175.交渉指南
「ヒルダ、今少しお時間いいかしら?」
「ああ、姫様。申し訳ございません。少々立て込んでおりまして。お話でしたらまた後ほどうかがいます」
「そ、そうですか……」
「本当に申し訳ございません。では失礼します」
足早に立ち去っていくヒルダの背中を、フィリーネは力なく見送った。
学院が休日となる日曜日。
ここは帝城の廊下の一角である。
ヒルダに接触しようと、クレア様と私は許可を貰って中に入れて貰っている。
クレア様は最初、ヒルダを口説くのに全員で掛かろうとしたのだが、フィリーネが自分がやると言い出したので任せてみた。
自主性は大事だし、融和外交勢力の中心はフィリーネなのだから、彼女が張り切るのはとてもよいことである。
しかし、結果はこの通りだ。
「うぅ……、フラれちゃいました」
「フィリーネ様は少し押しが足りませんわね。あなたは皇女、相手は一介の官僚なのですから、もっと強気に出ていいと思いますわ」
「強気……ですか」
「そうですよ、フィリーネ様。クレア様を見習って下さい。クレア様なら相手に用事があろうとなかろうと、小一時間は釘付けにしますよ」
「しませんわよ!?」
えー。
今でこそ丸くなってるけど、無印のクレア様は全く乗り気じゃないセイン陛下を捕まえて、廊下で話し込むこと結構あったよ?
まあ、通りかかった主人公に取られてキレるんだけどね。
数時間後。
お昼頃になってから、再びヒルダにアタックする。
「ヒルダ、ちょっと話を聞いて下さい」
「今でないとダメですか? 火急の案件を陛下に報告しに行く途中なのですが」
「あ……そうなのですね。分かりました。行って下さい」
「何度も申し訳ございません」
またもやヒルダにスルーされるフィリーネ。
「む、難しいです」
「頑張って下さいな。こんな最初で躓いていたら、ドロテーア陛下に翻意を迫るなんて夢のまた夢ですわよ?」
「そうですね……。全くその通りです」
しょぼんとするフィリーネ。
やれやれ。
「じゃあ、ちょっとクレア様で練習しましょうよ」
「え?」
「わたくしで?」
「模擬演習です。フィリーネ様はクレア様を引き留めて用件を切り出す。クレア様は全力で逃げる。いいですか?」
「わ、分かりました……!」
「なんか配役が釈然としませんけれど、まあ、いいですわ」
というわけで、各自配置について、よーい、スタート。
「あら、フィリーネ様。ご機嫌麗しゅう」
「ごきげんよう、クレア。今少しお時間いいかしら?」
「申し訳ございませんわ。わたくしちょっと今気分がすぐれませんの。後にして頂けますか?」
「そ、そうですか……」
「カットカット!」
全然ダメである。
「仮病を使われてるの丸わかりなのに、引いてどうするんですか」
「いえ、でも、本当に具合が悪い場合だってあるでしょう?」
「引くならそこを見極めてからです」
「難しいですよ……。じゃあ、レイ。お手本を見せて下さい」
「いいですよ」
「……イヤな予感しかしませんわ」
配役をフィリーネと交替して、テイクツー、スタート。
「あら、レイ。ごきげんよう」
「ごきげんよう、クレア様。今日もやばいくらいお美しいですね。好き!」
「あ、ありがとうございますわ。では、わたくしはこれで……」
「いやいやいや、もう少しお話ししましょうよ。夜はこれからだぜ?」
「何を言い出してるんですの、あなたは!? ……いえ、わたくしちょっと具合が悪いので」
「それはいけません!」
「きゃあ!?」
私はおもむろにクレア様をお姫様抱っこした。
「さて、つきっきりで看病しますから、私の話も聞いて下さいね?」
「中止! いったん中止ですわ!」
抱っこしたクレア様の顔に自分の顔を近づけて甘く囁いた所で、クレア様から待ったがかかった。
ちぇ、惜しい。
「あなた本来の趣旨忘れてませんこと!?」
「え? 相手を呼び止めて自分の話を聞いて貰う――完全に趣旨通りじゃないですか」
「あんなやり方、レイ以外出来ませんわよ!?」
「えー、そうですか?」
「っていうか、相手がわたくしじゃなかったら失礼過ぎますわよ!? 完全に口説きに掛かってたじゃありませんの!」
「え? ヒルダを口説くっていう話ですよね?」
「意味が違いますわ!?」
ぜー、ぜーと肩で息をするクレア様。
うん、今日も嫁がかわいいね。
「とまあ、こんな感じです。簡単でしょ?」
「……ただ目の前でいちゃつかれただけのような気もしますけど」
あるぇー?
「配役が悪いですわ。ヒルダの役をフィリーネ様、フィリーネ様の役をわたくしでやりましょう」
「ああ、いいかもしれませんね」
「分かりました」
また配役を変えてテイクスリー。
「あ、ごきげんよう、クレア」
「ごきげんよう、フィリーネ様。少しお話ししたいことがあるのですけれど、よろしくて?」
「ごめんなさい、クレア。先約があるからまたの機会にして頂ける?」
「では、そのご用件が終わるまで待たせて頂きますわ」
「え、えっと……今日中には多分、終わらないと思うの。だから日を改めて……」
「かしこまりましたわ。ではいつがよろしいでしょうか?」
「う……。こ、降参です」
「お粗末様でしたわ」
クレア様は実にスマートに会話を誘導して、約束を取り付けて見せた。
社交界の華だったクレア様にとって、これくらいの芸当は朝飯前なのだろう。
「クレアは凄いですね。魔法のようでした」
「そんな大層なものではありませんわよ。礼儀を失することなく、伝えるべきことは伝える。これにつきますわ」
「ふむふむ」
「こちらが礼を尽くしているのに相手が不義理を働くようなら、それは相手が責められてしかるべきです。フィリーネ様が最後に逃げ場を失ったのも、そういうことですわ」
「とても参考になります」
Revolution無印において主人公に辛く当たっていたクレア様だが、本来社交の場ではこういった迂遠な駆け引きがものを言う。
彼女の悪役令嬢的なムーブはむしろ、身内や近しい者に対する例外とすら言っていいかもしれない。
そういう意味では、主人公はクレア様にとって特別な存在であったとも言える。
まあ、元々平民相手には容赦なかったけどね。
「では実戦してみましょう。レイ、今度はあなたがヒルダの役をやりなさい」
「分かりました」
「フィリーネ様もよろしくて?」
「は、はい」
フィリーネは今度こそ上手く出来るだろうか。
はい、テイクフォー。
「あ、レイ。ちょっといいかしら」
「よくありません」
「えっ……?」
「失礼します」
フィリーネが動揺した隙に、私は歩み去った。
「ちょっと待ちなさい、レイ! ヒルダがそんな無礼を働くわけないでしょう!?」
「や、分からないじゃないですか。もしものケースも想定しておいた方がいいかと思いまして」
「まずはフィリーネ様に自信を持って貰わなきゃダメですわよ! 心を折ってどうしますの!」
言われて、フィリーネの方を見ると、フィリーネは半泣きになっていた。
「フィリーネ様って泣き顔がそそると思いません?」
「思いませんわよ! 真面目にやりなさい!」
結局、その日は練習に明け暮れることになった。
その甲斐あってかどうかは分からないが、
「……分かりました。それでは明日の午後、姫様の部屋で」
と、フィリーネはなんとかヒルダと約束を取り付けることに成功したのだった。
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