223.臨時放送
「全軍、進撃せよ」
アリストの号令と共に怒号が鳴り響いた。
それは第五砦を今にも踏破せんとする魔物達の咆哮だった。
「クレアさん、レイさん!」
いったんアリストと距離を置いたザシャ将軍が私たちを呼んだ。
「加勢しますわ!」
「いえ、ここは我々に任せて、お二人は帝都へ!」
「どうしてですの、わたくしたちも戦えますわ!」
魔物の軍勢とこの前線部隊では数に差がありすぎる。
撤退戦はほとんどの場合、追撃側が有利。
このままではザシャ将軍の軍はすり潰されてしまうはずだった。
「私たちの軍はもうダメです。しかし、このままでは帝都が危ない。フィリーネ陛下に帝都の放棄を促して頂きたい」
「そんな……」
都の放棄。
その意味するところはとてつもなく重い。
「帝都は結界で守られているのでは?」
「あれは魔族専用のものです。低位の魔物には効果がありません」
襲撃してくる魔族たちの軍勢のほとんどは魔物だ。
あの数に襲われれば、物量で押し潰されてしまうだろう。
「事は一刻を争います。このままでは帝都の民数万人が魔物の群れに蹂躙されてしまう。それだけは何としても避けねばなりません」
「……くっ」
将軍の言葉にクレア様が悔しそうに唇を噛んだ。
将軍は続ける。
「テレポートが使える兵士を数人同行させます。連続でテレポートを繰り返せば、早馬よりも遙かに早く帝都につけるでしょう。あなた方ならば、途中で殺されてしまうこともない。これが最善なんです」
「でも、そうしたらあなた方は……」
クレア様の言葉に、ザシャ将軍は微笑んだ。
覚悟をしている目をしていた。
「民の命を守るのが帝国軍人の務め。他国の人間を害するばかりだった私たちに、ようやく回ってきた命を守る仕事です。やり遂げさせて下さい」
クレア様は言葉を失った。
将軍を止められないことが分かったからだろう。
「クレア様、行きましょう。ここにとどまっていては、全てが無駄になります」
私はクレア様の前に回ると、両肩に手を置いて目を見つめながら言った。
クレア様は短く、しかしこの上なく深く葛藤した後に、ザシャ将軍に言った。
「将軍、短い間でしたが、一緒に戦えて光栄でしたわ」
「私もです」
「民の命を守るため、そのかけがえのない魂を燃やし尽くした兵士たちがいたことを、わたくしは決して忘れません」
「恐縮です、革命の乙女。さあ、行って」
促され、私たちはその場を離れた。
「逃さんよ、クレア=フランソワ」
兵士たちを蹴散らしながら、アリストが後を追ってくる。
しかし――。
「おっと。ここから先は通さんぞ」
その前に、ザシャ将軍が立ちはだかった。
「敗軍の将が今更何をするというのかね?」
「確かに私たちは負けるだろう。完敗だ」
「なら大人しく道を空けたまえよ」
「だがな――」
ザシャ将軍の全身から、強烈な魔力が立ち上る。
「今日の敗北が後の勝利に繋がる。私たちは負けても、人類は負けんぞ」
「ふむ……少しは楽しめそうだ」
私が最後に見た将軍の姿。
それは人類の存亡を背負って戦う、一人の戦士の姿だった。
◆◇◆◇◆
私たちがもたらしたインフェルノ不発の報は、臨時連合軍をどよめかせた。
「やってくれるね」
マナリア様はいつものような軽口だが、その目には隠しきれない焦燥が浮かんでいる。
「……余の失策である。許せ」
普段は傲岸不遜なドロテーアも、この時ばかりは謝罪を口にした。
彼女が皇子たちにもっと気を配っていれば、この事態は未然に防ぐことも可能だった。
だが、今はそんなことを言っていても仕方がない。
「それより帝都の放棄です。そんなことが可能なんですか?」
私は思っていた疑問を口にした。
都というのは国の心臓だ。
これが地方都市なら話は別だが、国の中心をそんなに簡単に放棄することができるのだろうか。
「帝国は魔族領と接していますから、万一に備えて帝都を放棄する計画もあります。そのための避難訓練も、定期的に行ってきました」
「だが、実際に帝都を完全に放棄するとなると混乱はあろうな。この地に愛着あるものも多い。特に年寄りの中には、この地に殉じようとするものも多かろう」
フィリーネとドロテーアがそう説明する。
それはつまり、全員を救うことは無理かも知れない、ということだ。
「時間がないよ。全員を避難させることは無理でも、生きる意思のある者から逃がしていかないとねぇ」
