193.性的越境
「……レイ、一体どこに行くんだ?」
「いいから、いいから」
「黙って着いてきなさいな。悪いようにはしませんわ」
裁判から二週間ほどが経ったある日。
クレア様と私はとある知らせを受けて、ヨエルを連れてある場所を目指していた。
「まあ、二人には恩があるからな。大抵のことは聞くさ」
ヨエルが力なく苦笑した。
彼――いや、彼女が言っているのは先日の裁判のことだろう。
「恩なんてないよ。結局、ヨエルはバウアーに戻されることになっちゃったんだし」
「そうですわよ。えん罪を晴らす為とはいえ、ヨエルには申し訳ないことをしましたわ」
私だけでなく、クレア様までもが気落ちした声を出した。
クレア様は教え子を救えなかったことを悔いているようだった。
「そんなこと言わないでくれ。これでも気持ちはスッキリしているんだ。ずっとため込んでいたことだったからな」
そう言ってまた苦笑するヨエル。
「それで、どこへ行くのかそろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」
「ここ」
「ここですわ」
私たちがたどり着いたのは、精霊教会の治療院だった。
「ここで何するんだ?」
「まずは中に入ろう」
「ついていらして」
私たちはヨエルの手を引いて中に入った。
帝都ルームにあるこの治療院は、バウアーの学院に併設されていた治療院よりも広々としていた。
待合室には怪我や病気のための治療を待つ人々がおり、診察の順番を待っている。
室内は清潔に保たれているようで、掃除も行き届いているようだ。
「やあ、来たね」
「遅いわよ」
私たちを出迎えてくれたのは、ユー様とミシャだった。
二人は留学生として学館で学ぶ傍ら、この治療院に通って精霊教徒としての奉仕にも当たっている。
私は彼女たちにあることをお願いしていたのだった。
「彼女は?」
「こっちだよ」
私が問うと、ユー様が先導してくれた。
案内に従って治療院の中を歩いて行く。
ユー様が一つの部屋の前で立ち止まった。
「ユリア、入ってもいいかい?」
「……うん」
返事を待ってから、皆で中に入った。
中には面識のある子がベッドに横たわっていた。
「ユリア、具合はどうですの?」
「……だいじょうぶだよ、クレアさま」
患者はユリアだった。
クレア様と私が時々慰問に行っている修道院の子どもたちの一人だ。
私にはなかなか懐いてくれないがクレア様には心を開いており、聞くところによると入れ替わっていた時の法王様とも仲が良かったらしい。
「この子は……?」
ヨエルは戸惑っている。
事態が飲み込めないようだった。
「とある病気に罹って治療を受けることになったんだ。でも、この病気は少し特殊でね。レイから、この病気に罹った患者がいたら知らせて欲しいと頼まれていたんだ」
「病気?」
「異性病だよ」
「!」
病名を聞いて、ヨエルもピンと来たようだ。
そう。
私はヨエルのために、異性病の患者を探していたのだ。
二十一世紀の世界であれば、医者が患者の情報を漏らすことなどあってはならないが、この世界はその辺りがまだ緩い。
異性病に罹ったのが顔なじみであるユリアだったのは驚いたが。
「レイ、お前まさか……?」
「うん。ヨエル、異性病に罹ってみない?」
お忘れの方もいるだろうから説明しておこう。
異性病とはその名の通り、異性の身体に変化してしまう病気である。
その実体は一種の呪いのようなものなのだが、その辺りの詳細は割愛する。
普通の人間にとってはシャレにならない病気だが、女性の身体を得たいヨエルにとっては希望になるかもしれない、と私は思ったのだ。
「ことわっておくと、異性病になったからと言って、理想的な女性の身体になれるとは限らない。ヨエルは元々男性らしい体つきをしてるから」
ユー様のケースが問題なく落ち着いたのは、ユー様は元々フェミニンな顔立ちをしていたことと、彼女の場合は元々女性だったということが上げられる。
また、満月の日には元の性別の身体に戻ってしまうという点も気を付けなければならない。
「それでも良ければ、ユリアの異性病をヨエルにうつすよ」
「そんなことが……出来るのか?」
「うん」
「相変わらず、レイがどうしてそんな知識を持っているのかは聞いちゃダメなんだろうね?」
