179.天性
禁忌の箱についての依頼を受けてから一週間ほどたったある日。
学館から帰ると、バウアーのトリッド先生から手紙の返事が来ていた。
『大変申し訳ないのですが、あの箱のことは諦めて下さい。あれは世に出すべきものではありません。あれは恐らくこの世界の禁忌に触れるもの。私のように一生監視されたくなければ、手を出してはなりません』
手紙には端正な文字でそうしたためられていた。
「頼みのトリッド先生がこれでは、どうにもなりませんわね」
文面を読んだクレア様が渋面になる。
額に皺を寄せたクレア様も可愛いね。
「どうしますの? あの箱はあなたの知識で何とか出来るんですの?」
「開けること自体は出来ます。でも、トリッド先生の仰っている警句が気になりますね」
世界の禁忌、監視――どれも物騒な単語である。
「レイはあの箱の中身を知っているの?」
「ええ。トリッド先生が帝国時代に研究していたとある魔道具と、先生の研究をまとめたノートだったはずです」
「魔道具の効果とノートの内容は?」
「魔道具は指輪の形をした魔力の増幅装置です。完成品とは言えない出来なので不安定なのですが、使いこなすことが出来れば、装着者の魔力を大幅に引き上げることが出来ます」
「ふむふむ」
既に見当がついている方もいらっしゃると思うが、使いこなせるのは主人公であるフィリーネである。
「ノートの方は詳しくは知らないのですが、帝国で行われていた人体実験についてのデータと、それにまつわる悔恨が綴られていたはずです。レボリリではトリッド先生の名前は出ておらず、ある研究者の記録とだけ紹介されていました。でも原作通りなら、トリッド先生はその研究のために娘さんを亡くされているはずです」
「なんてこと……」
研究記録にはかなり生々しい記述があったはずだ。
非人道的な実験も少なくない。
私はあの温厚で優しいトリッド先生が、あの記録の著者であるとは夢にも思っていなかった。
「でも、世界の禁忌やら監視やらっていう単語にはちょっと心当たりがないですね。あるいは、まず箱を開封してしまってから、改めてトリッド先生に尋ねた方がいいのかもしれません」
「怒られるのは覚悟しないといけませんわね」
確かにトリッド先生は怒るかも知れないが、それでもあの先生のことだ。
開けてしまったなら仕方ない、と諦めてくれそうな気はする。
何より、禁忌や監視などという単語を使うような事柄を、先生がそのまま放置するとは思えない。
きっと説明はしてくれるだろう。
「それで、結局あの箱はどうやって開けるんですの?」
クレア様がしびれを切らした。
やはり気になっていたらしい。
「あの箱、表面に魔法石がありましたよね?」
「ええ。黒、青、赤でしたから、それぞれ土、水、火属性の魔法石ですわね」
「はい。それぞれの魔法石に、同時に対応する魔力を流すんです」
「……そんな簡単なことでしたの?」
クレア様は拍子抜けしたようだ。
「簡単じゃないですよ。単に三属性の魔力を流すだけじゃダメなんです。そんなに単純ならとっくに帝国の技術者たちが開けているでしょう。流す魔力は同じ人間からの魔力じゃないとダメなんです」
「えっ……、それはつまり……?」
「はい。少なくとも土、水、火の三属性を使えるトライキャスター以上ではないと開けられないということです」
デュアルキャスターですら珍しいこの世界では、トライキャスターやクアッドキャスターは更に少ない。
他にもいるのかも知れないが私が、知る限りではマナリア様、トリッド先生、メイの三人しかいない。
レボリリでは帝国を訪れたマナリア様に協力を求めて開けて貰うのだが、今のこの情勢下ではマナリア様が帝国に来るのは現実的ではない。
「ということは、そういうことですの?」
「はい、メイに頑張って貰います」
「よんだー?」
「メイにごようですのー?」
耳ざとく聞きつけて、メイとアレアが子ども部屋からやって来た。
「うん、ちょっとメイにお願いしたいことがあるんだけど、その前に質問させてね」
「うん」
「メイはもう魔法は使えるようになったんだよね?」
「そうだよ」
「属性はどれが使える?」
「ん? もうぜんぶつかえるよ?」
「……うちの子が天才過ぎて困る」
適性度はこれからまだ伸びるだろうが、それにしたって六歳で完全なクアッドキャスターとは。
「そっかそっか。頑張ったんだね。じゃあ、三つの魔力を同時に流すことって出来そう?」
「んー……。やったことないからわかんない」
「だよね」
複数の魔力を同時起動するのは、あまり一般的な技術ではない。
例えば私はマナリア様と戦った時に使ったウォーターメテオなどの合成魔法で慣れているが、一般の人はそもそもそんな発想すら起こらない。
「ちょっと練習してみようか。まず二つから。右手に土、左手に水……出来る?」
私はお手本を示すように、両手に魔力を流した。
特に構成は編まずに、魔力だけを循環させる。
メイは興味深そうにそれを眺めた後、自分の手をぐーぱーしながら意識を集中させた。
「……こんなかんじ?」
「わ、出来てる。天才か」
結構、難しい技術のはずなのだが、メイは容易く同時起動に成功した。
「じゃあ、その状態からもう一つ。今度は両手の間に火」
「うん、やってみる」
ここからは私には理論でしか分からない領域だ。
メイがすぐに出来なくても、出来るようになるまで何日か気長に待つつもりだったのだが――。
「あ、できたかも」
「……マジで?」
魔力を探ると、ちゃんと両手の魔力の他に、間に火の魔力も生じている。
メイはアレアに比べると、何かを覚えるのは早いほうではない。
別に遅くはないのだが普通くらいだ。
でも、こと魔法に関しては素晴らしく飲み込みが早いのかも知れない。
「うん、完璧。解除していいよ、メイ。ありがとう」
「はぁ……。つかれたー」
メイはそう言ってクレア様に抱きついた。
「メイばっかりずるいですわ! わたくしも!」
「はいはい、いらっしゃい」
「別にこっちに来てくれてもいいんだよ?」
「レイおかあさまはふかふかかんがたりませんの」
……悲しくなんてないやい。
「この分ならメイにお願いすれば大丈夫そうですわね」
「そうですね。じゃあ、ヒルダに箱開封の目処が付いたと連絡しておきます」
「お願いしますわ」
「ただ、一点心配事が」
「何ですの?」
「実は……」
私はこれから起こりうることについてクレア様に説明した。
「そんなことが起こるかも知れない場所に、メイを連れて行けませんわよ!」
「や、でも、箱を開けるにはメイの力は必要不可欠なんです」
「いいえ! 危険があるなら別の方法を考えます!」
「クレア様、気持ちは分かります。私だって本意ではありません」
「なら!」
「落ち着いて下さい、クレア様」
激昂するクレア様の両肩に手を置き、私はなだめるように続けた。
「確かに百パーセント安全とは言えません。ですが、私が何とかします。クレア様はメイの守りに徹して下さい」
「でも、レイにだって危険な目に遭って欲しくないですわ」
「大丈夫ですよ。私には原作知識があります。どういう風にすれば事態が沈静化するかはちゃんと分かっていますから」
本当は少し不安もあるのだが、それはクレア様を説得するために言わないでおいた。
「お願いです、クレア様」
「……分かりましたわ」
渋々といった様子だったが、クレア様の了承も取り付けることが出来た。
さあ、いよいよ禁忌の箱の開封である。
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