48.恋を司る天秤
「恋の天秤……? あのアモルの詩の?」
「うん、そうだよ。その天秤だと言われるものが、祭式では使われるんだ」
私は今日もクレア様の給仕としてお茶会に参加している。
今日の話題は、今月末に控えたアモルの祭式についてのようだ。
お茶会の参加者は、クレア様とその取り巻きの他に、マナリア様とユー様、それに珍しくセイン様がいらっしゃっている。
今は教会派の人間で祭祀に詳しいユー様が、マナリア様に祭式について説明をしている所だ。
「アモルの詩はただの伝説じゃなかったの?」
優雅にカップを傾けながら、マナリア様が尋ねる。
王位継承権が同じくらいと言うことで、ロッド様相手とは違いユー様には親しみを込めた口調で話している。
「アモルの詩自体は、おそらく民間伝承のいくつかを誰かがまとめたものだと言われているね」
「なのに、天秤は実在するの……?」
「……まあ、実際は魔道具なのだろう」
セイン様の説明に、ユー様がそうだねと頷いて続けた。
「魔道具という名前で超常的な力を持つ道具が開発されるようになったのは、魔法石が発見された近年の話だけど、不思議な力を持つ道具自体は昔からいくつかあったんだよ」
魔法石をそうとは知らず使っていた、ということらしい。
「じゃあ、恋の天秤にも魔法石が使われてるの?」
「……そのようだ」
セイン様はさして興味もなさそうに頷いた。
「で、その祭式で天秤は具体的にどう使われるのさ?」
「まあ、一種の決闘というかお見合いというか……要するに花嫁争いだね」
ユー様がにこやかに答えた。
「恋の争いはアモルの詩が謳うように昔から争いの種だった。アモルの祭式は、その伝説に由来を持つ花嫁争いなんだよ」
「捧げ物でもするの?」
冗談めかして言ったマナリア様だったが――。
「ずばりその通り。恋の天秤に捧げ物をして、その重みで恋の争いに終止符を打つのさ」
ユー様がそれを肯定した。
「驚いた。バウアー王国の文化史は一通り学んだから、アモルの伝説は知っていたけれど、天秤が実在することまでは知らなかったよ」
「まあ、風俗史にあたるからね。マナリアの教師も、そこまではなかなか網羅出来なかったんじゃないかな?」
ユー様のカップが空になったので、私は静かにお代わりをついだ。
ありがとう、と言ってユー様が続ける。
「まあ、重みを争うといっても、実際の質量で争うわけじゃないよ。入手の難易度に比例して設定された、想いの重みが勝負を左右するんだ」
「へぇ? じゃあ、フロースの花でも捧げればいいの?」
「祭式の歴史を見る限り、フロースの花は最も重いとされているね」
「そんなところも伝説の通りなんだね」
マナリア様は感心したように言った。
「ずいぶん熱心に祭式のことを訊くけど、マナリアは祭式に興味があるのかい?」
想い人でもいるのかな、とユー様がからかった。
「そういうわけじゃないけどさ、面白そうじゃない。それにロマンチックだよ。ボクだって自分の想いを天秤に託してみたいと思うもん」
「お姉様、わたくしたち女性は、天秤に想いを託す方ではなくて、争われる方ですのよ?」
苦笑しながらクレア様が言った。
「クレアはいいよね。レイがいるから」
「なっ!? ユー様!」
ユー様のからかいに、クレア様が反応した。
「なになに? クレアとレイはそういう仲なのかい?」
そしてそれにマナリア様がくいつく。
「お姉様まで馬鹿なことを仰らないで下さいまし。この者はわたくしをからかっているだけですわ」
これ以上からかわれてはたまらない、といった表情でカップに口をつけるクレア様。
「私は本気だと何度も申し上げていますが、なかなかクレア様のガードが固くて」
「おや。じゃあ、レイの片思いなのかい?」
「いずれ両思いにしてみせますけどね」
「あなた、それ以上の戯れ言は許しませんわよ?」
クレア様が私をにらんだ。
うん、ナイスつり目。
今日も可愛いです。
「大体、同性でもいいのであれば、あなたなんかよりもお姉様を選びますわよ、わたくし」
「あっはっは。これは嬉しいことを言ってくれるじゃないか。ボクもクレアが相手なら、そんじょそこらの殿方よりも嬉しいね」
