240.宣告
「これが、全ての始まりです」
使徒の言葉で私たちは我に返った。
まるで走馬灯のような映像だった。
いや、そんな生やさしいものじゃない。
五感、記憶、感情すら伴ったそれは、バーチャルリアリティと呼ぶのもおこがましい。
使徒の言うように、まさにこれは人生の追体験だった。
「これが……全ての始まり……? わたくしとレイが……?」
「そうです」
呆然とした様子で独り言のように呟くのはクレア様だった。
恐らく、完璧には理解していないだろうが、分かった部分だけでも衝撃的過ぎるだろう。
「動揺するのは分かりますが、今ご覧に入れたことは全て真実です」
使徒が淡々と言う。
私はそれを見て半ば確信した。
「そうすると、使徒。あなたの正体は――」
「はい。ループシステムの制御装置、人工知能タイムの端末です」
やっぱりか。
「ボクからも確認させて貰うけど、この大橋零がレイの前世で、今見た映像のクレア=フランソワがこのクレアの前世なんだね? その量子なんとかという技術で転生を繰り返してるっていう」
マナリア様が使徒に尋ねる。
「少し違います。クレア=フランソワはその通りですが、今ここにいるレイ=テイラーは、魔王となった大橋零とは別個の個体です」
「……え?」
私は使徒の言っていることがよく分からなかった。
だって、私には大橋零としての記憶が――。
「レイ=テイラー。あなたにはOLとしての記憶はあっても、管理者としての一週目以来の記憶はないでしょう?」
「……あ……」
確かに。
もしも私がループシステムを作り上げた本人であるならば、その時の記憶を持っていなければおかしい。
今見せられた映像では、零は各文明の中で生活している時、管理者としての記憶を消していたこともあったようだが、ならば逆に、私が社畜OL時代の記憶を持っていることが不自然だ。
これは一体どういうことなのだろう。
「レイ=テイラー。あなたは私が用意したコマです。大橋零の量子データから作り上げた、もう一人の大橋零ということになります」
「!?」
私は……本物の大橋零じゃない……?
「いまご覧になったように、本物の大橋零は管理者の義務を放棄して、魔王となって人類の歴史を閉じようとしています。私はそれを止めなければなりませんでした」
私の存在理由は人類の存続なので、と使徒――タイムは言う。
「とはいえ、私は飽くまで人に使われる存在です。管理者の存在なしに、私は稼働できないのです。そこで私は大橋零に代わる新しい管理者を密かに用意する必要がありました」
それがあなたです、レイ=テイラー、と使徒は言った。
「私はこうなることを予想し魔王に対抗するために、数回前のループから強い力を持った個体を作り上げることを試みていました。この世界におけるあなたと同じ顔をした者たちは、その失敗作たちの名残です」
イーリェや教皇様も、そうだというのだろうか。
「しかし、私はついに強力な個体を生み出すことに成功しました。それが前回の科学文明で生まれたあなたです」
「なら……美咲たちと過ごしたあの時間は……」
「紛れもなく、あなたの経験です」
良かった、それならいい。
私が管理者とかいう存在じゃなかったとしても、美咲たちと過ごしたあの日々が作り物でないのならそれでいい。
私の記憶している前世は、確かに存在したのだ。
「あなたの魂を科学文明から回収し、権限が許す限りの能力を与え、この世界に転生させました。ですが、魂の容量の都合により、転生前の一定期間以降の記憶をあなたは失いました。記憶の復元処理にも時間が掛かってしまい、結局、あなたの記憶には不自然な途切れが生じてしまいました」
それで私は、仕事終わりにゲームをしてたはずなのに、突然、学院の教室で目が覚めた、みたいな感じになったのか。
考えてみれば、ミシャは私が豹変したみたいなことを言っていたし、私が目覚める前のレイ=テイラーという存在もいたのだ。
全部が全部作り物というわけではないのだろう。
それにしても――。
「ちょっとタイム。あなた、もう少し言葉を選びなさいな」
私の気持ちを代弁するかのうように、クレア様が険のある声を上げた。