「そうして頂けると助かります、ユー様」
「で、どうしますの、ヨエル?」
ヨエルは考え込んでいる。
裁判の時も言っていたように、ヨエルは兵士の家の子どもである。
将来も兵士になるべく育てられ、そのように望まれてきた。
女性の兵士もいるとはいえ、女性の身体になればそれなりのハンデを背負うことは避けられない。
それでも、女性になりたいと思うか。
「……頼む。いや、お願いします、レイ先生」
ヨエルは姿勢を正すと、深々と頭を下げた。
「分かったよ。じゃあ、始めるね」
◆◇◆◇◆
結論から言うと、ヨエルの女性化は上手く行った。
「……まさかこんな美人になるなんて……」
「ほんとですわね」
「……やめろよ……」
治療院からの帰り道。
私たちは連れだってバウアー寮への帰路を急いでいた。
「ボクとはまた違ったタイプの美人だね」
「自分で自分のことを美人って言わないで下さい、ユー様」
くすくす笑うタヌキを窘めるのは、もちろんミシャである。
「ヨエル、念願の女性の身体を手に入れた気分はどう?」
「……なんか夢みたいだ。まだ信じられない」
細くなった自分の指を眺めるヨエルは、まだ実感が持てないようだ。
でも、その顔はやはり少し緩んでいる。
私はそれを眺めながら、ここが魔法や呪いなど不思議なことがある世界で良かったな、と思った。
私がいた世界の性別違和の場合、性別越境はこんなに簡単なものではなかった。
男性が女性になる場合でも、女性が男性になる場合でも、越境に成功する者はむしろまれで、多くの人が泣き寝入りするしかないのが現実だった。
第二次性徴前に治療を開始できればかなり違うのだが、そうでない場合――特に身体が元の性別として完成してしまった場合は――どれだけ本人が別の性別を望んでも、後からそれを変更することはほぼ不可能だったのだ。
性別違和を抱えていた友人である美咲が、治療を開始したのは第二次性徴の後だったため、彼女の場合は男性にしては身長や骨格が華奢で、声もあまり低くならなかった。
そのため、対人コミュニケーションに困難を抱えることになり、結果は皆さんもご存知の通りだ。
誤解されるといけないので一応断っておくが、私は別に美人でなければ性別越境したことにならないと言いたいのではない。
本来なら、美醜のいかんによらず、その人の容姿で幸せに生きていける社会が一番いい。
それは当たり前だ。
でも、容姿の美醜というのはどうしても存在するし、それは生きやすさに強く関わってくる。
美形なら何でも楽かといえばそんなことはないし、実際地球では、就職の面接などで美形の方が評価が辛くなるなどの研究結果もあった。
それでも、性別越境において、容姿が一定以上越境先の性別と親和性があることは重要なのだ。
理想論や綺麗事では、人は生きていけない。
「……異世界だからって何でも都合良くいくわけじゃないけど、今回ばかりは感謝かな」
私は亡くなった美咲も、どこかの異世界に転生しているといいな、なんてことを思った。
「レイ先生、ありがとう。この恩は一生忘れない」
「大げさだよ。私は大したことしてない。それより、ヨエルはこれから大変なんだから、頑張ってね」
「ああ。両親を説得するのは少し憂鬱だが、なんとかしてみせるさ」
浮かべている苦笑も女性化前よりも柔らかい。
ああ、身体が心の性別に適合したんだなあと思った。
「そうだ、レイ。これを預けておくよ」
「?」
ユー様が何かを差し出して来たので、私はそれを受け取った。
「これ……」
「性別越境後は色々と不測の事態が起こりやすいんだ。万一、ヨエルの身体に何かあったら、これを使って、いったん異性病を解呪するといい」
ユー様に渡されたのは月の涙だった。
「いいんですか?」
「もちろん。性別に関する苦しみは、ボクもよく知ってる。少しでも力になれたら嬉しい」
そう言ってユー様はにこやかに笑った。
「ありがとうございます。お預かりします」
バウアー寮に着く頃には、日もとっぷりと暮れていた。
夕焼けがなんだかとても綺麗に見えたのは、きっと気のせいじゃないと思った。
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