44.さよならは言わないで
オルソー家が追放処分になる日、私はクレア様についてアパラチアとの国境にある関所の近くに来ていた。
レーネたちが王国を離れる際に通るこの関所は、王都からはかなり離れている。
クレア様と私はフランソワ家の馬車でここまでやってきた。
もちろん、レーネを見送るためだ。
オルソー家は家財のほとんどを没収され、最低限の物品だけを持ち親戚を頼ってアパラチアに移り住むことになった。
アパラチアはバウアー王国と古くから国交のある友好国で、肥沃な国土を持つ農業国である。
国情は安定していて、裕福とは言わないまでもそこそこの国力を持っている。
一からやり直すには丁度いい国と言えるだろう。
とはいえ、レーネが去ってしまうのはやはり寂しい。
国をまたいで移動するのはそう簡単なことではない。
会えるのはきっと今日が最後になるだろう。
憂鬱な気持ちとは裏腹に、雲一つ無い青空が広がっている。
気分が晴れないのはクレア様も同じようで、畳んだ日傘で所在なく地面をつついていた。
「いい天気ですね」
「そうですわね」
どうでもいいことを言う私に、クレア様は気のない返事をした。
その瞳は関所をじっと見ている。
私たちは関所を囲む鉄柵の外から、オルソー家の一団を見つめている。
関所はアパラチアとバウアー王国を繋ぐ、一番大きな街道に設置された砦のような建物である。
建物には巨大で頑強な門があり、有事にはここを閉めて敵の侵入を防ぐ。
関所には検問を行う場所があり、オルソー家の人々が今ちょうどそれを受けている。
王国において魔法石の採掘と流通で商いをしていたオルソー家だが、その技術を国外に持ち出すことは禁じられている。
軍事技術にも繋がる魔法に関わる事柄なので、検問も厳重だ。
もちろん、人の頭の中までどうこうすることは出来ないから、物品や書類の類いしか調べることは出来ない。
だからといってオルソー家の者が魔法石の知識を武器にアパラチアで商いを出来るか、と言えばそれはかなり難しい。
王国を刺激したくないアパラチア政府が許さないからだ。
結果、オルソー家は魔法石以外の部分で生業を探さなければならない。
「オルソー家は、アパラチアでやっていけるでしょうか」
「どうかしらね。当主のバートレーは有能な者だと聞いていますわ。王国での地位ほどを望むのは難しくても、日々の糧を稼ぐくらいはどうにかするんじゃないんですの?」
つらつらとクレア様は答えてくれるが、やはり言葉にハリがない。
心ここにあらず、といった感じだ。
「レーネとランバート様はもっと厳しいでしょうね」
「……そうですわね」
二人は許されない恋の結果として、一族郎党をあわや皆殺しの憂き目に遭わせるところだった。
当然、報いを受けなければならない。
アパラチアに移住後、オルソー家はレーネとランバート様を放逐するという。
二人は家に頼ることなく、新しい国で生きていかなければならない。
ほとんどの人間が家業を継いで生きるこの世界において、その意味するところは途方もなく重い。
「それでも、生きていくしかないんですわ。生きてさえいれば、なんとかなりますもの」
まるで自分に言い聞かせるかのように、クレア様は言った。
そうあって欲しい、というかのように。
「検問が終わったようです」
「……」
オルソー家の人々が門の方へと移動していく。
その総人数は、オルソー家を知る者が想像するそれより驚くほど少ない。
使用人のほとんどを解雇したため、ここにいるのはほぼ血縁者だけなのだ。
数にして二十人にも満たない。
その中に、レーネとランバート様がいた。
「レーネ!」
私は鉄柵に駆け寄って、声を張り上げた。
レーネも気がついてこちらに近づいて来た。
「レイちゃん……。それにクレア様も」
「お別れを言いたいってクレア様が」
「そんなこと言ってませんわ。あなたがどうしても連れて行けと駄々をこねたんじゃないんですの」
「あはは……。しばらくぶりだけど相変わらずみたいで安心したよ」
レーネは小さく笑った。
力のない笑いだった。
無理もない。
少しの間があった。
「レーネ。わたくしのことを恨んでいまして?」
「!? とんでもありません!」
おずおずと尋ねたクレア様に、レーネは、慌てたように言った。
「オルソー家は本来取り潰しになっていてもおかしくありませんでした。家族が今もこうして命を繋いでいるのは、クレア様たちの助命嘆願のおかげです」
「それでも、あなたたちを追い詰めたのはわたくしですわ」
ほんの少しの自嘲をにじませて、クレア様は言う。
クレア様は悔いているのだろうか。
間違ったことは何一つしていない、と私は思うけど。
