?」
「……答えられません」
半端なごまかしは、マナリア様に通じない。
だから私は正直に答えた。
「キミはナー帝国の間諜か?」
「違います」
「本当に?」
「クレア様に誓って」
私がそう言うと、マナリア様はぷっと吹き出した。
「あはは、それなら信じよう。キミがクレアを裏切ることは絶対にないだろうからね」
あはは、とマナリア様はひとしきり笑った。
「質問はそれだけですか?」
「いいや、もう一つある」
マナリア様は続けて問うた。
「キミは、今でもクレアへの想いが報われなくてもいいと思っているかい?」
言い逃れは許さない、という目だった。
「いいえ。今はクレア様に応えて頂きたいと思っています」
マナリア様の目をしっかりと見つめ返して、私はそう言った。
「茨の道だよ」
「分かっています」
「クレアはストレートだ」
「それも承知してます」
「諦めずに思い続けられるかい?」
「絶対に」
矢継ぎ早に畳みかけられた質問に、全てよどみなく答える。
「うん、それでいい。今のキミなら、クレアを任せられそうだ」
その顔は、娘を嫁に出す父親のように見えた。
マナリア様が私のことを好きなのはそうなのかもしれないが、彼女はクレア様のことだって心から大切に思っているのだ。
「ここまででいい。聞きたいことは聞けたからね」
そう言うと、マナリア様は右手を差し出してきた。
「楽しかったよ。クレアのこと、よろしく頼むね」
「言われなくても」
私はその手をしっかりと握り返した。
「じゃあ、またね」
最後にそんな言葉を残して、風のような人は去って行った。
◆◇◆◇◆
「クレア様ー」
「なんですの」
「例の台詞もう一回聞かせて下さいよー」
例の台詞とは、アモルの祭式でクレア様が口走ったあの台詞のことである。
「なんのことですの?」
「またまたとぼけちゃって」
可愛いんだからとからかうと、クレア様は顔を真っ赤にして、
「調子に乗るんじゃありませんわよ! レイのことなんて別に――」
「別に?」
「別に……なんとも思ってませんわ」
そう言うと、クレア様はぷいっと顔を背けた。
「名前」
「……」
「呼んで下さるんですね」
「……知りませんわ」
クレア様が私のことを好きになってくれたとは、まだ思わない。
それでも――。
「クレア様」
「なんですの」
「愛してます」
「……ふん」
クレア様と私は、一歩前に踏み出したのだと思う。
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