214.最強よりも強いもの
「はあっ……はあ……。ただいま戻りました、お母様」
「フィリーネ……? どうして貴様がここに……?」
息を整えてから改めて挨拶をするフィリーネに、ドロテーアは怪訝な顔をした。
そりゃあそうだろう。
彼女からすればわけの分からない展開のはずだ。
「フィリーネ様ー! お待ち下さーい!」
「姫様ー!」
フィリーネの後に続いて、どかどかと人だかりが会場に入ってくる。
その多くは軍服――正確には軍人見習いの服を着ているが、中にはそうでない者たちもいた。
「貴様は……アデリナ=ライナー、オットー=ライナー、ヒルデガルト=アイヒロートにフリーデリンデ=アイマー……?」
「陛下、ご忠言に参りました」
「……うす」
「仕方ありませんね。姫様の頼みなので」
「祖国の恨み、晴らさでおくべきか!」
ドロテーアの誰何に対し、それぞれが言葉を紡ぐ。
みんなドロテーアに対して一言言いたい者ばかりだ。
祖国を憂い、一時はクーデターを決意したアデリナさん。
そんな彼女を心配し、皇帝暗殺をもくろんだオットー。
融和外交派としてフィリーネの仲間になったヒルダ。
祖国を滅ぼされ、再起をずっと待っていたフリーダ。
「これは何の茶番だ、フィリーネ?」
「茶番ではありません、お母様。私はお母様に引導を渡しに来たのです」
死んだと偽装工作した際に切ったのか、ショートカットになったフィリーネは力強く言い切った。
その佇まいに、以前のような気弱さは微塵も感じられない。
「ふ……ふはは……ふはははは! 引導……引導だと? 貴様が……よりによって貴様が、このドロテーア=ナーに引導を渡すだと……?」
ドロテーアは火が付いたように笑い出した。
彼女にしてみれば冗談にしか聞こえないのだろう。
フィリーネが彼女に引導を渡すなどということは。
そのままひとしきり笑い転げると、
「笑える冗談だ。面白い。渡せるものなら、渡してみよ」
つまらん答えならば切って捨てる、と念を押してから、ドロテーアはひとまず引き下がった。
フィリーネは鞄から紙束のようなものを取り出しつつ、話し始めた。
「国外外遊の間、私は諸国を巡って交渉をしました」
「交渉? 何のだ?」
「反ドロテーア包囲網構築に協力を取り付ける交渉です」
「!?」
ドロテーアの顔が驚きに変わった。
アデリナさんを説得した後、私は密かにヨーゼフさんからこのことを聞いていた。
彼女が今日ここに帰ってくることも。
フィリーネは何も失意のまま各地を放浪していたわけではない。
彼女はずっと、母親に突き立てる牙を磨き続けていたのだ。
各国の有力者の元を巡り、辛抱強く説得を続け、あるいは報酬をちらつかせ、あるいは巧妙に話術を操り。
そうして地道な活動を積み上げていった。
結果、出来上がったのが――。
「ここにナー帝国周辺の六カ国における有力者との血判状があります。この血判状に連なる者たちは、もうお母様におもねることはありません。帝国が新たな国際秩序に参加しなければ、一斉に歯を剥きます」
「フィリーネ……貴様……!」
これはつまり、ドル様がブラフとしてちらつかせたことの実現である。
泣き虫だった娘は、強大な力を持つ母親の喉元に食らいつくまでになったのだ。
獅子の子もまた、やはり獅子だったということだ。
「この場で私を殺しますか? それもいいでしょう。私にはその覚悟があります」
「ほう……?」
「でも、私がどうなろうと、お母様がどう動こうと、帝国の外交的敗北は決定的です。チェックメイトです、お母様」
「……ぐっ――!」
私たちは個人としてのドロテーアには敗北した。
ドロテーアは強かった。
間違いなく、誰よりも強かった。
だが、そんな彼女もフィリーネが積み上げた人と人との繋がりには及ばない。
ドロテーアは、彼女自身が嘲った絆というものに負けたのだ。
「貴様――!」
ドロテーアが剣を振り上げた。
フィリーネは目をそらしもしない。
瞬きすらせずに、母親を見上げている。