「いえ。私たちの暴挙をとめて頂いたことにも感謝しています」
「妹も私も、ようやく目が覚めたのです」
重ねて言うレーネに、ランバート様もやって来て言い添えた。
「恋は盲目と言いますが、私たちはあまりにもお互いのことしか見えていなかった。許されない恋を嘆くあまり、視野が狭まっていました」
その結果がこのありさまです、とランバート様は苦渋をにじませた表情で言った。
「実の妹を愛しているという禁じられた思いを、誰かに肯定されたかった。そこをあの男につけこまれたのです。本当に痛恨の過ちです」
血を吐くように言ったランバート様の言葉に、レーネも頷いた。
「レイちゃん、気をつけてね。あなたもクレア様を思う気持ちを、誰かに利用されないように」
「うん」
「ランバート、レーネ。移動だ。行くぞ」
オルソー家の誰かがレーネたちを呼んでいる。
いよいよ出発のようだ。
「レーネ、これを持って行って」
私は鉄柵の間から羊皮紙の束をレーネに渡した。
「これは……!」
「新しいレシピ。マヨネーズも向こうで使って」
「いいの?」
「うん。少しくらいはお金の種になると思うから」
私にはこれくらいしか出来ない。
ありがとう、とレーネは言った。
「それではお別れです。クレア様、レイちゃん、お世話になりました」
「じゃあね、レーネ」
「……」
深々と頭を下げる二人に私は別れを告げた。
クレア様は何も言わなかった。
それに対して、レーネは寂しそうに微笑んでから振り返って歩いて行った。
二人の姿が遠ざかっていく。
「クレア様。いいんですか、お別れを言わなくて」
「……」
クレア様は複雑な表情をしていた。
さまざまな感情が交ざり合っているように見える。
単純な頭の悪役令嬢の姿は、そこにはかけらもなかった。
「レーネ!」
ふいに、去りゆくレーネをクレア様が大きな声で呼び止めた。
レーネは驚いたように振り向いた。
そのまなじりに、光るものが見えた気がした。
「さよならは言いませんわ! いつかまた会いましょう! その日まで、どうか健やかで!」
その言葉はもう門をくぐろうとしているレーネに届いたのだろうか。
レーネが笑ったように見えたが、もしかしたらそれは私の願望だったのかもしれない。
レーネたちの姿はやがて完全に見えなくなった。
「行っちゃいましたね」
「……」
クレア様は泣いていなかった。
泣きそうなほど悲しい顔をしているが、涙はこぼさなかった。
「クレア様」
「なんですの?」
「抱きしめていいですか?」
「いいわけないでしょう。帰りますわよ」
そう言うと、きびすを返してすたすたと先に行ってしまった。
「こんな時まで強情なんだから」
泣きたいときに泣けないなんて、困った人だと思う。
でも、人間は小説が描くよりもずっと複雑なのだ。
そして、私はそういう不器用な人間が大好きだ。
「クーレーアーさーま!」
「きゃあ!? なにするんですの! はーなーしーなーさい!」
「離しませんけど、代わりに話します」
「わけの分からないことを言うんじゃありませんわよ!」
もっと私を罵って、クレア様。
いつもの元気なクレア様に戻って。
でも、それすら難しいなら――。
「泣いたっていいんですよ?」
「! ば、馬鹿じゃないんですの? たかがメイドが一人いなくなっただけですわよ? そんなことでどうしてわたくしが――」
「クレア様、私は今クレア様の背中側にいます。なので、クレア様の顔は見えません」
「だから、わたくしは!」
ぎゅうっと強く抱きしめながら、私は言った。
「レーネとお別れしたくないですね」
ぽたり、と前に回した手にしずくが落ちるのを感じた。
「本当に、世の中ままなりませんね。恋愛一つ、自由に出来やしない」
しずくはみるみる数を増して、私の手を濡らした。
私たちは、その場にしばらくたたずんでいた。
「……平民のくせに本当に生意気ですわね、あなた」
落ち着いたのか、クレア様が憎まれ口を叩いた。
「はい、生意気なのでお仕置きして下さい」
「嫌ですわよ。どうせあなたのことですから、ご褒美に脳内変換するのでしょう?」
「クレア様が私への理解を深めて下さった。これはもう結婚するしかありませんね!」
「しませんわよ!」
今度こそこれでいつも通り。
私はクレア様の悪態を喜んで受けながら隣に並んだ。
「また、会いたいですね」
関所の方を一度だけ振り返って呟いた。
「会えますわ、きっと」
クレア様の声に、もう曇りはなかった。
まるでこの青空のような、晴れやかな声色が静かに響いた。
お読み下さってありがとうございます。
ご評価・ご意見・ご感想をお待ちしております。




