212.決裂
「帝国はあちこち戦争を吹っ掛けているね?」
ドル様は手元の資料をめくりながら言った。
立て板に水とばかりに列挙される国名は片手では足りないほどだ。
「貴様、本当に口調に遠慮がなくなったな」
「別に問題ないだろう?」
「面白い、許す。続けよ」
「ああ、そうさせて貰おう」
ドル様はいざとなれば三国と言わず、これらの国々全てに呼びかけ、大々的に軍事行動を起こすことも出来る、と嘯いた。
「左様なことが出来るとでも?」
「出来るとも。それに、今統治していると思い込んでいる場所でも、色々なところで爆発するよ。それが分からないあなたではあるまい?」
外交を絶たれ、広げ過ぎた国土を敵国に包囲される――為政者にとっては、悪夢以外の何ものでもない。
しかし、ドロテーアは眉一つ動かさずに言い返した。
「国の端がどうした。中央が無事ならそれでよい。余が健在である限り、帝国は不滅である」
これを見栄やハッタリでなく言い切れる者が、この世界に何人いるだろう。
ドロテーアは超然としているが、ドル様も負けてはいない。
「体は端から腐るものだよ。こちらの手元に帝国の食糧自給率をまとめた資料がある。軍事部門に予算を割きすぎて、徐々に低下しているね」
「今は戦時である。そういったことも必要であろう」
「そうだね。だが、この状態なら、国境部分の領地から畑を焼き払うことを続けていけば……数年で飢饉という名の地獄が出来上がる」
ドル様は酷薄な笑みを浮かべた。
涼しい顔で恐ろしいことを言っている。
「楽しかろうなあ。恨んでいる相手が飢えていくのを囲んで眺めるのは。こちらは深くまで攻め込む必要もない。程々の部分で防衛すればいいのだ。自国を背にして、潤沢な物資を揃えてな」
「そんなことか。ならばこちらも略奪で応じればいい」
「出来るかな? あなたの国は強靭だがしょせんは一国。一奪う間に反対側で五焼かれる」
「……言うではないか、ドル=フランソワ」
「名前を覚えて頂けて光栄の至りだ」
実際、ドル様が言っていることは理にかなっている。
いくら帝国が強大であろうと、周辺国全てが敵に回ったならなすすべはない。
もちろん、事はそう単純には行かないだろうが、ドル様が言ったような想定を擬似的に作り出すことは、夢物語ではない。
それにしても――。
「うーん……」
「何をそんなに悩んでますの、レイ?」
「いえ、ドロテーアって、誰かに似てるなあって思いまして。見た目とかじゃなくて、あの強引さと横暴さが」
「あんな暴君そう簡単にいてたまりますか」
いやでも、どこかで――。
「あ、分かりました。革命前のドル様ですよ」
「……。……あ」
ドル様は自らを悪者にして大義のために動き続けていた。
その彼に、ドロテーアの姿が微妙に重なった。
私の勘違いかもしれないが。
「そもそも、何故そこまでして自国による世界統一などという、非現実的なことに焦っている? 分不相応な甘さも捨てきれておらんのに」
「甘い? 余が甘いと申すか、貴様」
ドロテーアの声に危険な色が混じった。
しかし、ドル様は意に介さない。
「反逆を企てた娘を国外追放で安全圏に逃がし、その協力者の他国の友人は不問とする……。どれだけ娘に甘いのだあなたは」
確かヨーゼフさんも似たようなことを言っていた。
ドロテーアはフィリーネのことを案じている、と。
こう指摘されてみれば、ドロテーアは確かに甘いと言わざるを得ない。
「ふん、分かったような口を叩くな。腹を痛めたこともなかろうに」
「男親の悲しさだな。だが少なくとも、一つは分かる」
「ほう? それは?」
「娘を想う親の気持ちだ」
「――!」
ドロテーアの目が驚きに見開かれた。
「……クレアとレイは私の娘だ。だからこそ、あの二人に対しての温情、伏して御礼申し上げる」
