219.束の間の休息
使徒と少し話し込んだ後、私たちは家族水入らずの時を過ごした。
四人で湖で遊んだり、夕食を皆(クレア様を除く)で作って食べたりして、久しぶりにゆったりとした時間を堪能した。
クレア様の危惧を払拭するため、またメイとアレアたち自身のためにも、二人には力を使う時は注意するように言って聞かせることも忘れなかった。
力をみだりに使わないこと、決して友人や知人に向けないこと、その力は悪意を引き寄せやすいことなどを私なりに言葉を尽くして説明した。
メイとアレアにはまだ難しい話のはずだが、二人は真剣な面持ちで頷いていた。
彼女たちは過去に血の呪いで似たような経験をしているため、クレア様や私が何を危ぶんでいるのか分かるのかも知れない。
難しい話をした後は、二人とたっぷり遊んだ。
メイとアレアはおままごとなどよりも、身体を動かす遊びが好きなので、つきあうクレア様や私はいつもへとへとになる。
でも、こんな疲れなら大歓迎である。
少なくとも魔族を相手に戦ったり、政治外交の場で摩耗したりするよりは、確実に有意義な疲れだ。
「メイとアレア、寝ちゃいました」
「そう。今日はずいぶんはしゃいでいましたものね」
一日中遊んでいた疲れが出たのか、二人は夕飯の途中から船をこぎ始めた。
急いで歯磨きをさせ、お風呂から上がる頃にはもうほとんど夢の中だった。
最近また一段と重たくなった我が子たちを寝室まで運ぶと、二人はもうぐっすりだった。
「久しぶりに一日中クレア様と一緒でしたから、二人とも嬉しかったんですよ、きっと」
「それを言うならレイともでしょう?」
「私はどうでしょうね」
愛している自信はあるが、愛されている自信はあんまりないかもしれない。
「それはメイとアレアに失礼ですわよ? 二人ともちゃんとレイのことを慕っていますわ。お夕飯の時も目を輝かせていたでしょう?」
「まあ、ご飯は気に入って貰えてると思います」
なんだろう。
今日はやけに自虐的な気持ちになっている。
本心でこんなことを思っているつもりはないのだが。
「……ふふ、レイでもそんな風になることがありますのね」
クレア様はくすくすと笑った。
「そんな風、とは?」
「わたくしに甘えてくれているってことですわ。人間関係にしろ育児の悩みにしろ、政治や外交や魔族の戦いにしろ、わたくしがレイに甘えることの方が多かったですから、ちょっと新鮮ですわ」
いらっしゃい、とクレア様が両手を広げた。
私は少し釈然としない気持ちになりながらも、その胸に遠慮なく飛び込む。
「今までも十分、甘えてましたよ?」
「いいえ。レイは――特に帝国に来てからは、ずっと気を張り詰めていましたわ。家族を守ることを第一に、ずっとわたくしたちに弱みを見せてませんでしたもの」
「そうでしょうか? メイとアレアがさらわれたときは、かなりみっともなくうろたえた記憶がありますけど」
あの時の醜態を思い出すと、今でも訳もなく暴れ出したいような気持ちになる。
黒歴史だ。
「それはわたくしも同じでしたわよ。あんなことが起きれば当然ですわ。あの時レイから見てわたくしの方が落ち着いて見えたとすれば、それはレイが珍しく完全に取り乱していたからですわ」
「その節は大変失礼しました」
「ふふ、いいんですのよ。普段はわたくしがレイに支えて貰っていますもの。わたくしたちはきっと、お互いに相手が冷静さを失っていると、逆に冷静になるタイプの人間なんですわ」
クレア様が抱きしめてくれた。
温もりが心地よい。
私はクレア様の腕の中から、彼女にキスを送った。
「帝国に来てから、色々なことがありましたわね」
「そうですね」
「ドロテーアに謁見して、学館に入学して、フィリーネたちに会って」
「教皇様の行幸の時は大変でしたよね」
まさか身代わりをさせられるとは思ってもみなかった。
「帝国の料理事情を改善したこともありましたわね。それに舞踏会も」
「アレアがドロテーアの弟子になるとは思いもよりませんでした」
「禁忌の箱を開けるときは、メイにも手伝って貰いましたわね」
「帝国の籠絡は一旦失敗して、フィリーネなんて国外追放になりましたし」
「ヨエルやイヴ、ラナたちの件も大変でしたわね」
メイとアレアがさらわれたときは本当に目の前が真っ暗になった。
