43.褒美
王宮に来るのは初めてだった。
豪奢というよりは荘厳といった言葉が似合いそうな門を通り過ぎて、ふかふかの絨毯を踏みながら宮殿内を案内された。
通されたのは待合室である。
国王に謁見する人は、毎日数十人はいる。
今この部屋にはクレア様と私しかいないが、他の待合室にも謁見を待つ人がたくさんいるのだろう。
そんなことをぼんやり考えながら、私は物珍しげに室内の調度を眺めていた。
「座っていなさいな、落ち着きのない」
慣れたものなのだろう。
クレア様は少しの緊張も見せずに、出されたお茶をすすっている。
「別に落ち着かないわけじゃないんですけどね。やっぱり王宮の部屋はしつらえが違うなと思って」
「当たり前ですわ。王宮とは国の顔。テーブル一つ取っても、最高級のものを使うのが当たり前。このテーブルだって、多分マホガニー製ですわよ」
「はあ」
審美眼に自信のない私には、何やらお高いものらしいということしか分からない。
ブタに真珠、猫に小判、馬の耳に念仏……は微妙にずれるか。
「そうしていれば、見られなくもないですのにね」
ティーカップをソーサーに戻すと、クレア様はちらりと一瞬だけこちらに視線をくれた。
「服を貸して頂いてありがとうございます」
国王に謁見するのに、いつもの格好というわけにはさすがにいかない。
私はクレア様からスーツを一着借りて着ているのである。
学生であれば制服も許されるかと思いきや、それは地球だけに許されるルールらしい。
学院の制服で参加するつもりだった私に慌てたクレア様が、超特急で仕立ててくれたものがこのスーツである。
肌の露出を極力抑えたもので、袖は長袖だしボトムスもスカートではなくパンツである。
色は正礼装の色である黒。
これらは全てドレスコードで決まっている。
クレア様はといえば、実に優美なドレス姿である。
ドレスといってもイブニングドレスのようなものではなく、こちらも肌の露出を極力抑えたデイドレスである。
ドレープをふんだんに使ったワンピースで、スカート部分はくるぶしまである長いものだ。
服に着られているような私とは違い、クレア様の着こなしは完璧である。
当たり前と言えば当たり前なのだが、こういう服を着ていると、クレア様が上流階級のご令嬢なのだということがよく分かる。
「別にあなたのためじゃありませんわ。一緒に拝謁するわたくしの常識まで疑われては敵わないと思っただけですわ」
「またまたそんなこと言って。愛でしょ、愛」
「……本当に黙っていればいいですのに」
呆れ顔のクレア様である。
「クレア=フランソワ、レイ=テイラー。国王陛下より拝謁を賜る」
しばらく待っていると、侍従とおぼしき人が呼び出しに来た。
いよいよ謁見である。
赤絨毯を踏みしめて王宮の廊下を歩く。
足下が柔らかすぎて少し歩きづらい。
クレア様はあんな裾の長いドレスにハイヒールだというのに、全く問題なく楚々と歩いている。
この辺りは経験の差だろう。
そうこうしているうちに、謁見の間とおぼしき部屋の前にやってきた。
「クレア=フランソワとレイ=テイラーにございます」
侍従が高らかに私たちの名前を読み上げると、優美で複雑な意匠の施された扉が開かれた。
「……」
一礼してからクレア様とともに謁見の間へ足を踏み入れた。
両脇には近衛兵とおぼしき兵士がずらりとならび、続く玉座には国王であるロセイユ陛下と王妃のリーシェ様が座っている。
玉座の前まで進み出ると、膝を突いて臣下の礼を取った。
この辺りは直前までクレア様にみっちりしごかれている。
レイの礼。
もういいか。
「面を上げよ」
陛下の重々しい声が響き、私たちは陛下と王妃の顔を見ることを許された。
ロセイユ陛下は黒目黒髪で、どこかロッド様に似ている。
さすがにロッド様ほど快活な雰囲気ではなく、一国の王にふさわしい貫禄を備えてはいるが。
トランプのキングを想起させるような服装だが、実物を見ると非常に美しい。
頭上の冠がきらりと光を弾いた。
王妃のリーシェ様は金髪碧眼で、どことなくユー様に似ている。
長い髪を結い、頭上には銀色のティアラがまぶしく輝いていた。
扇で口元を隠しているので、表情は読めない。
「王立学院にて起きた一連の事件を解決に導いたと聞いている。ご苦労であった」
ねぎらいの言葉に、再び顔を伏せる。
「また、我が息子セインの命を救ってくれたとも聞いている。大義である」
顔を伏せたまま再びのねぎらいを受ける。
「特一級の褒美を与えるものとする。望みを申すがいい」
そこまで聞いてから、再び顔を上げる。
「クレア=フランソワとレイ=テイラーにございます。本日は拝謁の栄誉を賜り、まことに恐悦至極に存じます」
クレア様が口を開いた。
ここからのやりとりは、クレア様に任せている。
いかに褒美を貰えるとは言え、平民が国王陛下と直に言葉を交わすのはまずいらしい。
「うむ」
陛下は鷹揚に頷いて先を促した。
「頂く褒美として、陛下に一つお願いがございます」
「申してみよ」
「はい」
