266.心象の世界(3)
この世界は心の世界だと教皇様は言った。
魔王も思いをぶつけろと言う。
クレア様に今、届けるべき思いは何か。
私は考えて、それを選んだ。
私は指先をクレア様に向けると、そのイメージを放った。
目映い光がクレア様に向かって着弾する。
『平民風情がわたくしと机を並べようなんて、身の程を知りなさい!』
光がスパークすると、懐かしいセリフが暗闇の中に響いた。
同時に夕焼けの教室が懐かしい景色に塗り替えられていく。
そう。
クレア様と私の最初の出会いだ。
「これは……わたくし……?」
「そうです、クレア様。これが本当のあなたの記憶です」
「知らない……。わたくし、こんなもの知りませんわ。デタラメを仰らないで」
「デタラメなんかじゃありません。私はずっとクレア様の側にいました! この時からずっと!」
私は声を張り上げた。
思いが届くように。
タイムに浸蝕されたクレア様の心を癒やすように。
私は次々と光弾を繰り出した。
『クレア様、私はクレア様が大好きです』
『な……、ななな……!?』
私はクレア様に愛を囁いてきた。
ずっと、ずっと。
転生したあの日から、精一杯、一心に。
『あら、ごめんあそばせ? ぼーっと立っていらっしゃるから、置物かと思いましたわ』
『取り巻きがいらっしゃるのに、他人に頼らず自ら手を汚されるなんて! それでこそクレア様です!』
私の光弾がクレア様に届く度、世界が姿を変える。
喜々としていじめられに行った懐かしい日々。
『あなたはどうしてわたくしのことが好きだなんて言うんですの?』
メイドとなり、クレア様に仕えるようになった。
『わたくしは人に好かれるような性格ではありませんわ』
愛を囁いても、素直には受け取って貰えなくて、
『じゃあ、信じて頂けるように頑張ります』
それでも愛を囁くことはやめなかった。
『これまでありがとう、テイラーさん』
マナリア様のことがきっかけで、ケンカもした。
『たとえ神様の天秤に認められなくても、それでもあなたを愛します。誰に負けようとも、それでもずっとあなただけを愛し続けます。だから――』
それでも仲直りして、一層二人の絆は強くなった。
『レイはわたくしのものよ! わたくしのものを取らないで!』
クレア様も多分、この頃から変わって行って。
『わたくしは、貴族ですもの』
それでもまたすれ違って。
『一度くらい、私のワガママ聞いて下さいよ、ばかぁぁぁー!!!』
そうやっていくつもの波を二人で乗り越えてきた。
「くっ……こんな幻をいくつ見せられても……」
「その割にはちょっと苦しそうですよね、クレア様。もしかして、アナタの中の本物のクレア様の記憶と感情が暴れてるんじゃないですか?」
「そんなこと……!」
「まだまだ行きますよ!」
私はさらに光弾を撃ち続けた。
『ショートカットの可愛いあなた。あなたは今日からメイと名乗りなさい』
『かわいい……? めい……?』
『ロングの綺麗なあなた。あなたはアレアですわ』
『……きれい? ……あれあ?』
メイやアレアとの出会い。
『今日は来られて良かったですわ。ありがとう、レイ』
穏やかな新婚生活。
『遠路はるばるご苦労。余がナー帝国皇帝、ドロテーア=ナーである』
帝国への引っ越し。
『私はずっと母が理解出来なかった。彼女はずっと、私のことを苦しめたいのだと思っていた。でも多分、それは違う。違うんだよ。あの時、爆発から身を挺して私を守ってくれたあの人は、間違いなく私の母だった』
教皇様の暗殺未遂事件。
『レイってば、顔が真っ赤ですわよ?』
『全部、クレアのせいですからね』
『ふふ、そうですの……え?』
二人して踊った舞踏会。
『貴様は大逆の罪により、国外追放処分とする』
失敗に終わった帝国籠絡作戦。
『ヤツはしてはならないことをしました。私たちの逆鱗に触れたと言っていいでしょう』
『そうですわね』
『絶対、捕まえましょうね』
『ええ、絶対に』
教え子たちの抱える問題を解決し。
『ドロテーア、気がついていますか?』
『何をだ?』
『この会談以前に彼女を解き放った時点で、あなたはとっくの昔に負けていましてよ? ふふ、ふふ……おーっほっほっほ!』
首脳会談でドロテーアをやりこめ。
『魔王様のご降臨だ。人間ども、絶望しろ。そして死ね』
帝都襲撃では魔族にギリギリまで追い詰められ。
『そうですわね。あなたは天才ですわ。だから……一人でもきっと大丈夫』