「そして首脳会談があって、フィリーネがドロテーアに引導を渡して――そして今。怒濤の数ヶ月でしたわね」
「本当にお疲れさまでした」
「レイこそ」
二人してふふっと笑い合い、またキスを交わす。
「こうしていることも、使徒の言ういちゃいちゃになるんでしょうか」
「なりますわよ、きっと。相変わらず、これがどうして魔族対策になるのかは全く分かりませんけれど」
「あれですかね。世界の滅亡を願うような存在には愛が効くとかでしょうか?」
「そんなことだったら苦労はありませんけれどね」
何にしても、いちゃいちゃしろというのなら、私たちは喜んでいちゃいちゃする。
「……魔族との戦い、切り抜けられるでしょうか」
「もちろんですわよ。これが一段落したら、バウアーに――わたくしたちの家に帰りましょう」
そのためには、数日後に控えた魔族たちの襲撃をなんとかしのがねばならない。
「クレア様。魔王が言っていたことが気になるのですが」
「例の歴史がうんぬんという発言ですの?」
「はい」
魔王とやらはドロテーアに「歴史が変わってしまうから殺さない」というような趣旨の発言をしたらしい。
それはまるで、無印とレボリリの知識を持つ私のようではないか。
「魔王も……ひょっとしたら私のような精霊の迷い子だったりしないでしょうか?」
「魔王が人間だというんですの? でも、魔王は魔族の王でしょう?」
「そこは分かりませんけれど……」
転生前に読んだ小説の中には、地球人が異世界の魔王に転生するという話はいくらでもあった。
もしこの世界の魔王がそういった転生者であったなら、魔王の言った台詞は何となく腑に落ちる。
もっとも、どうしてヤツが世界を滅ぼそうとしているのかは分からないままだが。
「……レイ、あなた震えていますの?」
クレア様が戸惑うように言う。
実際、彼女の言うとおりだった。
「私、怖いんです」
「魔王が、ですの?」
「はい。もしも魔王がこの先の歴史を見通せるのなら、それはとても大きな力です。私の予言書の知識はもう、ドロテーアを下した所で終わっています。この先は手探りでしか戦えません」
先の展開や人間関係についての予備知識がある、というのは大きなアドバンテージだった。
私のようなさして取り柄のない人間が、曲がりなりにもこの世界でやってこられたのは、原作知識に拠るところが非常に大きい。
それがこれからの戦いではほとんど通用しない。
「私が死ぬのはいいです。でも、クレア様やメイ、アレアにもしものことがあったら――」
「こら、レイ」
クレア様が私に軽くデコピンした。
我々の業界ではご褒美ですなんておどける余裕も今はない。
「メイとアレアが誘拐されて取り返しに行くとき、あなたわたくしに言いましたわよね? 必ず四人揃って帰ると」
「……はい」
「今度はわたくしがあなたに言ってあげますわ。誰一人欠けさせません。必ず四人でわたくしたちの家に帰りますわよ」
そう言うと、クレア様は大輪の薔薇のように笑った。
「敵いませんね、クレア様には」
「当たり前でしょう。わたくしを誰だと思って?」
「愛しい愛しい、私の恋人です」
「ふふ、正解ですわ」
どちらからともなく抱きしめ合い、口づけを交わす。
「使徒はこの光景も監視しているのかしら」
「されててもいいじゃないですか。見せつけてやりましょうよ」
「わたくしにそんな性癖はありませんわ!?」
「そんなこと言って、クレア様ってば人の目があるところでキスすると、普段の三倍増しでドキドキしてますよ?」
「う、嘘ですわ!」
「はい、嘘です」
「レイ!」
クレア様がぽかぽか叩いてくる。
はい、我々の業界ではご褒美です。
「クレア様」
「……なんですのよ。いい雰囲気でしたのに」
「好きです」
「……もう。ずるい人」
「クレア様は言ってくれないんですか?」
「ええ、わたくしの気持ちは好きなんて言葉じゃ足りませんもの」
そう言うと、クレア様は私を抱き寄せて、耳元に口を寄せると、
「愛していますわ、レイ」
低く囁かれたその言葉に、私は酩酊にも似た感覚を覚える。
「そろそろ休みましょうか」
「ええ」
魔族の襲撃を控えたある日の夜。
束の間の休日はこうして幕を下ろした。
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