「コマだとか、作り上げただとか、大橋零の代わりだとか、よくもそんなことが言えましたわね。人を――一人間の尊厳を何だと思っていますの」
クレア様は怒ってくれた。
彼女には分かっているのだ。
使徒の話で、私が一瞬、アイデンティティを喪失しそうになっていたことが。
「ご気分を害されたなら謝罪致します。数億年を経ても、私はまだ人間の感情の機微が理解しきれないようなのです」
「そのようですわね。いいですこと? ここにいるレイは誰の代替品でもありませんわ。唯一無二。かけがえのないわたくしのパートナーですわ」
「クレア様……」
私は思わず涙腺が緩んでしまった。
ああ、この人の伴侶で本当によかった。
たとえ私が使徒の目的を達するためのコマに過ぎなかったとしても、私がクレア様に恋して一緒になった事実は変わらない。
彼女が必要としてくれる限り、私は私として生きて行ける。
「うーむ……。少し整理させて欲しい。タイム、違っていたら指摘してくれたまえ。まず、人類は昔、科学という文明を築いていて、それが行き詰まりつつあった」
「そうです」
ドル様の問いを、タイムは肯定した。
人類は自らの環境破壊によって終焉を迎えようとしていた。
「大橋零とクレア=フランソワという研究者が人類を存続させるための研究を行い、ループシステムを作り上げた」
「表向きはそうでしたが、零の本音はクレア=フランソワと永遠の恋をすることだったようです」
我ながら(厳密には違うが)、何ということを考えるのだろう。
「そしてシステムは実際に稼働を始め、人類は科学文明と魔法文明を繰り返し、その中で零は管理者としてシステムを維持してきた」
「クレア=フランソワとの恋を楽しみながらですね」
だが、それは永遠には続かなかった。
「ループを重ねすぎた零は、やがてクレアへの思いが摩耗して行き、その思いが完全に無になってしまう前に、ループを終わらせることを決断した」
「その通りです。とても自分勝手な決断です。ループの最終盤、私は彼女にクレア=フランソワとの記憶の調整、削除を提案しましたが、魔王は全く耳を貸さないので私は彼女を見限りました」
自分勝手――確かにそう思う。
思うが、私には管理者となった大橋零――魔王の気持ちは追体験を経た今も厳密には分からない。
今の私はクレア様にぞっこんだ。
彼女への気持ちが薄れることなど想像すら出来ない。
でも、魔王は途方もない年月を一人で過ごしてきた。
彼女にとってクレア様という存在は、無限のループを続ける中で数少ない――あるいは唯一と言ってもいい程の光明、よすがだっただろう。
その気持ちが摩耗して消えてしまうというのは、一体どれほどの恐怖と苦悩だったのか。
「ちょっと待った」
私が逡巡していると、話の流れを断ち切るような声が上がった。
「なんですか、ロッド=バウアー?」
「これが事の発端でございって言われても、オレはそう簡単にゃ納得出来ねぇよ」
ロッド様は肩をすくめて更に続ける。
「前世? 循環する世界? 全部、零のせい? おいおい、ちょっと待てよ。全部、お前から出た一方的な情報じゃねぇか。証拠はあんのかよ?」
言われてみれば確かに。
バーチャルリアリティなんていうとんでもないものを見せられたせいで、思わず納得しかかってしまったが、よくよく考えてみればタイムの言うことが本当かどうかはまだ分からない。
情報を制するものは世界を制す、とは前世の起業家の言葉だったか。
「先ほどご覧に入れた映像と、ここに私と言うシステムがいます。それが証明にはなりませんか?」
「あれくらいで証明と言われてもな。それこそサーラスの暗示だって、掛かった相手からは同じように見えんだろ。俺は簡単には信じねえよ」
どうもロッド様はタイムに不信感を持っているらしい。
まあ、胡散臭いと思うのは私も同感だ。
「そもそもレイとクレアに一方的に全部の責任おっかぶせるような話の進め方が気に入らねぇな」
「事実ですから」
「そうかい。随分とまあお前に都合のいい事実だな?」
ロッド様は挑発するように言ったが、タイムはにこやかに笑うだけだ。
ロッド様は一つ溜め息をついてから続けた。
