53.伝説の花
※クレア視点のお話です。
「気になりますか、クレア様?」
わたくしにそう声を掛けてきたのは、レイのルームメイトであるミシャでした。
今日はアモルの祭式の当日。
式場には多くの人が集まり、こぞって天秤に供物を捧げては、一喜一憂しています。
真面目に花嫁を争う者たちはどちらかというと少数派で、家族内で父親と息子が母親を取り合ったり、すでに成立したカップルが友人と面白半分に競ったりしている光景が多く見られます。
そんな中で、わたくしは落ち着きなく天秤の前をそわそわと行ったり来たりしているのです。
「……いいえ、別に」
わたくしはミシャに素っ気なく返しましたが、こんな様子を見られては言葉に説得力というものがまるでないでしょう。
「レイはこのところずっと出ずっぱりでしたよ。クレア様のために最高の供物を捧げるんだ、と」
「……」
お姉様とレイの再勝負のことは、お姉様から伺いました。
私を賭けて、恋の天秤で勝負するということです。
馬鹿なことはやめて下さい、とお姉様にお願いしたのですが、お姉様は聞き入れては下さいませんでした。
『レイのことを信じてあげないのかい?』
お姉様はそう仰っていました。
なぜ、自分のことをではなくレイのことをなのかは、わたくしには分かりませんでした。
「クレア様はどちらに勝って欲しいですか?」
ミシャがそんなことを聞いてきました。
「どうでもいいですわ。人を賞品扱いする方たちのことなど知りません」
わたくしは腹を立てていました。
わたくしの気持ちを無視して勝手にわたしのことを取り合うなど、馬鹿げているにもほどがあります。
「確かに褒められたことではありませんね。でも、女冥利に尽きるのではありませんか?」
ミシャが珍しくからかうような口調で言ってきました。
普段、ほとんど表情を変えない冷静な彼女がそんな表情をするなんて、と私は少し意外に思いました。
「わたくしを誰だと思っているのです? 財務大臣ドル=フランソワが息女、クレア=フランソワですわよ? 人から想われるなど、とうの昔に慣れきっていますわ」
わたくしはそう言ってミシャの言葉を切り捨てました。
でも、と思うのです。
これまでわたくしに言い寄ってきた有象無象と、今回の二人は違うのではないか、と。
お姉様はわたくしの初恋の相手です。
殿方と勘違いしていたという事情を抜きにしても、お姉様は素敵な方でした。
成長されるにつれますます人となりに磨きが掛かり、同性ということを差し引いても、お姉様に想われるということは素直に嬉しいと思えます。
それに比べてレイはどうでしょう。
おかしな言動でわたくしをからかってばかり。
思えば、あの者は初対面の時からおかしなことばかり言っていました。
同性のわたくしのことを臆面もなく好きとのたまい、セクハラまがいの言動を連発。
生意気なヤツといじめてやれば、逆に喜ぶ始末。
気がつけばお父様に取り入って、メイドにまでなって。
「何か面白いことでもありましたか?」
「え?」
「笑っていらっしゃいますよ」
ミシャの指摘で初めて気がついたのですけれど、わたくしは微笑んでいたようです。
わたくしはばつが悪い思いをしました。
あの者のことを思い出して笑うだなんて。
あんな者、いない方がいいのです。
メイドでなくなって、本当に清々しましたわ。
「クレア様」
「なんですの?」
「今度は悲しそうなお顔をしていらっしゃいます」
そんな馬鹿な、と手鏡を取り出して見ると、確かにわたくしは浮かない顔をしていたようです。
わたくしは自分のことが分からなくなりました。
あの者のことなど、わたくしは嫌いです。
嫌い、なはずなのです。
「私はレイに勝って欲しいと思います」
ミシャが呟くように言いました。
「どうしてですの?」
「レイは確かに変な子です。クレア様にもたくさんご迷惑を掛けたでしょう」
「本当ですわ」
「はい。でも、あの子の想いは、まっすぐで純粋です。本当に……心の底からクレア様が好きなんです」
まるで出来の悪い妹のことでも言うように、ミシャは温かみのある声でそう言いました。
「クレア様だって、レイのこと実はそんなに嫌いじゃないでしょう?」
「いいえ、大嫌いですわ」
「……素直じゃありませんね」
くすくすと笑うミシャ。
「ミシャ、あなた無礼ですわよ?」
「申し訳ありません。でも、ここ数日のクレア様は見ていられなくて」
「……あなたからは、わたくしがどう見えていましたの?」
ふと、聞いてみたくなった。
「寂しそうでした」
ミシャは続ける。
「マナリア様というこの上なく素敵な方と一緒にいらっしゃるのに、どこか上の空で。まるでレーネがいなくなった直後のようでした」
「そんなこと……」
ない、と言い切ることは出来ませんでした。
レイがお姉様と勝手に勝負をして負けた後、私の側には常にお姉様がいらっしゃいました。
レイとは到底似つかない素敵なエスコートをして下さるお姉様を嬉しく思いながらも、わたくしはどこかでレイのあのおかしな言動を恋しく思っている自分を感じていました。
「クレア様を一番笑顔に出来るのは、今のところ、やっぱりレイだと思うのです」
「あんな平民が……?」
「身分ではなく、レイという人間のせいでしょう。あの子はおかしな子ですが、不思議と周りを幸せにする子だと思っています」
本人には口が裂けても言えませんけれどね、とミシャは笑った。
「だからクレア様。もしレイが勝ったら、もう一度あの子をメイドにしてやってくれませんか。出来ればクレア様の方から」
「それは……出来ませんわ」
わたくしは貴族、それもこの国のほぼ頂点に近い位置にいる貴族だ。
そんなわたくしが、平民に頭を下げてメイドになってくれなどとは、絶対に言えない。
「そうですか……。そういえば、貴族というのは面倒なものでしたね」
「ミシャもそうでしたものね」
ミシャの家は、没落前はかなりの家格を誇った旧家である。
「なら、奇跡でも起こるのを期待しましょうか」
「奇跡?」
「ええ。全てがうまく行くような、そんな物語のような奇跡を」
「そんなこと――」
起きるわけがありませんわ、と言いかけたその時――。
「やあ、クレア」
お姉様がいらっしゃいました。
その手に不思議な光を放つ花を持って。
「お姉様……」
「レイはまだのようだね」
そう言うと、お姉様は手に持った花を示しました。
「その花は……まさか……?」
「うん。フロースの花だよ」
それはアモルの伝説にある光の花でした。
恋の天秤に捧げる最高の供物です。
「どうやらまたボクの勝ちらしいね」
伝説の花を見つめるお姉様は、でも、どこか寂しそうで。
「少し早いけど勝利宣言をさせて貰おうかな」
そう言うと、お姉様は私をじっと見つめて、
「神の天秤は我の心の内を示した。我は今ここに汝を守り通すことを誓う」
それはアモルの詩の一節でした。
天秤に選ばれた背の低い男が、巫女に向かって愛を告げる時の台詞です。
かつてラーナック伯爵の家で、わたくしの涙を止めてくれた物語のヒーローのようなその台詞。
かつて詩に謳われた巫女もこんな気持ちだったのでしょうか。
お姉様はわたくしの顎に手を添えると、顔をそっと上に向かせました。
わたくしは、ああ、口づけをされるのだな、とぼんやりと思いました。
お姉様となら、別に悪くありませんわね、などと思います。
でも――。
「ちょーっと待った!」
わたくしは、きっとその声を待っていたのだと思います。
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