「……よせ、場違いであるぞ」
ドル様の突然の謝辞に、ドロテーアは当惑している。
ドル様は続けた。
「ドロテーア。そろそろあなたの本心をうかがいたい。あなたはたった一人で何をしようとしているのだ。我々は手を取り合えるのではないか?」
「……」
ドロテーアは押し黙った。
彼女の目的に関しては謎が多い。
侵略外交にこだわる理由も、あれこれ言ってはいるが、根幹の部分は結局不明のままだ。
「ここで貴国に引導を渡すことは出来る。だが、私は娘たちの命を救ってくれたあなたをそんな目に遭わせたくはない。どうか話してもらえないだろうか?」
それはむしろ懇願に近かった。
ドル様はきっと、ドロテーアという君主を買っている。
有能な政治家として、その命を惜しんでいるのだ。
だが、ドロテーアの答えは――。
「それは侮りが過ぎるというものだ、ドル=フランソワ」
不敵な声で、ドロテーアは呼ばわった。
「この余が――ドロテーア=ナーが温情にすがるとでも思うたか。痴れ者め」
「キミさあ、強がりはよした方がいいんじゃない? もうこれはチェスで言えばチェックだよ」
ウィリアム様の言葉に、マナリア様とセイン陛下も頷いている。
しかし、ドロテーアは頑なだった。
「余を――余の国を屈服させたいのであれば力を見せよ。周辺国同盟だと? ああ、やってみるがいい。余はそのことごとくを蹴散らして見せようぞ」
ドロテーアは狂気にさえ似た表情で、そう言い切った。
どう考えてもそんなことは不可能なのだが、彼女が言うと妙に説得力を感じる。
このカリスマこそがドロテーアの真骨頂だ。
「ドロテーア、これが最後だ。外交方針を改め、新たな国際秩序の一員に加わり給え」
マナリア様がドロテーアに最後通牒を突きつけた。
対して、ドロテーアの答えは、
「くどい。余は何者にも負けぬ。余はドロテーア=ナーであるぞ」
はっきりとしたノーであった。
ドル様を始め、同盟国側に落胆の色が落ちる。
しばらく、誰も口を利かなかった。
「ふむ、決裂か。ならば――」
「!? 危ない、レイ!」
その事態を、私は全く予測していなかった。
気がつくと、マナリア様が床に膝を突いて肩から血を流していた。
「お姉様!?」
「マナリア様!!」
よく分からないが、マナリア様は私を庇って倒れた。
おそらく、その加害者は――。
「まずは一番脅威になりそうな所から切り崩す、基本であるな」
いつの間にか剣を抜いているドロテーアだ。
「どういう……つもりだ、ドロテーア――!」
みるみる血に染まっていくスーツのジャケットの肩を押さえながら、マナリア様が鋭く問うた。
「なに、簡単なことだ。この場には敵国の主要人物が揃っているでな。ここでひとまとめに始末してやろうと思っただけのことよ」
「なっ……!?」
つまりドロテーアはこう言っているのだ。
この場にいる全員を皆殺しにする、と。
「レイ、構えなさい!」
クレア様の鋭い声が響いた。
気がつくと、ドロテーアの姿が目前に迫っていた。
「やらせない!」
目で追うことも出来ないドロテーアの神速の剣撃を、マナリア様も剣で受け止めた。
「マナリア=スース。貴様の弱点は愛する者を捨てられないことだ」
「あなたのようになるくらいなら、ボクはこのままで結構だ――!」
マナリア様が深く踏み込んで剣を一閃すると、ドロテーアの身体が離れた。
「ぐっ……!」
「マナリア様!」
「レイ、すぐに手当を――!」
「無駄だ、無駄」
ドロテーアが剣を上段に構えた。
「貴様らはここで死ぬ。誰も彼も、余の糧となって消えてゆけ」
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