254.策士の最期
※サーラス=リリウム視点のお話です。
一瞬、ロッド王子に気付かれたかと思ったが、どうやらその心配はないらしい。
私は今、帝城から少し離れた森の中にいる。
そこから遠見の魔道具を使って、魔王たちの戦いを盗み見ていた。
この遠見の魔道具は元々、誰でもテレポート魔法を使えるようにと研究された帝国の試作品だ。
ゲートと呼ばれる扉を開いて、遠隔地を行き来しようという発想で作られた魔道具だが、開発が断念されたという経緯がある。
開発そのものは完全に失敗だったわけではないが、大きなゲートを開けるには高純度の魔法石と莫大な――それこそ魔族のような魔力が必要で、おまけに負荷で魔石が壊れるためにコストが高すぎると来ている。
私は以前、これを使ってリーシェ元王妃のレイ=テイラー暗殺に加担したことがある。
あの時は魔王の秘蔵の魔法石と、ラテスという規格外の魔力の持ち主によって大規模なテレポートを実現した。
だが、私にとってはそんな贅沢な使い方は必要ない。
僅か数センチ――視線が通るだけのゲートが開けばそれで事足りる。
稀少品なのでそう何度も使えるものではないが、私は今がその時と踏んだ。
あの憎きレイ=テイラー、そしてクレア=フランソワが魔王と戦っている今。
ヤツらの注意が魔王にそれている間に、ヤツらの最も大切なものを奪ってやろうと思ったのだ。
ヤツらの最も大切なものとは、もちろんヤツらの娘のことだ。
血縁でもない孤児を引き取って育てるという、私からすれば理解しがたいままごと遊びだが、ヤツらにとってはこの上ない宝物に見えるらしい。
私の全てを奪ったあいつらから、今度は私が奪ってやろうと言うのだ。
あの忌まわしき革命の後、私は牢獄に入れられた。
帝国の後ろ盾を失い、外交的知識を提供することで極刑は免れたが、その生活は革命以前とは比べものにならないほど落ちぶれたものだった。
まるで、私が生まれた生家のように。
元々私は貴族とはいえ下級も下級、下手をすればあのオルソー家よりも貧しい生活をせざるを得ない、そんな没落貴族だった。
貴族位こそあったが、それも名ばかり。
父親は酒に溺れ、母親は現状を嘆くばかりで何も解決しようとしない、そんな家だった。
私は幼心に思った。
こんな家にいては腐ってしまう。
私はここから抜け出さなければならない、と。
私がしたことは単純だった。
勉学である。
王立学院はその頃まだ、貴族たちの社交場としての側面が強かったが、学ぶ意欲があればいくらでも学ぶことが出来た。
上級貴族たちの冷ややかな眼差しに晒されつつも、私は必死で勉強し、学院を首席で卒業した。
卒業後、私はその能力を買われて官僚となった。
当時の王国政治は腐敗が進んでおり、まともに職務を遂行できる貴族が少なかったのだ。
私はそこでもやはり上級貴族たちから冷遇されたものの、仕事は出来たために排斥されることはなかった。
いいように使われていた、とも言える。
遊びほうける上級貴族たちを尻目に、朝から晩まで仕事に追われる日々が続いた。
実家のことはとうに捨て置いた。
父や母からは金の無心があったが、全て無視した。
箔付けにもならない貴族の家など、せいぜい貴族であるという事実の証明くらいにしか役に立たない。
やがて、実家からの連絡も途絶え、しばらくして両親が自殺したことを知った。
何の感慨もなく、私はただ家を継ぐだけ継いだ。
家には莫大な借金が残されていた。
それを返済するため、私はまた馬車馬のように働いた。
何の希望もない日々だった。
私に転機が訪れたのは、前国王ロセイユが即位した時だった。
若くして王となったロセイユは能力主義を掲げ、身分に関係なく有能な者を取り立てる方針を打ち出した。
それはまだ絵に描いた餅だったが、ロセイユは私を重用した。
私はこれまで私を見下してきた貴族たちを出し抜いて、ロセイユの実務担当官となった。
後に王妃となるルルやリーシェと出会ったのもこの頃だった。
二人は貴族としては最高位に近い身分だったこともあり、周りの男は全て自分よりも位が低かった。
そのせいか、二人は私を差別しなかった。
むしろ、その能力を正当に評価してくれさえした。
今となっては消し去りたい過去だが、私は二人に対して恋愛感情などという何の役にも立たないものを覚えるまでになった。
やがてルルが王妃となったが、彼女と私の逢瀬は続いた。
私は彼女の後ろ盾を得て、ぐんぐんと出世していった。
破局のきっかけとなったのは、ルルが私の子を身ごもったことだった。
上の王子であるロッドとは明らかに違う容姿のその赤ん坊はセインと名付けられた。
私は破滅を覚悟した。
いかに能力主義を唱えるロセイユであっても、流石にこれは許すまい。
私は少しでも立場をつなぎ止めようと、ルルとの会話を録音し、その弱みを握った。