『イヤです……イヤだ……。私を一人にしないで、クレア。お願い……』
世界の真実には二人して驚かされた。
『バカぁ……バカぁぁぁ……あーぁぁぁ……!』
『ごめんなさい……ごめんなさい、レイ。怖い思いをさせましたわね。本当にごめんなさい……』
熾烈を極めた魔王との戦い。
そして、今。
「はあ……はあ……どうしてこんなまやかしが……!」
「いい加減思い出して下さい、クレア様。私たちの絆は、たかが人類の存続ごときに上書きされるほど浅いものじゃないはずです」
「人類の存続……ごとき!?」
「そうです、ごときです。クレア様と私が添い遂げることに比べたら、その他の事なんて有象無象ですよ。なんで分からないんですか」
「人類の存続がそんなに軽いわけないでしょう! 何言ってますのレイ! ……あっ」
「そうそう、その調子です。いい感じですね、クレア様?」
「わたくし……は……え……どうして……?」
クレア様が怯えるように身体を縮こまらせた。
彼女を包んでいた濃い紫色の光は、その色を随分薄めているように見えた。
光に抑え込まれるように、クレア様が苦しげに身をよじる。
「思い出して下さい、クレア様! あなたが関わった人たちのことを! メイやアレアのことを! そして、誰より私のことを!」
「うぅ……」
光が明滅している。
あれがクレア様の心を縛り付けている元凶だろうか。
「約束したじゃないですか、四人で帰るって! 一緒に帰りましょう、クレア様!」
私は特段の思いを込めて、とどめの光弾を放った。
『そうですか? それじゃあ、やり直しさせて下さい』
『い、いいですわよ? 特別に許して差し上げますわ』
『いえ、そちらではなく』
『え?』
革命を乗り越えて、初めて思い合って交わした幸せな口づけ。
「あ……ああ……」
『クレア様』
『……はい』
『愛してます』
『わたくしもですわ、レイ』
『クレア様を一生、愛し続けると誓います』
『そばでずっと、支え続けますわ、レイ』
革命前夜のキスはクレア様から。
革命の時のキスは私から。
そして、結婚式の時は二人で、だった。
「あああ……っっっ……!!」
クレア様が我が身を抱きしめながら絶叫すると、紫色の光ははじけ飛んで消えてしまった。
同時に、辺りが明るくなっていく。
「クレア様!」
「いや……いやですわ……。わたくし、お母様と離れたくない。『あなた』と離れたくない……」
クレア様はまだうなされるように言った。
彼女にとって、ミリア様との死別、そして私という存在は、手前味噌ながらとても大きな意味を持っているのだろう。
「目覚める」ことに恐れをなしているように見えた。
いつも気丈に振る舞っているが、本当のクレア様は傷つきやすくて繊細な心の持ち主なのだ。
「私はどこにも行きませんよ。私はここにいます。きっと、ミリア様だって――」
私が何か言おうとすると、幻のミリア様がすっとクレア様の背中を押した。
「お母様?」
「クレア、あなたはもう、大丈夫なのね。それなら……私も安心して送り出せます」
このミリア様はタイムが作り出した幻であるはずだ。
それでも、ミリア様はまるで本物の彼女のように、クレア様を諭そうとしている。
「いやですわ! わたくし、ずっとお母様と一緒にいたいんですのよ!」
「私はいつだってあなたの側にいるわ。マナリアちゃんも言っていたでしょう? 私の思いはずっとあなたの中で息づいています。あなたが忘れない限り」
「忘れたりなんて絶対にしませんわ!」
「そう。なら、分かるわね? あなたがこれからどうするべきか」
「……」
クレア様はまだ迷っているように見える。
葛藤に海の色の瞳が揺れていた。
「あなたはクレア=フランソワ。ドル=フランソワとこのミリア=フランソワの愛しい娘。私たちの娘なら、それに恥じない生き方をしなさい」
「お母様たちに……恥じない……」
「レイが教えてくれたでしょう? 辛くても、苦しくても、でも、あなたが歩んできたその道のりには、沢山の人との出会いがあったと。彼女たちの思いを、あなたは無駄にしてはいけません」
クレア様がはっとするようにこちらを振り返った。
彼女の視線は私と、私よりもさらに後ろに向けられている。
クレア様はそこに何かを見たらしい。
「さあ、もう目覚める時間です。さようならは言わないわ。行ってらっしゃい、愛しいクレア」
「……お母様。またいつか、お目に掛かることが出来まして?」
