190.容疑
「俺は何もしていない」
頬に青あざをつけたヨエルは、私たちに会うなりそう言った。
ここは帝国の治安維持を司る部署の地下にある一角である。
二十一世紀の日本で言えば、留置場に当たる場所だ。
ヨエルは後ろ手に縄で両手を戒められており、牢屋の中で仏頂面をしていた。
「何もないのにどうして兵士に連行されたりするんですのよ」
クレア様が心配七割、疑問三割の表情で尋ねた。
「俺にも分からない。ただ、ずっとつきまとってくる女がいて、そいつにはめられたとしか思えない」
「痴情のもつれ?」
「違う。俺は捕まるまでそいつの名前も知らなかった。向こうが一方的に言い寄ってきたんだ」
ヨエルは心底嫌そうな表情を浮かべた。
本当だろうか。
「ちょっと上で事情を聞いてきます。クレア様はこのままヨエルから話を聞いて下さい」
「ええ、分かりましたわ」
二人を置いて、私は担当の兵士に事情を聞くため、一旦、建物の地上部分に出た。
「すみません。ヨエル=サンタナの件について話を伺いたいのですが」
受付窓口の兵士に声を掛けた。
「ご家族の方ですか?」
「違いますが、保護者のようなものです。彼は祖国で私の生徒でして」
「ああ、なるほど」
受付の兵士はヨエルの事件を担当する別の兵士の元に案内してくれた。
担当の兵士は驚くことに女性だった。
「彼はなんの容疑で捕まったんですか?」
「暴行ですよ。帝国の善良な一般市民に乱暴をはたらいたんです」
そう口にする兵士の顔には、侮蔑の色が見える。
「確認させて頂きたいのですが、被害に遭ったと主張している方は女性ですか?」
「は? 当たり前じゃないですか」
いや、普通はそうなのかもしれないけど、そうでないこともあるからね。
「証拠はあるんですか?」
「ええ。女性の身体にはいくつも殴られたあざがありましたし……きっと傷も残ります」
被害に遭ったという女性の惨状を思い出しているのか、兵士の顔が痛ましそうに歪んだ。
「被害者の方が乱暴に遭ったといのはどうやら確かのようですが、その犯人がヨエルであるという証拠はあるんですか?」
「被害者本人が確かにそう言っています。 明るい時間帯でしたし、見間違うような状況ではありません」
兵士はこう言っているが、要するに証拠らしいものは被害者の女性の証言だけなわけだ。
「その女性が嘘を言っている可能性は?」
「なんでそんな嘘をつく必要があるんですか。隠し事をしているのはヨエルの方です。彼は女性が被害に遭ったと証言した時間、どこで何をしていたかを言いません」
ふむ。
「その女性に会わせて頂くことは可能ですか?」
「冗談じゃない! 彼女は今凄く怯えていて……。第一、犯人の身内を被害者に会わせるなんて、もっての外です!」
「そうですか……」
困ったことになった。
科学が発達しておらず、司法体系も未熟なこの世界においては、犯罪捜査には証言や目撃情報が物を言う。
二十一世紀の世界に生きていた私からすればザルもいいところな捜査であっても、この世界ではそれが全てだ。
それに、実際にヨエルが罪を犯した可能性だってあるのだ。
自分の生徒だし、私はヨエルのことを信じたいが、だからといって先入観を持つわけにはいかない。
仮にヨエルが罪を犯したのであれば、私はそれをちゃんと償って欲しいと思う。
いずれにしても、まだ確証は何もない。
兵士たちはもうヨエルが犯人と決めてかかっている以上、私は彼が無実である可能性について検証したい。
ともあれ――。
「まずはクレア様と合流だね」
◆◇◆◇◆
「女性の名前はベルタさんと仰るそうですわ」
クレア様がヨエルから聞いた話をまとめるとこうなる。
ヨエルがベルタと最初に会ったのは、帝国の繁華街にある酒場だったそうだ。
ヨエルは一人で飲んでいたが、そこにベルタが声を掛けてきた。
ベルタはしきりにヨエルに絡んできたが、ヨエルは興味がなかったので無視していた。