「……受け入れ先も必要だな。業腹だが、バウアーで受け入れるしかあるまい」
「いいえ、陛下。ここからバウアーまでは距離がありすぎます。帝国内の他の都市で分散して受け入れて貰うのが最善かと」
ウィリアム陛下の言葉に、セイン陛下やドル様も続く。
「それよりもまず、帝都の民にどうやって伝えるかが問題ではなくて? 下手な言い方をすれば、パニックになりますわよ?」
クレア様の言うとおりだった。
帝都ルームは大きな都だ。
そこで暮らす民も膨大な数になる。
帝都を放棄して逃げるとなれば、民たちにある程度冷静に行動して貰うことは最低条件だ。
「……余が呼びかけよう。現皇帝はフィリーネであるが、流石にこれは荷が重かろう」
ドロテーアが珍しく殊勝なことを言い出した。
もしかすると、彼女なりにインフェルノの不発に、そして皇子の死に責任を感じているのかも知れない。
しかし――。
「いえ……。私が呼びかけます。私にやらせて下さい」
そう言ったフィリーネの顔には、決意と自信がみなぎっていた。
◆◇◆◇◆
帝都には風魔法の念話を応用した、非常時のための緊急放送網がある。
滅多なことでは使われず、使われるのは年に一度の避難訓練の時くらいだが、それが放送開始を告げる音を発した。
帝都の民たちがおや、と思う。
「親愛なる帝国国民に向けて、皇帝フィリーネ=ナーが告げます。これは訓練ではありません。繰り返します。これは訓練ではありません」
フィリーネの声には凛とした威厳があった。
ドロテーアのように他者を圧倒するようなそれではないが、姿勢を正して聞かなければと思わせるような、そんな声だった。
「現在、東方より魔物の軍勢が帝都に迫っています。帝国軍兵士がこれに応戦していますが、必ず撃退できる保証はありません」
事ここに至って、国民たちはこれがどういった種類の放送なのかを知った。
これは帝都に迫る危険を知らせる放送なのだ。
「私たち帝室は帝国国民の命を守るため、帝都の民を一時的に帝都から避難させる決定をしました」
帝都中にざわめきが広まっていく。
帝都から避難?
本当に?
これは現実なのか?
そんな声があちこちで聞こえて来る。
「避難といっても、永続的なものではありません。現在、帝国全土に分散している帝国軍を、帝都に向かって召集中です。魔物の群れを撃退次第、皆さんは帝都に戻ることが出来ます」
その言葉で、帝都の民は少しだけ安堵する。
帝都に永久に帰れなくなるわけではないのだ、と。
そうは言っても、まだまだ抵抗の方が大きい。
「繰り返します。これは帝都の永久的な放棄ではありません。ですが、我が帝国軍が十全に力を振るうためには、いったん皆さんに帝都から避難して頂くことが必要不可欠です。魔物から逃げるためではなく、魔物を撃退するために、皆さんのご協力をお願いします」
フィリーネは巧みに人心を誘導する。
私たちは魔物に襲撃されて逃げるのではない。
魔物たちを追い払うために帝国軍に協力するのだ、と。
「帝国は魔族と戦い続けてきました。これまでここまでの侵攻を許したことはありませんでした。帝都の民に負担をかけてしまうことを詫びます。ごめんなさい」
ドロテーアが皇帝だった頃にはありえなかった、皇帝の率直な謝罪――それは帝都の民の心を強く動かした。
全てを任せていれば安心だったドロテーアと違い、この皇帝には自分たちの力が必要だと思わせるものだった。
「ですが、帝国は勝ちます。帝都の民には指一本触れさせません。今は不自由を強いてしまいますが、数ヶ月後には今と変わらない生活が戻っていることを、皇帝の名において保障します」
頼もしく言い切ったフィリーネの言葉に、国民の多くが安堵した。
この皇帝は頼りないわけではない。
ドロテーアが上に君臨する皇帝なら、フィリーネは自分たち国民の中心になる皇帝だ。
「私たち帝国はこれまでずっと長い間、魔族の脅威に怯えて来ました。もう、終わりにしましょう。私たち帝室にどうか力を貸して下さい。そして、魔族を今度こそ駆逐しましょう」
臨時放送は次の一言で締めくくられた。
「帝国皇帝フィリーネ=ナーの名において、対魔族殲滅戦の開始を宣言します」
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