217.ふざけた提案
「使徒に会う方法、ですか?」
会談から一夜明けた次の日、クレア様と私はトリッド先生の元を訪れていた。
目的はもちろん、使徒とコンタクトを取る方法を教えて貰うためである。
「ないこともありませんが……でも、どうして使徒に会いたいのですか?」
トリッド先生は慎重な人だ。
みだりに使徒と関わることには反対なのだろう。
彼は使徒に会いたがる理由を尋ねてきた。
「昨日の会談で魔王という存在が明らかになりましたわ。その脅威はあのドロテーアが危機感を覚えるほどのもの。わたくしたちは魔王について、もっと知らなければなりません」
「トリッド先生がご存知なら先生にうかがいたいですが、使徒ならもっとたくさんのことを知っていそうだと思ったんです」
「……なるほど」
トリッド先生は納得したように頷いた。
「私も魔王については昨日が初耳です。お二人の力になれずに申し訳ないです」
「では、やはり使徒に聞くしかありませんわね」
「そうでしょうね。ですが、個人的にはあまりお勧めはしません。使徒はどうも、人間とは別の価値観で動いているように思います」
「別の価値観、ですの?」
クレア様が説明を求めるように繰り返した。
「使徒が人間ではないというのは、本人も言っていたとおりですが、かの存在には謎が多すぎます。例えば使徒は、一人一人の人間の生き死になどどうでもいいような節があります」
そう口にしたトリッド先生の言葉には、隠しきれない棘があった。
「なにか、あったんですの?」
「……私が使徒の監視対象になったのは、娘を失ったのと同時期なのです。私は使徒に強大な力を感じました。使徒は精霊神に連なる者と名乗ったので、私は娘を生き返らせてくれるよう懇願したのです」
そのためなら何だってする、とトリッド先生は言ったらしい。
「それで、どうなったんですか?」
「どうにもなりませんでした。使徒は娘の命などどうでもいいという口ぶりでした。私には意味が分かりませんでしたが、どうせ同じ事の繰り返しだから、とも言っていましたが……」
相変わらず思わせぶりなセリフが好きだな、あの使徒は。
「それは酷い言われようですね」
私はぎょっとした。
その一言が発せられるまで、私は、そして恐らくクレア様もトリッド先生も、その存在に全く気がつくことが出来なかった。
「使徒か……!」
「やあ、トリッド=マジク。私のことをそんな風に思っていたんですね。その節は大変失礼しました。あなたがそんなに心を痛めているとは気付きませんでした。でも、一度死んだ人間を蘇らせることは禁じられているのです」
にこやかな顔で喋るのは、見知らぬ修道女だった。
どうやら使徒が利用できる相手はリリィ様に限らないらしい。
憑依しているのかそれとも別の何かなのか、その手段は全く不明だが。
それはともかく、リリィ様ならなんとか分かるが、特に鍛えているようにも見えない一介の修道女がなんの音も気配もなく現れたことは留意しておくべきだろう。
使徒は依り代の身体能力や魔法的な素養も向上させられるのだろうか?
何かそういうスキルがあるのなら、私たちにぜひ教えて欲しいところだが。
「ちょうど良かったですわ。使徒、あなたに聞きたいことがあるんですのよ」
「おや、クレア=フランソワ。何でしょう?」
「魔王という存在を、あなたはご存知でして?」
クレア様が尋ねると、使徒は笑顔のまま答えた。
「もちろん、知っています。私たちの敵です」
「その私たちというのは精霊教会のことを言っているんですの?」
「いいえ、クレア=フランソワ。この場合の私たちというのは、あなたやレイ=テイラーたち人類全体を含めています」
使徒は続ける。
「魔王こそは、あなた方人類が倒すべき敵です。そして、私たち精霊教会の敵でもあります。両者の利害は一致しています。私たちはあなた方に協力を惜しみません」
相変わらずニコニコと使徒は笑う。
……うさんくさい。
「なら、魔王についての情報を下さいな。戦うべき相手のことは知っておきませんと」
「申し訳ないのですが、私の権限では現時点でお伝えできることはありません」
「! あ、あなた、今、協力は惜しまないと言ったばかりじゃありませんの!」
「はい、申し上げました。それでも、出来ないことは出来ないんですよ、クレア=フランソワ」
クレア様が詰め寄っても、使徒はのらりくらりとはぐらかした。
「この――!」
「落ち着いて下さい、クレア様。あなたが無理なら、あなたの上役に取り次いでください」
「現状ではそれも不可能です」
「現状では、ね」
「ええ、現状では」
なら、今後取り次いで貰える可能性はあるわけか。
それがいつになるのかは分からないが。
「ただ……そうですね、一つ進言をするならば――」
「するならば?」
「クレア=フランソワとレイ=テイラーで、たくさんイチャイチャしてください」
「……は?」
私は耳を疑った。
なんて?
「ふざけるんじゃありませんわよ!」
「ふざけてなどいません。私は大真面目です。魔王との戦いにおいて、それ以上にあなた方に必要なものなどないくらいです」
クレア様は気色ばんだが、使徒はどうも本気で言っているらしい。
どういうことだろう。
「クレア様といちゃいちゃするのは、そりゃあ私は望むところですけれど、それと魔王との戦いにどんな関係があるんです?」
「そこまではまだ種明かし出来ません。ですが、二人がイチャイチャすることは、本当に魔王戦にとって大切ですよ」
「説明する気はないってことですね」
「こちらにも色々と都合があるのですよ。後は……そうですね、魔王の言うことを気にしないことです」
使徒はまた思わせぶりなことを言う。
「魔王の事情など気にせず、すっぱりきっぱり倒してしまいなさい。変に気を回せば、やられるのはあなた方ですよ?」
「そんな言い方をされると、逆に魔王さんとやらとじっくりお話ししてみたくなりますね」
「いいんですか、レイ=テイラー。そのお話は、クレア=フランソワの命が代償かも知れませんよ?」
「……私の操縦の仕方が上手ですね。さすがは世界を裏側から操っていると嘯くだけのことはあります」
「お褒めにあずかり光栄です。ですが、私たちは世界を操っているのではなく、調整しているだけです。私たちは人類の味方ですよ」
「どうだか」
使徒の言うことは嘘ではないかもしれないが、事実全てではないのだろう、と私は思った。
「いちゃいちゃって……こんな時期に出来るわけないでしょう」
「この襲撃を防げるかどうかの成否があなた方にかかっていると言ってもですか?」
「ぐっ……」
使徒はどうやら私だけでなくクレア様の操縦方法もよく分かっているらしい。
「別に難しいことじゃないでしょう。あなたたち二人は隙あらばイチャイチャしてるんですし」
「バカなこと言うんじゃありませんわよ!」
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」
三人で顔を見合わせた。
や、私は自覚あるから使徒の言うことを強く否定出来ない。
「トリッド=マジク。あなたはセイン=バウアーやドル=フランソワに交渉して、二人に時間を作りなさい」
「拒否権は……ないんでしょうね」
「拒否する必要がどこにあるんですか。人類のために貢献出来るのですよ? それはエミリー=マジクの遺志にも適うことでしょう?」
「……娘のことを分かった風に語るのはやめて貰いたい」
エミリーさんというのは、トリッド先生の亡くなった娘さんのことらしい。
「というわけで、お膳立ては私も手伝いますから、クレア=フランソワとレイ=テイラーは全力でいちゃいちゃして下さい」
人類のためにね、と使徒は言い残してその場を去った。
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