36.ショッピング
「どうしてわたくしがこんな……」
憤懣やるかたないと言った様子なのは、我らがクレア様である。
「仕事ですよ、仕事」
「それは分かってますわ。でも、こんな誰にでも出来る仕事をわざわざ私が――」
「クレア様といえども、学院騎士団では新人の下っ端ですよ。雑用をするのは当たり前じゃないですか」
私たちは学院騎士団のお使いで、王都の市場に買い出しに来ている。
今歩いている場所は主に生鮮食料品を扱っているようで、美味しそうな果物や新鮮な野菜が店頭に並んでいる。
景気の良い声が響き、辺りは人でごった返していた。
「これだけ人が多いとはぐれそうですね。手でも繋ぎますか?」
「結構ですわ」
「結構なんですね。じゃあ繋ぎます」
「し ま せ ん わ !」
しゃーっとクレア様に威嚇された。
「えー」
「仲がいいわね……」
「本当ですね」
買い出しのメンバーはクレア様、私、そしてミシャとレーネである。
同じ新人と言っても、さすがに王子様方に買い物をさせる訳にはいかない。
この四人になったのは必然である。
本当はクレア様もお留守番になりそうだったのだが、買うものが多かったためについてきて貰った。
もちろん、クレア様が持つのではなくて、漏れなくついてくるレーネに持って貰うのである。
「で、何を買うんですの?」
「えーと、羊皮紙が十枚、パピルスが二十枚、インクが二壷、絵の具が一組、革紐が一くくり、釘が一組、あとはお茶っ葉とお茶菓子がいくつかですね」
「大体は事務用品ですわね」
「学院騎士団で一番多い仕事は事務仕事ですからねー」
以前にも触れたとおり、学院騎士団と言ってもやることは地味な仕事が多い。
一番多いのは諸々の学園行事に関する事務仕事である。
予算に関する決済書や教師が使った学校の備品の数などを、何かと記録しておかなくてはならないことが多いのだ。
「楽しめる買い物はお茶菓子くらいですわね」
「そうですね」
「ブルーメの新作菓子にしましょう」
「無理です、クレア様」
クレア様の提案をすげなく却下するミシャ。
「どうしてですの」
「ブルーメの菓子は高すぎます。お買い上げになるなら、クレア様ご自身のお金でどうぞ」
「今日はいくら持ってますの、レーネ?」
「私的な買い物の予定はありませんでしたから、十万ゴールドほどです」
「それではさして買えませんわね……」
これまで詳しくは触れていなかったが、王国の通貨はゴールドである。
感覚としては一円イコール一ゴールドくらいに思って貰えればいい。
十万ゴールドというのは平民にしてみればかなりの大金なのだが、上流貴族の所持金としては少なく、ブルーメの菓子を買うには買えるもののたくさんは無理な額である。
「今日は仕事に徹しましょう? お茶菓子はまた今度ということで」
「仕方ありませんわね」
やれやれ、と肩をすくめたクレア様が、ふと道ばたに目をやって眉をひそめた。
「嫌ですわ……」
そう吐き捨てたクレア様の視線を追うと、そこにはボロを着た子どもが二人で物乞いをしていた。
一人は足を痛めているのか、包帯を巻いていた。
「ナー帝国との紛争が起きて以来、物乞いは増えましたね」
「物価が徐々に上がっていますから……」
肯定も否定もせずに事実だけを述べるミシャと、物乞いに同情的な視線を寄せるレーネ。
これが元貴族と平民の差なのだろうか。
ちなみに、ナー帝国とはバウアー王国の東に位置する隣国で、これまで何度も紛争を繰り広げてきた王国の頭痛の種である。
「物価は確かに上がっていますけれど、賃金も上がっているはずですわよ?」
「追いついていないんです。賃金は一度上げると下げづらいので、雇用者は上げるにしても小幅にとどめる傾向があります」
レーネが丁寧に説明した。
彼女の言っている内容を、賃金の下方硬直性と言ったりもする。
「なら責任の所在は雇用主じゃありませんの」
「雇用者も平民ですから。生活は楽じゃありません」
「……」
何か思うところがあったのか、クレア様は少し考え込むような様子を見せた。
「クレア様」
そんなクレア様を聞き覚えのある声が呼び止めた。
「あら、メイド長。奇遇ですわね」
声の主はフランソワ家のメイド長だった。
彼女とはメイドの面接で一度顔を合わせている。
「旦那様のお買い物の途中なのですが、旦那様がクレア様を見かけて連れてきなさいと」
「お父様が?」
クレア様のお父様とも、メイド面接の時に顔を合わせている。
財務大臣のドル様である。
「今は仕事中なんですのよ」
「そうだと思ったのですが、旦那様はどうしてもと」
「仕方ありませんわね……。あなたち、少しよろしくて?」
この国有数の貴族の誘いだ。
私たちに断れるわけがない。
一行はメイド長に連れられて大通りへと出た。
路肩に一台、明らかに仕立てが違う豪奢な馬車が停まっていた。
「やあ、クレア。学友の諸君もごきげんよう。車上から失礼するよ」
クレア様によく似た金髪の美丈夫が、フロックコート姿で馬車の扉を開けた。
「ごきげんよう、お父様。どうなさいましたの? わたくし、これから学院騎士団の買い物ですのよ」