ここからが正念場だ。
頼むよ、クレア様。
「オルソー家の助命嘆願をさせて頂きたく存じます」
クレア様が望みを口にすると、謁見の間にどよめきが広がった。
まあ、そうだよね。
「静まれ」
しかし、陛下のよく通る声が響くと、謁見の間は再び静まりかえった。
沈黙がしばし続いた。
「オルソー家はこたびの騒動の主犯であると聞いている。そのオルソー家に減刑を求めるというのか?」
「はい。陛下の恩赦を賜りますよう、なにとぞお願い申し上げます」
心中の読めない平坦な陛下の声に、クレア様は重ねて請願を口にした。
「サーラス、どうか?」
国王の問いかけに、玉座の横に控えていた宰相が一歩進み出た。
宰相の名はサーラス=リリウム様。
銀髪赤目の美男子である。
「難しいでしょう。信賞必罰が法理の原則。オルソー家には減刑をする理由がございません」
冷たい声でそう告げるサーラス様。
やはり、難しいか。
「オルソー家はこれまで、国のために尽くしてきました。特に魔法石に関する事業において、その貢献は小さくないものと考えます。今一度、どうか減刑の恩赦をお考え下さい」
必死で食い下がるクレア様。
レーネとランバート様の命を救えるかどうかは、今このときにかかっている。
「確かにオルソー家はこれまで国に尽くしてきた。その功績を持って減刑するということは無理か、サーラス?」
「功績で相殺するには、犯した罪が大きすぎます。外患誘致に王族と貴族の殺人未遂です。お家断絶は免れないものと思われます」
サーラス様はやはり冷たくそう言った。
「ということだ。別の望みを申せ」
やはりダメなのか。
クレア様も顔面蒼白になって拳を握りしめている。
その時――。
「……陛下、どうかその者たちの望み、かなえて頂けないでしょうか」
聞き慣れた声が謁見の間に響いた。
「セインか」
声の主はセイン様だった。
謁見の間横にある扉から歩み出て、クレア様の横に並んだ。
「……こたびの騒ぎの土台には、貴族たちへの平民の不満がありました。学院での暴動の一因となった中庭事件の沙汰も、貴族寄りに過ぎるという批判があります」
セイン様は朗々と語った。
私はセイン様がこんなに喋るのを初めて聞いた。
「……オルソー家の者が犯人と分かり、平民運動は一旦落ち着いています。ですが、王室が平民を軽んじていないということを示さなければ、同じ事はまた起きましょう」
「オルソー家の助命が、その一助になると申すか?」
「……そうです」
「お言葉ですが、陛下、セイン様」
二人の会話を遮ったのはサーラス様だった。
「そもそも平民運動を煽ったのも、オルソー家の者という疑いが出ております。王室は平民を軽んじてはいませんが、オルソー家を助命すれば多くの子女が危険にさらされた貴族たちが黙っておりません」
それはその通りなのだ。
元々、あの黒仮面の狙いは貴族の子女を殺害することだった。
もしあのまま魔物が学院内に放たれていれば、実際に殺された者もいただろう。
「……バランスの問題です。今は貴族側に天秤が傾いています。魔法の重要性を考えれば、これから重要視しなければならないのは平民なのは明らか。陛下の能力重視政策を空文化しないためにも、なにとぞご再考を」
言いたいことは言ったとばかりに、セイン様は口を閉じた。
「双方の言い分は分かった」
陛下はそう言った後、少し考え込んだようだった。
しばし時間が流れる。
実際にはそれほど長い時間ではなかったのだろうが、私にはいやに長く感じられた。
「オルソー家の処分は、国外追放処分とする」
陛下の沙汰は追放だった。
お家断絶は免れた。
クレア様と顔を見合わせる。
クレア様もほっとした顔をしていた。
「陛下、お言葉ですが――」
「サーラス、反論は許さぬ」
「……御意」
サーラス様は異論を唱えようとしたようだが、干渉を拒絶する陛下の声の強い響きにしぶしぶといった様子で引き下がった。
「追って、処分の詳細を下知するものとする。クレア=フランソワ、レイ=テイラー。下がるがよい」
「はい」
「セインは残れ。話がある」
「……はい」
クレア様と私は謁見の間を辞した。
王宮を出ても私たちはしばらく無言だった。
でも、宮殿の門を出たところで、我慢の限界だった。
「やりましたわ!」
「やったー!」
クレア様と私は示しを会わせたわけでもないのに、同時にガッツポーズをした。
クレア様がはっと我に返った顔をして、慌ててポーズを解いた。
「ふ、ふん! 真似しないで下さる?」
「以心伝心ってやつですよ。ほらほら、嬉しいことなんですから、素直に喜びましょうよ」
「別にあなたと喜び合う必要はないでしょう?」
「じゃあ、愛し合いましょう」
「何を言ってますの!?」
普段の私たちに戻ってしまったようだが、クレア様はいつもよりも口数が多かった。
私たちはいつも以上にぎゃーぎゃー言いながら、学院への帰路についた。
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