「ええ、あなたがその人生を誇りとともに生き抜いたその後で」
「……分かりましたわ。わたくし、もう迷いません。いつか、お母様に笑ってご報告出来るように生きますわ――レイと一緒に」
「ええ、待っています」
そう言うと、ミリア様の姿は徐々に薄れ、虚空に溶けて消えてしまった。
クレア様は涙を拭うと、こちらに向き直った。
その身体が徐々に落下してくる。
魔王が受け止めようとしたが、私はそれを追い抜いてその身体を抱き留めた。
どうやらもう私の身体は普通に動けるようだ。
私はクレア様の身体を横たえると、その手を強く握った。
ふと、そこに別の誰かの手が重ねられたような気がした。
それも一人ではない。
リリィ様、マナリア様、ミシャ、レーネ、三王子、フィリーネ、ドロテーア、教え子たち……他にも沢山たくさん。
今までクレア様と一緒に出会った幾人もの人たちが一緒にクレア様の手を握ってくれていた。
「レイ……」
「はい」
「わたくし、帰ってきましたわ」
「はい。ご気分はいかがですか?」
「……複雑ですわ。長い夢を見ていました……。とても優しくて悲しい夢を」
「……」
ミリア様がいて、まがい物でも私もいる世界。
それはきっと、クレア様にとってとても安楽な場所だったことだろう。
「でも、夢は夢でしたわ。どれほど居心地がよくても、あれは偽りのもの。お母様に叱られてしまいましたわ」
「でも、大丈夫です。クレア様は皆のこと、ちゃんと気付いたでしょう?」
「ええ、そうですわね」
不思議なことに、クレア様にも私が見たあの光景は伝わっているようだった。
ただの幻かもしれない。
でも、心が全てという空間だ。
何が起こったのだとしても不思議ではない。
「まあとにかく、これでタイムの思惑は外れたはずです。後は帰るだけですね」
「どうやって帰るのかしら……?」
「……さあ……」
よく考えてみたら、行きはタイムが送ってくれたので、帰り方が分からない。
「心配しないで下さい。私が送ります」
「魔王……」
「クレア様……ご無事でなによりです」
「あなた、身体が……」
「ええ、そろそろ限界のようです」
私がクレア様とやり合っている間、クレア様からの攻撃は全て魔王が身代わりになってくれていた。
やはりこの世界で受けたダメージは、実体にも影響があるらしい。
魔王の身体は徐々にその色が薄れて行く。
「そろそろ私の力も底をつきそうです。私はここでは異物。ウィルスとしてシステムから排除されますから、私に触れていれば一緒に抜け出すことが出来るはずです。レイ=テイラー、クレア様のことを頼みましたよ」
「ちょっと待って下さい、魔王。システムのことはどうしたら……」
「それはもう、あなた方二人に任せます。私にはもうどうしようもないですから。続けるも止めるも変えるも、好きにすればいいです」
「そんな無責任な」
「知らなかったんですか。私、割と無責任なんですよ」
「……そういえば、魔王は私でしたね」
「そういうことです」
魔王は薄く笑うと、残っている方の手でクレア様と私を抱えた。
それと同時に、三人の体が上へ上へと昇っていく。
「向こうに戻ったら、まず、タイムの機能を制限するといいでしょう。それからのことは二人でゆっくり考えればいいと思います」
「ありがとうございますわ、魔王……いいえ、もう一人のレイ」
「いいえ、その名前で呼ばれる資格は、私にはないでしょう」
「……」
しばらく、無言で不思議な空間の中を昇っていく。
と、魔王が腕を放した。
「魔王?」
「ここでお別れです。あなた方はそのまま昇って行きなさい」
「あなたは……?」
「……」
見ると、魔王の体は消失を始めていた。
上へ昇っていく私たちとは逆に、暗い水底のような下方へと沈んで行く。
「長い……本当に長い旅でしたわね。もう休んでいいんですのよ」
「ありがとうとは言いません。でも、お疲れ様でした」
まるで老人の臨終を看取るかのように、クレア様と私は言った。
「ええ、そうさせて頂きます。お元気で、クレア様。レイ=テイラー、頼みましたよ」
その言葉を聞くと同時に、私たちの意識はフェードアウトするのだった。
最後に見た魔王の顔は分かりづらかったが、もしかしたら、笑っていたかも知れない。
ご覧下さってありがとうございます。
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