209.兵士のあり方
ここはナー帝国の軍事教練所に併設された寮である。
私たちはオットーの姉に面会を求め、応接室に通された。
本来であれば部外者が立ち入れるような場所ではないが、クレア様と私はとある伝手を使ってここへ立ち入る許可を得た。
下士官や兵士の卵たちが暮らす場所だけあって、造りこそしっかりしているが華美さとは無縁の簡素な建物だ。
応接室ですらこれなのだから、この寮は本当に食事と寝泊まりするだけの場所、という感じなのだろう。
「アデリナ=ライナー、入ります!」
恐らく教練所の決まりなのだろう。
オットーの姉――アデリナさんは大声でそう名乗ってから部屋に入ってきた。
アデリナさんは男性のように髪を短く刈り込んだ背の高い女性で、よく鍛えられた体つきは、なるほどオットーの姉というだけはあると思えた。
兵士の見習いに支給されているのであろう、機能性重視の茶色い軍服に身を包んでいる。
アデリナさんはまずクレア様と私に気付いたようで、目が合うなり険しい目つきをした。
「バウアーの犬!? どうしてここにいる!」
糾弾するかのような言い草は、フィリーネ追放の一件を受けてのことだろう。
それにしたってひどい言われようだが。
「ずいぶんなご挨拶ですわね。帝国の兵の質が知れるというものですわ」
「貴様!?」
まあ、クレア様は言われっぱなしでいるような人ではないので、この調子なのだが、今日の訪問の目的を考えると、ちょっと控えて貰いたい所ではある。
「そうがなり立てるものではない」
部屋の中に響いた落ち着いた声の主を見て、アデリナさんは驚いた顔をした。
「よ、ヨーゼフ様!?」
「アデリナ=ライナー、急に呼び立ててすまなかったな」
そう。
クレア様と私の他に、この場にはじいやさんがいる。
先ほど述べたとある伝手というのも彼のことである。
「どうしてヨーゼフ様が敵国の人間といらっしゃるのですか!」
アデリナさんはクレア様と私の顔を認めると、ヨーゼフさんを非難するように言った。
「今は停戦中だ。バウアーは敵国ではないぞ」
「建前は結構です。それに、その二人のせいでフィリーネ様が……」
「今日ここに来たのは、そのフィリーネ様にも関係することだ。まずは座り給え」
普段はドロテーアに振り回されてばかりいる印象のじいやさんだが、そこはやはり一国の王の側仕え。
貫禄のある話し方でアデリナさんに言い渡した。
アデリナさんはまだ不服そうな顔をしていたが、とりあえずじいやさんの言葉に従って席についてくれた。
「話というのは他でもない。お前たちが密かに計画している暴挙についてだ。私はそれを止めに来た」
じいやさんは婉曲的な表現を使ったが、それでもアデリナさんには思い当たったのだろう。
彼女の顔から血の気が引いた。
「……何のことを仰っているのか、私には分かりかねます」
それでもとぼけてみせるのは、ことが彼女一人だけではすまないからだろう。
ここで彼女が自白してしまえば、クーデターに加担した者全てに累が及ぶ。
アデリナさんはシラを切るしかないのだ。
「ならはっきり言おう。首脳会談当日に計画されているクーデターをやめたまえ」
じいやさんが今度ははっきりとクーデターという言葉を口にした。
アデリナさんの顔が蒼白になった。
宰相の立場にある人にクーデターの計画を知られている。
それはすなわち、自分達の企みが国に露見していることに等しい。
「今ならまだ間に合う。ドロテーア陛下は刃向かう者には容赦ない方だが、悔い改める者には寛容でいらっしゃる。バカな真似はやめるのだ」
「バカな真似……ですか」
アデリナさんの目が据わった。
「ではおうかがいしますが、実の娘――それも帝国の未来を案じていらっしゃったフィリーネ様を国外追放にすることは、バカな真似ではないのですか? その上、フィリーネ様はお亡くなりに……」
アデリナさんは最後まで言うことが出来なかった。
目尻に涙をためて、悔しそうに手を握りしめている。
彼女はよほどフィリーネを慕っていたのだろう。
