199.交渉
私たちを出迎えたラナは、いつも見る彼女と変わらないように見えた。
明るい笑顔を浮かべ、ニコニコとしながらこちらを見ている。
彼女の背後には、縛り上げられたメイとアレアの姿もあった。
室内は申し訳程度の明かりがつけられているが、薄暗くホコリっぽかった。
天井は所どころ崩落しており、一部は曇ったそらが見える場所もあった。
ラナは部屋の奥におり、メイとアレアのすぐ前に立っている。
「メイ、アレア!」
「レイおかあさま!」
「きてくださったんですわねー」
二人とも特に怪我などはしていないようだ。
少なくとも、現時点では。
私はさりげなく二人の様子を確認した。
外出用の服に着替えた二人は、靴もちゃんと履いている。
メイはいつものポシェットを――持っている。
よし。
「待っていなさい。すぐに助けて上げますわ」
「うん!」
「はいですわー」
クレア様も若干ホッとした顔をしている。
二人の無事を確認出来ただけでも御の字だろう。
「アハ、感動の再会、と言ったところかな、センセたち?」
「ラナ……」
ラナは片手に握ったナイフを、メイとアレアに向けていた。
私が一歩前に出ようとすると、
「おっと、それ以上近づいたら、まずこっちの子の耳を削ぐよ」
「やめて!」
私はあわてて歩みを止めた。
近寄ってナイフを叩き落とす算段はこれで潰えた。
「魔法も禁止ね。使ったら容赦なく片方の子の目を潰すから」
「分かりましたから、二人に危害を加えないでちょうだい」
クレア様も同意した。
二人の安全が何より最優先だ。
「へぇ? 随分心配してるんですね? そんなにこの子達のことが大事?」
「当たり前でしょう? わたくしたちの子どもですのよ?」
「血は繋がっていないんでしょう?」
「それでもですわ」
「……へぇ」
ラナの顔から一瞬、へらへらした笑いが消えた。
視線がメイたちとクレア様の間を行き来する。
「理解できなーい。子どもなんて親の手駒みたいなものじゃないですか。こんな風に危険があると分かってて来るなんて、センセたちバカなんじゃないの?」
「なんとでも言うがいいですわ」
「……そ」
クレア様や私の気持ちは、ラナには理解出来ないようだった。
こればかりは、親になってみないと分からないかもしれない。
「まあ、どうでもいいや。さっさと仕事を済ませよっと。センセたち、この子らを助けたいよね?」
「うん」
「ええ」
私たちが頷くと、そこでラナは残忍な笑いを浮かべて、
「ならさ……レイセンセ、クレアセンセを殺してよ」
と言った。
「は?」
「聞こえなかったの? クレアセンセを殺してって言ったの。センセがクレアセンセを殺せたら、この子たちは助けて上げる。だからほら、殺して?」
「ラナ、馬鹿なこと言わないで、二人を解放して」
「何度も同じ事を言わせないで欲しいなあ……。鼻ぐらいそぎ落とさないと分からない?」
ラナは相変わらずの笑顔のまま、恐ろしいことを言った。
ナイフがメイの眼前に向けられる。
メイの顔が少し強ばった。
「ほらほら、どうするの?」
せかすように言うラナは、ナイフを見せつけるように揺らした。
二人を助けるにはクレア様を殺さなければならない。
クレア様を殺せなければ、二人は助からない。
それは究極の選択だ。
法王様暗殺未遂事件の時に頭をよぎった最悪の状況が現実になってしまった。
私の答えは――。
「お断りだよ」
「……え?」
「そんなの受け入れられないよ、ラナ」
「……!」
私の答えはノーだった。
「ふ、ふん! やっぱり恋人の命は惜しいですか! そうですよね! 親にとって子どもなんてそんなものですよね!」
「違うよ、ラナ。私たちは何があっても二人を助ける。でも、二人のためにも、私たちのどちらも犠牲になるわけにはいかないの」
「二人の安全が完全に保証されるまで、わたくしたちは一切の交渉を受け付けませんわ」
「――!」
クレア様と一緒に、私は毅然と言った。
ドル様に教わった通りに会話を進める。
会話の主導権を取り返さなければならない。
究極の選択って、どうして片方しか選べないんだろう、と私は常々思っていた。
欲張ったっていいじゃない。
両方を解決する方法を見つけるまであがき続けることの何がいけないの?