「いいんですか、ドロテーア?」
「――! なんのことだ、レイ=テイラー?」
私の言葉に、ドロテーアがフィリーネの頭数ミリ上で剣を止めた。
「もう勝負はつきました。なら、潔く身を引くのが敗者の役目でしょう」
「余はまだ――」
「今ここでフィリーネを殺したら、祖国のために最愛の母に立ち向かい、その首を差し出して散った姫君――みたいな美談に仕立て上げられますよ」
「大義名分と印象操作の観点からすれば、殺してしまう方が傷は深いですわよねぇ」
クレア様と一緒に、ここぞとばかりに傷に塩を塗り込んでいく。
ドロテーアには散々苦労させられたのだ。
これくらいは許されて然るべきである。
実際、ここでフィリーネを殺したところで何も変わらない。
彼女は反ドロテーア包囲網形成の立て役者ではあるが、盟主ではない。
フィリーネが死んでも、ドロテーアの敗北はもう動かないのだ。
「余は……余は、負けたのか……」
「ええ、大負けです、お母様」
フィリーネの声はいっそ優しくすらあった。
「何の力も持たぬ、小娘にか……」
「そうです。小娘にです」
「……」
ドロテーアはどかりとその場に腰を下ろした。
剣を下ろし、そのまま虚空を見上げる。
その表情は、何か憑き物が落ちたかのように清々しかった。
「決着はついたようだね」
「ドル様」
「ええ、そのようですわ」
ドル様を始めとする非戦闘員が物陰から出て来た。
幸いなことに、非戦闘員のけが人はいないようだった。
「でも、兵士の犠牲が大きすぎますわ」
「そうですね……」
身を挺してドロテーアの剣から庇ってくれた兵士たち。
その命は戻っては来ない。
――と、思っていたのだが、
「何を申しておる。皆、生きておるぞ?」
「!?」
ドロテーアがぼんやりとうわごとのように言った言葉に、私は弾かれるように兵士たちの元に駆け寄った。
皆、足の健を切られ出血もあるものの、脈を確認すると確かに生きている。
「……ドロテーア?」
「どうしてですの……?」
「レイ=テイラー、クレア=フランソワ、そしてフィリーネ。そなたらは余に勝利した。勝利したからには責任を取るがいい」
ドロテーアがよく分からないことを言い出した。
責任?
「何のことを言っているんですか?」
「すぐに戦力を集めよ、魔族が大挙して押し寄せて来るぞ」
私は少し心配になった。
初めての敗北に、ドロテーアが精神を病んでしまったのではないかと思ったのだ。
だが、その心配は杞憂のようだった。
「余は正気ぞ。先ほどわざと逃がした魔族の間者がいる。ヤツは余が貴様らを皆殺しにしたと思うている」
「!?」
魔族?
どういうことだ?
「お母様、最初からちゃんと説明して下さい」
「時間がない。これは余が仕掛けた魔族との戦だ。今より、その担い手を貴様らに譲る」
ワケが分からない。
これだから自己完結型の人間は!
「いいからせめて最低限のことは説明して下さい。説明がなきゃ動けるものも動けませんよ」
「ふむ……。帝国が魔族領との最前線であることは知っているか?」
「ええ」
「余はそこで出会ったのだ」
「誰にですか?」
私の問いに、ドロテーアは顔を青ざめさせた。
あのドロテーアが、である。
「魔族どもの王――魔王を名乗る存在に」
◆◇◆◇◆
(??視点)
伝令の者が戻ってきた。
今が好機である、と。
おあつらえ向きに、今、帝国には世界の主な要人達が集まっており、ドロテーアが彼らを亡き者にしようとしているとか。
確かにチャンスだ。
またとないチャンス。
何のチャンスかって?
決まっている。
「――世界を滅ぼすチャンス、か」
ご覧下さってありがとうございます。
今回で第15章は終了です。
お楽しみ頂けましたでしょうか。
第16章の更新までまたしばらくお時間を頂きます。
気長にお待ち頂けると嬉しいです。
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