178.禁忌の箱
ヒルダの案内で私たちは帝国の魔法技術省が所有する研究所の一つにやってきた。
出入り口は警備兵が立ち、身分証明を求められる。
厳重な警戒態勢は、ここが重要な研究を行っている場所であることを示している。
中に入ると、私にはよく分からない様々な実験器具があり、それぞれに錬金術師のような格好をした研究者が何人もついていた。
研究者たちは年齢も性別もバラバラで、恐らく、ドロテーアの能力主義に基づいて集められた精鋭たちなのだろうということがうかがわれる。
彼らは私たちに気付くと一瞬だけこちらに視線を寄越してくるが、すぐに興味を失ったように自分の研究に戻っていく。
部外者に対する反応がそれでいいのかと思ったが、恐らく部外者への警戒は兵士たちの仕事で、彼らは研究に専念することが仕事なのだろう。
「こちらです」
ヒルダは研究所の奥にある一室へと私たちを招いた。
そこは八畳ほどの小さな部屋で、調度品などは何もなく、部屋の奥の台座に小さな金庫のようなものがぽつんと置かれていた。
「これが禁忌の箱と呼ばれる箱です」
物々しい名前を持つそれは五十センチ四方の立方体で、石とも金属ともつかない不思議な素材で出来ていた。
表面に三つの魔法石がはめ込んであり、それぞれ黒、青、赤色の光をぼんやりと放っている。
「トリッド=マジクの遺産と仰いましたが、その方は今バウアーにいる方でよろしくて?」
「ええ、そうです。トライキャスタートリッド=マジク。彼は王国に行く前、帝国にいたのです」
一応、確認しておこう。
トリッド=マジクはバウアーでクレア様や私が魔法を教わった、王国唯一のトライキャスターであるトリッド先生のことである。
今は学院の学院長をしているが、彼の功績は王国の魔法技術を大幅に発展させたことにある。
旧来の軍備にあぐらをかいて、魔法技術で後れを取ってしまっていたバウアーにとって、トリッド先生は大恩人である。
革命前、王国はトリッド先生に騎士称号を与えていたくらいだ。
私は禁忌の箱の存在自体はレボリリの原作知識として知っていたが、トリッド先生が帝国にいたことや、禁忌の箱が彼の手によるものという事実は知らなかった。
レボリリにおいてこのイベントは、先生の名前なしに進行していたからだ。
「これは開かないんですか?」
フィリーネが箱をしげしげと眺めている。
「はい。トリッドが姿を消して以来、研究者が色々な手段を試しましたが、開けることは出来ていません。とても頑丈な箱で、ドロテーア陛下の剣でも傷一つつきませんでした」
それはそうだろう。
原作通りなら、この箱はアダマンタイトという特別な金属で出来ている。
精霊神が鍛えたというこの金属は、魔法によってしか加工が出来ない。
物理的な衝撃に対して、とてつもない耐性を持つ金属なのだ。
「この中には、トリッドがたどり着いた魔法技術の奥義が収められていると言われています。その研究のために、何人もの人命が失われたとも」
「それで、禁忌の箱なんですのね」
クレア様は何か痛ましいような顔をした。
「この箱は長らく研究者たちを悩ませてきた難題です。これを解決して下さったら、魔法技術勢力も喜んで姫様たちに力を貸すでしょう」
「なるほど……」
「でも、いいんですの? 部外者のわたくしたちにこんな貴重なものを見せてしまって? わたくしたちが開ける方法を見いだせるかどうかも分かりませんのに」
クレア様がもっともな疑問を呈した。
「確かに少し危険な賭けではあります。ですが、私が期待しているのはあなた方自身ではありません」
「どういうことですの?」
「トリッドは今王国の人間です。そしてクレアとレイも王国の人間――それも彼とは同僚だ」
ヒルダの言っていることはつまり、
「つまり、トリッド先生から開け方を聞き出せ、ということですか?」
「理解が早くて助かります、レイ=テイラー」
自分たちで開けられないなら、箱の作成者本人に聞くのが一番早い。
とてもシンプルな話である。
「でも、トリッド先生はこの中にあるものを世に出したくなくて封印したのではなくて? そんなものの開封方法を教えて下さるとは思えませんけれど」
「そこは上手くやって下さい。私だってここまで譲歩しているのです。多少の無理は聞いて頂きますよ」
ヒルダが苦笑した。
「ねえ、ヒルダ。この箱の持ち出しは――」
「当然禁止です、姫様」
「ですよね」
「開封方法が分かったら私に知らせて下さい。私の立ち会いの下、無事開封に成功したら、魔法技術省が姫様の派閥に加わるように取り計らっておきます。私が出来るのはそこまでです」
「分かりました。十分です」
フィリーネは心を決めたらしい。
「では、取り引き成立ですね。皆さんのご健闘を祈っていますよ」
◆◇◆◇◆
「とは言うものの、こればかりはクレアとレイに頼りっきりになってしまうんですよね」
研究所からの帰り道。
辺りはもう暗くなってきていた。
メイとアレアはドル様が見てくれているが、ドル様も家事はほとんど出来ない人なので、今頃はアレアが夕飯の用意をしてくれているだろう。
もしかしたら、ドル様が二人を連れて外に食べに行っているかも知れないが。
私たちは帰路を急ぎつつ、これからのことを話し合っていた。
ヒルダとの交渉で流石に消耗したのか、フィリーネは少し疲労の色が濃い。
「それは仕方ありませんわ。ヒルダとの交渉をあれだけ頑張って下さったんですもの。今度はわたくしたちの番ですわ」
クレア様はフィリーネを手放しで褒めた。
まあ、さっきのフィリーネはかっこよくなくもない。
「そうですね。というか、フィリーネ様、見直しました。へたれ皇女じゃなかったんですね」
「へ、へたれ……!?」
「ちょっとレイ! あなた一国の姫君になんて暴言を吐いてますの!」
「おっと失礼しました」
「いえ、いいんです。実際、これまでの私はへたれもいいところでしたから」
たはは、とフィリーネが困ったように笑った。
「でも、これからはちゃんとします。ヒルダの協力を取り付けて、反政府勢力も何とか説得して、お母様も翻意させて、帝国の未来を掴み取ります」
「その意気ですわ、フィリーネ様」
「先は長いですねー」
「レイ!」
「あはは……」
だってシリアス苦手なんだもん。
「今夜にでもトリッド先生宛ての手紙をしたためて、王国に送りますわ」
「ええ、お願いします。もしトリッドさんが恩賞などを求めて来たら、私の出来る範囲で用意させます」
「トリッド先生はあんまりそういうタイプじゃない気がしますけれどね。拒否られたら、どんな報酬をちらつかせてもダメだと思いますよ?」
「だーかーらー! どうしてレイはさっきからフィリーネ様のやる気をそぐようなことばかりいいますの!」
「えー、だってクレア様がフィリーネばっかり褒めるんですもん」
「今回、あなた何もしてないでしょう」
まあ、それはそうなのだが。
「褒めて欲しかったら、あなたも何か結果を出しなさいな」
「そうですね。まあ、それは近いうちに」
そう、遠くない話になるだろう。
たとえトリッド先生が開け方を教えてくれなくても――。
私はあの箱の開け方を知っているからである。
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