ベルタは自分のことを、とある酒場の看板娘だと言っていたらしい。
プライドを傷つけられたのか、ベルタがあまりにもしつこく絡んでくるので、ヨエルはお代を払って酒場を出た。
その場はそれだけだった。
次に会ったのが事件の日である今日。
ヨエルは何か用事があって繁華街へ行き、ある店でベルタと再会した。
しかし、それ以上のことを、ヨエルはなぜか頑なに語ろうとしない。
どこの店に行ったのか、何をしたのか、そういったことについて一切黙秘を決め込んでいる。
これでは兵士たちがヨエルを犯人と疑うのも無理もない。
「こうなってくると、ヨエルが犯人という可能性も否定出来ませんわね」
「まあ、確かに。でも、ヨエルが乱暴をするっていうの、私はちょっと信じられないんですよね」
「わたくしだって信じたくありませんわよ。でも、盲信するつもりもありませんわ」
それは確かに。
身近な人間だからといって、ひいき目で見過ぎるわけにはいかない。
では、どうするか。
「クレア様。基本信じる方向で、全力で疑ってみましょうよ」
「なんですのその矛盾した方針は」
「だって、私はヨエルの無実を信じているんです。だからって女性が被害に遭ったのなら放っておけないじゃないですか」
「それはそうですけれど……って、あなた。また首を突っ込むつもりですの?」
「いけませんか?」
「……はあ……。その顔は止めても無駄って顔ですわね」
「むしろ巻き込む気まんまんです」
溜め息をつくクレア様は、最近、私のことをよく分かってくれていて大変結構なことである。
「それで、何をするつもりですの?」
「まずは聞き込みですかね。事件当時、ヨエルがどこで何をしていたかを確かめたいです」
「そんなの、帝国の兵士たちがとっくにやっているのではなくて?」
「もちろん兵士さんたちからも話を聞きますが、自分の目と耳で確かめたいんですよ」
「……ヨエルのこと、信じてるんですのね。意外ですわ」
「え? 私、ヨエルのこと嫌ってたりしませんよ?」
そう見えていたのなら心外である。
「違いますわよ。レイは何と言うか、無条件で女性の味方をするタイプなのかと思っていましたわ」
「あー……。そういう傾向は確かにあります。認めます。でも、だからといって男性を敵視しているわけでもないですよ?」
私は女性が好きな女性だから、どうしても女性よりに物事を考えがちだ。
けど、その偏りを自覚しているからこそ、こういうケースでは中立であれるように積極的に自戒している。
自分の中の偏見をなくすことはほぼ不可能だが、偏見を自覚して備えることは出来ると私は思う。
「男性には男性の良さがありますし、それを否定するつもりもありません。ただ、恋愛的な意味で自分が好きになる相手にはならないというだけで、それ以上でもそれ以下でもないつもりです」
「そうですのね。ちょっと安心しましたわ」
「結婚してもまだまだ発見があるなんて、私たちまだまだ倦怠期なんて無縁ですね!」
「ば、バカを仰い。ふざけてないで話を先に進めますわよ。これからするのは、手分けして聞き込みでよろしくて?」
効率を考えれば確かにそうなのだが、
「いえ、一緒に聞き込みしましょう」
「どうしてですの?」
「少しでも長く一緒にいたいじゃないですか」
「……」
「その冷たい視線も我々の業界ではご褒美ですが、冗談です。ドロテーアはああ言っていましたが、フィリーネの件で警戒しておくに越したことはないと思うので」
「ああ、なるほど」
何しろ異国の地で反政府活動に加担したのだ。
普通なら問答無用で極刑である。
ドロテーアは嘘をつくタイプではないと思うが、かといって何も警戒しないでいていいはずはない。
とはいえ、とりあえず話はまとまった。
「じゃあ、明日から聞き込みですわね」
「ええ、変則デートですね」
「違いますわよ!?」
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