「本来ならばいち兵士に過ぎないお前に聞かせることではないが、フィリーネ様の外遊はフィリーネ様の身を案じてのこと。陛下は陛下なりにフィリーネ様のことを案じて――」
「でも、フィリーネ様はお亡くなりになりました!」
じいやさんの言葉を遮るようにアデリナさんが叫んだ。
彼女はもうこぼれる涙を隠そうともしない。
溢れる激情のまま、じいやさんに言葉をぶつけていく。
「あの方はこんなところで亡くなっていい方ではなかった! 私たちとともに、この国の未来を作り上げて下さる方に違いなかった! それなのに……それなのに……!」
「……」
私の知るフィリーネは、基本的に内気で押しに弱く、どこかぽんこつなところのある普通の少女だが、彼女たちの中では違うらしい。
正直、フィリーネがこんなに慕われているとは思わなかった。
これも主人公補正だろうか。
じいやさんはアデリナさんに言われるままになっていたが、しばらく間を取ってから厳かに口を開いた。
「お前は兵士だろう。兵士がすべきことは国の未来を考えることではない。上からの命令は絶対――そう教わらなかったか?」
「分かっています! でも、この国はこのままでいいんですか!? この国は私たちが命を賭けるに値する国ではなくなりつつあるのではありませんか!?」
「分を弁えよ、アデリナ=ライナー」
じいやさんの声には凄みがあった。
アデリナさんだけではなく、クレア様や私までもが思わず姿勢を正してしまうほどの。
「お前たち兵士に武器が与えられているのはなぜだと思う? 国が命じたようにそれを使わせるためだ。勘違いするな」
じいやさんは冷たく言い放った。
どこか政治モードのドル様に似ている、と私は思った。
「お前たちの力はお前たちのものではない。国のものだ。お前たちを育てるのに使われた金も、全て国の金。お前たちは国のために振るう力しか許されていないのだ」
じいやさんの言うことは軍人なら嫌というほど叩き込まれていることだ。
彼はアデリナさんにそれを思い出させようとしている。
「それと……勘違いしているようだが、フィリーネ様はご存命だぞ?」
「……え?」
アデリナさんは我が耳を疑うような顔をした。
思いも掛けない言葉だったのだろう。
「お前も知っているように帝国には敵が多い。暗殺の危険を避けるために、わざと死んだことにしたのだ。フィリーネ様は生きておられるよ」
「で、でも、遺髪が……!」
「髪もそれに付着していた血液も本物だ。だがそれだけだ。死んだふりに説得力を持たせるための一芝居だよ」
事もなげにいうじいやさんに対して、アデリナさんはまだ懐疑の色が抜けていない。
「お話は分かりました。ですが、フィリーネ様が生きておられる証拠はおありですか?」
「芝居で死んだふりしているのに、そのような証拠を残してどうする」
「そ、それは……」
言いよどむアデリナさんを見て、じいやさんはこめかみを押さえた。
「アデリナ……。お前たちはなぜ、そうも思考が硬直的で拙速なのだ。もっと慎重に考えてみよ。追放されてから早すぎる暗殺に、その情報がこちらに通達されたのもまた早い。そもそも帝国の姫が暗殺されて、あのドロテーア陛下が報復に動かないわけがなかろう。少し頭の回る人間なら、これが芝居だとすぐに気づく」
じいやさんは私の方をちらりと見た。
まあ、そんなことだろうとは思ってたけど。
「それじゃあ……フィリーネ様は……」
「ああ、今も勉学に励んでおられよう」
アデリナさんが顔を手で覆って泣き出した。
よかった……よかった……と安堵の声を漏らしている。
フィリーネってば、本当に慕われてたんだなあ。
「話は分かったな? クーデターなどという愚かな真似はやめること。なに、悪いようには――」
「――いいえ」
「……?」
じいやさんの言葉を遮ったアデリナさんは、顔をハンカチで拭うと、きっぱりとこう言った。
「フィリーネ様がご存命とうかがって、私たちの心はますます固まりました。クーデターを決行し、姫様を新たな君主として迎え入れます」
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