「魔王は敵だ。それだけは確かだし、責任うんぬんはそれで充分だろ。――で、お前は味方なのか?」
「……どうもあなたには何を言っても信じて貰えなさそうです」
肩をすくめてみせるタイム。
「……それで? お前は俺たちに何をさせたいのだ?」
セイン様がタイムに問うた。
タイムはリリィ様の顔でにっこり笑うと、
「魔王を倒して下さい。そして、彼女から管理者権限を取り上げて下さい」
「え。そんなことが出来るんですか?」
疑問を差し挟んだのはフィリーネだった。
「魔王はえーっと、その、今も管理者なのでしょう? いわばこの世界の創造主みたいな存在じゃないですか。そんな人を倒して管理者権限を奪うなんて、どうやったらいいのかちょっと想像がつきません……」
フィリーネは弱音のようなことを言うが、もっともな意見だと私も思った。
実際に対峙した魔王はとんでもない強さだった。
かろうじてロッド様の用意した謎の魔法は通じるようだったが、それ以外では傷一つつかなかった。
まして、管理者権限を奪うなんていう抽象的なことを、どうやって達成すればいいのか。
「確かに魔王の力は強大です。ですが、彼女にはいくつかつけいる隙があります」
「へぇ? ぜひとも教えて欲しいね」
ウィリアム様が興味深そうに先を促した。
「まず、彼女はクレア=フランソワには手が出せません。自らクレア=フランソワに手を下せるのなら、そもそも人類史は既に終わっています」
「クレア様を盾にしろっていうんですか!?」
私は思わず声を荒らげてしまった。
いくら何でも暴論過ぎる。
「言い方は悪いですが、その通りです。魔王はその気になれば山一つ消し飛ばすことも容易いですが、その場にクレア=フランソワがいればそのような大技は使えません」
「この――!」
「お待ちなさい、レイ。タイム、わたくしがいれば、魔王は手加減するしかない、そう仰るんですのね?」
「クレア様!?」
「理解が早くて助かります、クレア=フランソワ」
慌てる私をよそに、クレア様が話を続ける。
「防御面はそれでいいとして、攻撃面はどうするんですの? 魔王が纏う魔法障壁はわたくしたちの手持ちの攻撃手段がほとんど通じませんでしたわよ?」
「それは、ロッド=バウアーが何とかしてくれます。そうですね?」
タイムはロッド様に水を向けた。
「いいように使ってくれるぜ全く。まあ、これも甲斐性ってヤツか? いいぜ、任せておけ」
ロッド様はいつもの調子で軽く請け負った。
「ロッド兄さん、そもそもあの魔法は一体何なんだい?」
「オレが開発した大規模術式だ。ちっと大がかりな魔法で、発動に色々と面倒な手順があるんだが、威力は折り紙付きだぜ? 魔王の障壁を貫いたのを見ただろ?」
ユー様の問いに対して、ロッド様が自信満々に笑う。
「詳しい仕組みを共有して欲しいね。軍事機密だろうけど、今は人類が滅ぶかどうかっていう瀬戸際だ。大局的な判断を期待するよ」
マナリア様がロッド様に言う。
「しゃあねぇか。ホントはお前との再戦に取っておきたかったんだがな」
「あれはどう見ても対個人に使うような魔法じゃないだろ」
ロッド様とマナリア様が苦笑し合った。
その時――。
『――告げます』
脳裏に響く、怜悧な声があった。
「これは――」
「強力な魔力を感じます! 恐らく、魔王の念話です!」
フィリーネの戸惑うような声に、ヒルダが推測を口にした。
感情のない声は、続けてこう言った。
『人類の全てに告げます。我こそは魔王。人の歴史に終止符を打つ者です』
口ぶりからして、この声は恐らく全ての人類に聞こえているのだろう。
中には念話が初めてという人もいるはずだ、市中がパニックになっていなければいいが。
『私は世界を滅ぼします。ですが、あなた方に猶予を与えます』
「勝手なことを――!」
憤慨しているのはクレア様だ。
しかし、魔王の次の言葉で、彼女はさっと顔色を失った。
『クレア=フランソワを差し出しなさい。さもなければ一日に一つずつ、世界の国々を滅ぼして行きます』
ご覧下さってありがとうございます。
今回で第17章は終了となります。
最終章更新まで、またしばらくお時間を頂きます。
感想、ご評価などを頂けますと幸いです。