「お姉様ったら」
などと微笑み合う二人。
よそでやれ。
「そういえば、クレアの初恋はマナリアだったね」
「もう! ユー様、子どもの頃の話を蒸し返さないで下さいな」
「ボクが男の子だと勘違いしてたよね」
これはクレア様がマナリア様のご実家であるラーナック伯爵家に預けられていた頃の話である。
お母様を亡くされる際、クレア様はひとつの後悔を抱えていた。
自分の誕生日にご両親の外出の予定が入ってしまい、クレア様はかんしゃくを起こしてお母様に嫌いと言ってしまったのだ。
そして、その外出先で馬車が事故に遭い、ドル様は助かったものの、フランソワ夫人は亡くなってしまったのだ。
その日以来、クレア様はわがままを自分に厳しく禁じた。
今のわがままお嬢様からは想像も付かないかもしれないが、子ども時代のクレア様はどちらかというと聞き分けの良すぎる子だったのだ。
ドル様はパートナーで優れた政治家、社交家でもあった夫人を亡くして、しばらく事後処理に追われることとなり、構う余裕のない娘を親類であるラーナック家に預けた。
そして、クレア様はそこでマナリア様と出会う。
「わたくしは、マナリア様の言葉に救われたのですわ」
自分に厳しすぎる子ども時代のクレア様に、マナリア様はこう言ったのだ。
――誰もクレアを責めてないよ。
実の父親であるドル様ですら気づかなかったクレア様の罪悪感を、マナリア様は鋭く見抜いてそれを赦した。
クレア様はそれを聞いて、何年かぶりの涙を流したという。
泣き止まないクレア様にマナリア様は続けてこう言った。
――我は今ここに汝を守り通すことを誓う。
それはアモルの詩に登場する恋の誓いの一節。
当時のマナリア様がクレア様に懸想していたかどうかはしらないが、とにかく、物語に謳われるようなセリフを受けたクレア様は、それで完全にマナリア様に参ってしまったのである。
これらはゲーム中では語られることのない裏話で、設定資料集でしか見ることが出来ない。
こういう背景も、私がクレア様を好きな理由の一つである。
まあ、マナリア様のその言葉とドル様の甘やかしのおかげで、クレア様はその後わがまま街道まっしぐらだった訳ではあるが。
「そんなクレア様が好きです」
「だからあなたは突然何を言ってますの!?」
「申し訳ありません。想いが溢れて」
いつもダダ漏れな気もするけど、気にしたら負けである。
「そっかー、レイはクレアが本当に好きなんだね。そっかー……」
マナリア様はそんなことを呟くと、面白いものを見つけた子どものように笑った。
笑顔以外の何物でもないのだが、私は蛇ににらまれたカエルの心境になっていた。
「でも、残念だったね。クレアはボクの方が好きだって」
そう言って、マナリア様はクレア様を抱き寄せると、その腕に包み込んだ。
「あらあら、お姉様、どうされましたの?」
などと問うクレア様も満更でもなさそうである。
抑えろ私、クールになれ、素数を数えろ……!
「クレア、ボクが好きって言ったら信じてくれる?」
「もちろんですわ。むしろ、今でもそう信じていますわよ?」
「ふふ、そっかそっか」
マナリア様が急に当てつけのようなことをし出した。
いやー、仲睦まじくて大変結構なことですね。
平常心平常心。
「……レイ、ポットからお茶がこぼれているぞ」
「失礼しました」
全然平常心じゃなかった。
「……どうかしたか? 顔色が悪いが」
「いいえ、なんでも。ご心配頂きありがとうございます」
恋事にまったく興味のないセイン様の問いに、努めてにこやかに答えた。
っていうか、クレア様は今はセイン様に惚れてるんじゃなかったのか。
「……クレアとマナリアは仲が良いな」
「……そうですね。お代わりはいかがですか?」
まるで他人事のようなセイン様に、私はお茶をつごうとした。
「……レイ、それは紅茶のポットではなく、ミルクピッチャーだ」
あ、私ダメかもしれない。
そんな私の様子を見て、マナリア様は心底楽しそうに笑うのだった。
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