私たちの答えが不満だったのか、ラナは凶悪な表情で、
「へぇ、そう? じゃあ、この子には痛い目に遭って貰わな――」
「二人のどちらかに少しでも傷をつけたら、その瞬間にあなたは消し炭になると思いなさい」
「……ぐっ」
脅しをかけようとするラナに、クレア様がすかさず冷たい声で割り込んだ。
人質というのは、人質が安全な内だからこそ意味があるのだ。
危害を加えた瞬間、人質の意味はなくなる。
もちろん、本当にメイたちを傷つけられたら、それは私たちの敗北なのだが、ラナはそれを実行すれば命はないと逆に脅されている。
確実とは言えないが、そもそも既に私たちの守り刀がこの場にいることをラナは知らない。
元々、この交渉はラナに不利なのである。
「別にアタシ、命は惜しくないんだから! パパのためなら、アタシはいつだって――」
「パパっていうのはサーラスのこと?」
「そうよ! パパが言ったの、あなたたちを始末すれば、アタシだけを愛してくれるって!」
「……ラナ……」
ラナは笑みを浮かべていたが、それはどこか空虚だった。
喜悦に染まった視線はこちらを見ていながら、どこか虚空を見つめている。
「レイおかあさん、ラナをたすけてあげて」
「ラナはきっと、わるいびょうきにかかっているんですわ」
こんな目に遭わされて、それでもメイとアレアはラナを気遣っている。
二人は信じているのだろう。
今のラナは正気ではない、本当のラナは自分たちと遊んでくれた、楽しいお姉さんだということを。
「もちろんですわ、メイ、アレア」
「任せておいて」
「黙って!」
私たちのやりとりを、ラナが悲鳴のような声で遮った。
少し彼女の様子がおかしい。
動揺されて、メイたちを傷つけられてはたまらないので、ここは少し慎重さが求められるだろう。
「……アタシは大丈夫……パパさえいれば……パパの声に従っていればそれでいいの……」
ぶつぶつと独り言を呟くラナ。
やはり彼女も、サーラスの暗示の影響下にあるようだ。
「パパ……教えて……どうすればいいの……?」
次の瞬間、ラナの顔から表情が消えた。
その直後、平坦な声色が彼女の口から漏れ出た。
「まず、双子の内一人を殺しなさい。そうすれば、あの二人も自分たちの立場を思い知るでしょう」
それはラナの声であって、ラナの声ではない。
「うん、パパ――!」
ラナは喜びに溢れた表情になってから、ナイフを握り直すと、それをメイの首に向かって振り下ろした。
クレア様と私が弾かれるように行動を起こす。
それでも間に合わないかと思われた――その時。
「なにこれ!?」
メイの首に突き立とうとした刃は、半透明で柔らかいものに受け止められていた。
彼女のポシェットに潜んでいたレレアである。
レレアは二人の血の呪い中和役兼用心棒として、常に一緒にいるのだった。
「アブソリュートゼロ!」
「――くっ!?」
私はラナのナイフに向かって魔法を発動した。
手持ちの魔法の内、もっとも発動が早いこの魔法は、ナイフを彼女の手ごと凍り付かせた。
ナイフが使い物にならなくなり、ラナが動揺したその刹那、
「炎よ!」
「アップリフト!」
クレア様が元々壊れかけていた天井を破壊し、吹き抜けになったそこに私がメイたちの身を押し上げた。
この魔法は元となる魔法に私が改変を加えたオリジナルで、元の魔法よりも遙かに速い速度で発動が可能となっている。
「あっ……え……?」
ラナは突然の事態に全く対応出来ていない。
当惑を露わにした彼女との間合いを、クレア様が一瞬で詰める。
「大人しくなさい」
「うっ……」
凍り付いた方の手ごと、クレア様が関節を極めて組み伏せた。
「離して……! 離せ――!」
「レイ、月の涙を」
「はい。月の光よ、彼の者に蔓延る邪を払いたまえ――!」
指輪から柔らかい光が降り注ぎ、ラナを包む。
しかし――。
「離せ――! パパ、パパ……!」
ラナの様子は変わらなかった。
彼女は相変わらずクレア様の下でじたばたと暴れている。
「レイおかあさま、たぶん、そのかちゅーしゃだとおもうよ」
「ラナがおとうさんからもらったっていってましたのー」
「……! やめて!」
頭上からこちらを見ていたメイとアレアに指摘されると、ラナは一層激しく暴れ出した。
これ、魔道具なのか。
「やめて……! これは大事なものなの! パパから貰った唯一の――」
「ラナ、あなたの境遇には同情します。でも、あなたはもう、サーラスの呪縛から解き放たれるべきですわ。レイ」
「はい」
ラナを組み伏せているために両手が使えないクレア様に代わって、私はラナのカチューシャを外した。
「やめて! やめ――」
カチューシャを外した瞬間、ラナは白目を剥いて気絶してしまった。
魔道具による暗示が解けた反動だろうか。
暴れる動きも、ピタリと止まった。
「……ふう。一件落着ということでよろしいのかしら?」
「どうでしょう」
ひとまずラナの身柄は抑えたし、メイとアレアの安全も確保できた。
でも、なんだろう。
胸騒ぎがする。
あの陰険男が、こんな簡単に破れる策を弄するだろうか。
「? レイお母様、何か飛んでくるよ」
「黒くて怖い物がこっちに向かっていますわ」
「!?」
双子の声に私は背筋が寒くなるのを感じた。
「メイ、アレア、すぐにこっちに――」
飛び降りて、と私が言い終わる前に、廃屋に暗光が直撃した。
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