無駄なあがきとは思ったが、あの両親のようになるのだけはごめんだった。
不思議なことに、ロセイユは私を咎めなかった。
セインは第二王子として受け入れられ、私はとうとう王国宰相にまで上り詰めた。
ロセイユは見抜けなかったのだろうか。
いや、セインを見る視線が時々悲しげに見えるから、気付いてはいるのかも知れない。
だが、それを言葉に出来ない腰抜けだ。
私はこんな男が王でいいのかと考えるようになった。
宰相の地位まで来たのだ。
どうせならさらに上を目指してもいいのではないか。
そう考えた私は、密かに敵国であるナーに接触した。
ナーの皇帝は、バウアーを帝国の属国にすることを条件に、私にその支配権を与えると約束した。
全てが順調だった。
私はあと少しで一国の王となることが出来たのだ。
そこまでの血の滲むような努力を、全て無に帰したのがあのレイ=テイラーとクレア=フランソワだった。
ヤツらは私と帝国の密約を暴き立て、あまつさえ貴族政治というこの国のシステムすら変えてしまった。
政体が変わった後の盟主になろうという試みもくじかれ、私は投獄された。
全てはヤツらのせいだ。
全てを失った私は、何としてもヤツらに復讐することを決意した。
リーシェを頼って脱獄した私だが、帝国は既に私を見限っていた。
そんな私を拾い上げたのが魔王だった。
魔王はレイ=テイラーとクレア=フランソワ殺害のために、私に協力しろと言ってきた。
魔王は恐ろしかったが、利害が一致した私は彼女の求めに応じた。
あの二人に復讐できるなら、何でも良かったのだ。
レイ=テイラーと瓜二つの顔は忌ま忌ましかったが、いつか利用してやると心に決めて私は耐えた。
だが、レイもクレアもしぶとかった。
リーシェを利用した暗殺も、投獄前から仕込んでいたラナによる誘拐も、ヤツらは切り抜けて見せた。
憎しみは募るばかりで行き場を失い、私の中で荒れ狂った。
そうして今、私は最大の好機を得た。
私はメイとかいう娘に向けて、ゲートを通じて微細な刺激を送った。
「ん……?」
娘の目がうっすらと開かれる。
私はそれをゲート越しに凝視した。
「さあ、メイとやら。お前は今から私の手足となるのです」
「……」
娘の目がとろんとしたものに変わる。
暗示の効果だ。
私は成功を確信した。
ところが――。
「サーラス、ここまでだ」
「!?」
娘の口から、子どもとは思えない声が聞こえた。
その声には聞き覚えがあった。
「ドル=フランソワ!?」
「娘も孫も今、運命そのものに立ち向かっている。お前程度の小物にかかずらっている暇など無いのだよ」
「なんだと……!」
混乱する頭で必死に考える。
何だ、何が起きている?
「お前にはこれから、死ぬまで無限の夢の中を彷徨って貰う。悪態をつくも良し、自らの行いを悔いるも良し、好きにしたまえ。だが、お前は一生、その夢の中だ」
「待て、ドル!」
「お前にも何か言い分があるかも知れないが、このメッセージは記録に過ぎん。私にももうこれは止められない」
「待て……待ってくれ!」
「さらばだ、サーラス。先に地獄で待っていろ」
声が途切れると同時、私の視界も一変した。
気が付くと目の前にはボロボロの館があった。
見覚えがある。
これは私の生家だ。
「なんだ……これは……?」
辺りを見回すと、物陰にいくつもの目があった。
「父上……母上……。トンプソン男爵にイエール伯爵……! リリィ、ラナまで……!」
両親を始めとして、これまで私が切り捨てて来た人々が、柱の陰や窓の外からこちらを見ている。
「見るな……! 私を見るな……! 私はお前たちとは違う! 私はここで終わったりしない!」
怨念のこもった視線に、堪らず駆けだした。
走って走って、もうここまで来れば大丈夫だろうという所で気付いた。
また生家の前だった。
「た、助けてくれ!」
私はみっともなく救いを請いながら走り続けた。
どんな方向にどれだけ走っても、結局は生家の館に戻ってきてしまう。
そして、あの視線に晒され続けるのだ。
そんなことを何度も繰り返した。
「……もう……もう……終わらせてくれ!!」
すると館は消え、辺りは黒一色の闇に包まれた。
自分が今どこにいるのか、どんな場所に立っているのか、それすらも曖昧になる無明の闇だった。
「なんだ……なんだここは……」
必死で助けを求めるが、応える声はない。
音が反響すらしないこの空間は、一体なんなのだ。
ドルは私は死ぬまでここに閉じ込められると言っていた。
こんな場所が……こんな場所が私の終わりなのか。
「イヤだ……こんな終わりはイヤだ……! 誰か! 誰か助けろぉぉぉ! うわあぁぁぁっっっ!!」
私は何度も暗闇の中で叫んだが、とうとう救いの手が現れることはなかった。
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