「ん? 大して用がある訳ではないが、娘を見かけて呼び止めてはいけない理由でもあるのかね?」
ドル様はあっけらかんと言った。
「お父様……わたくし、これでも忙しいんですの」
「私よりも優先すべきものがあるとは思えないが」
さも当然と言った様子で首をかしげるドル様。
ドル様という人は、良くも悪くも貴族そのものなのだろう。
「買い物なら乗って行きたまえ。平民の君らも、特別に同乗を許可する」
「行き先は貴族街ではありませんのよ?」
「たまにはいいさ。平民の暮らしを見ておくのも、貴族の務めではある。気は進まんがね」
そんな訳で、ドル様とご一緒することになった。
三頭立ての馬車は五人で乗っても窮屈さを感じないほど大きかった。
サスペンションのようなものが効いているのか、乗り心地も驚くほど快適である。
しばらく、誰も喋らなかった。
ミシャとレーネは可哀想なくらい緊張している。
「最近の学院はどうだね、クレア」
口を開いたのはドル様だった。
寮生活で離れて暮らしている娘と久しぶりに話せたのが嬉しいと見えて、にこにこと機嫌が良さそうである。
「別に普通ですわね。平民運動とやらがちょっと煩わしいくらいですわ」
クレア様はそっけなく答えた。
年頃の娘さんは難しいね。
「平民運動か……。陛下の能力重視政策をはき違えた愚か者の所業だな。だから私はあの政策には反対だったんだが……」
やれやれ、とドル様がこめかみを撫でた。
ドル様は能力主義に反対する貴族勢力の最先鋒であると言われている。
能力主義の申し子とも言うべき平民運動には、いい顔をしていないようだ。
「お前はどう考える、レイ=テイラー?」
そんなドル様が、急に私に水を向けてきた。
クレア様が目を剥く。
「お父様、どういう風の吹き回しですの? 平民の名前を記憶なさっているのもそうですが、あまつさえ声をおかけになるなんて」
この中でドル様を誰よりよく知るクレア様にとっても、ドル様の行動は意外なものだったようだ。
「なに、ちょっとした気まぐれだよ。彼女は今年の編入生の中でも抜きん出た成績を収めていると聞く。そんな者がどのような考えを持っているか、と思ってね」
取り立てて深く考えた質問ではない、とドル様は強調した。
「そうですね……。クレア様にも似たようなことを訊かれましたけど、私としては特にどうとも思っておりません。私にとってはクレア様と過ごせる日々があれば他は割とどうでもいいです」
「ふむ。従者としては正しい考え方だ。しかし、お前も平民であることは事実。貴族のような生活に憧れることはないのか?」
例えば娘のように着飾ってみたり、とドル様は重ねて問うてきた。
「私は自分が贅沢をするよりも、クレア様が幸せそうになさっているのを見ているのが好きなんです。貴族的な生活には特に憧れはありませんね。毎日を食いつないでいくことが出来れば十分です」
「本心か?」
「本心です」
ドル様の目が私をじっと見つめている。
この世界では目を合わせるのが不敬という決まりもないので、特に考えも無くぼけっとその目を見返した。
「ふむ。今時の平民にしては弁えているな。お前のような者がもっと増えることを望む」
「恐縮です」
満足そうに微笑むドル様に私は軽く礼をして応えた。
レイの礼、なんちゃって。
断っておくが、私は平民運動を下らない運動だとは決して思っていない。
その思想は尊いものだと理解しているし、貧富の格差だって縮まればいいと思っている。
ただ、平民運動に参加するよりも、クレア様のメイドとして働く方が好きなだけだ。
とどのつまり優先順位の問題である。
「少し気分がいい。菓子を買ってやろう。メイド長、ブルーメに向かってくれ」
「かしこまりました」
馬車が方向転換する。
余談だが、御者はメイド長である。
御者もこなせるとはなんという万能ぶり。
「ちょっとお父様、勝手に決めないで下さいな。先ほども申し上げたとおり、わたくしたち仕事で来ていますのよ?」
「少しくらい寄り道したところで構わんだろう? 何か言われたら、私の名前を出せばいい」
「そういう問題じゃありませんのよ」
「では、どういう問題なのかね?」
ドル様、フリーダムである。
「ブルーメの菓子を食べたことがあるかね? チョコレートなど、平民は口にしたこともなかろう」
「ありません」
問われて答えたのはミシャである。
私は前世で食べたことがあるし、そもそもこの世界でのチョコレートの発案者でもあるのだが、角が立ちそうなので黙っていた。
「そうだろう。あれは斬新な菓子だ。ブルーメは本当によく出来た開発陣を持って――」
その後は上機嫌に喋るドル様とブルーメに行き、本当に菓子を奢って貰った。
学院騎士団の買い物にもドル様の馬車を使わせて貰えたので、寄り道をした割には予定よりも早く学園に戻れたくらいだった。
お茶菓子にチョコレートという戦利品を持ち帰った私たちが、学院騎士団のメンバー全員から賞賛されたことはまた別の話である。
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