173.ご乱心
首を絞められながら、私は現状打開の方法を考えていた。
とっさに指を挟んだので、まだ窒息するほどではない。
だが、この体勢では不利なのは変わりがなく、困ったことに私は体術に自信がない。
(こんなことなら、クレア様に基礎訓練以外に護身術の手ほどきもして貰うんだった!)
魔法を使えばフィリーネを跳ね飛ばすことも出来るだろうが、それだけの威力を込めた魔法を放てば、ほぼ確実に彼女に怪我を負わせることになる。
どう考えても被害者は私の方だが、ここは帝国、それも帝城の中だ。
事実などいくらでも改ざんされるだろう。
「……あなたが悪いんですよ……? 私から色んなものを奪っていくから……!」
フィリーネは独り言のように呟きながら、手に一層の力を込めてくる。
血走った彼女の目を見れば、どう考えても正気ではないことが分かる。
これは、何かある。
とはいえ、それもこれもこの窮地を脱してからだ。
さてどうしたものか。
フィリーネは彼女の名誉のために描写出来ないような顔をしながら、荒い息をついている。
これは推測だが、彼女は何かの魔法か薬物の影響下にあるのではないだろうか。
「……クレアも……ヒルダも……お母様まで……! 私はずっと我慢してきたのに……!」
「フィリーネ……様……」
正気を失ってはいるだろうが、口にしている恨み言には本音も滲んでいるように思えた。
舞踏会の時にヒルダにも話したとおり、私はフィリーネのヘイトを稼ぎすぎている。
いくら魔法か薬の影響があったとしても、全く恨まれていなければこうはなるまい。
「返して……! 返してよぉ……!」
フィリーネの呼吸がいよいよ激しくなり、首にかけられた手に込められる力も強くなる。
痛い痛い
指が折れる。
「返し……て……!」
フィリーネがあえぐように口をぱくぱくさせた。
苦しげに顔を歪めている。
おや、これは……。
「何を……したの……!」
いや、私は何もしていない。
これは多分、ただの生理反応だ。
フィリーネは元々神経が細い。
内気な彼女にとってこんな行動は極度の不安や緊張を伴うはずだ。
そのせいで呼吸が激しくなり、血液中の二酸化炭素濃度が低下し、呼吸を司る神経が呼吸を抑制する。
すると、本人は呼吸することで呼吸が抑制されるという悪循環が生まれる。
過換気症候群――いわゆる過呼吸である。
「なん……で……どうし……て……」
徐々に手の力が抜け、そのままフィリーネは気絶してしまった。
「はあ……はあ……、やっぱり、フィリーネってどっか詰めが甘いというか、残念というか……」
とりあえず息を整えながら、どうしたものかと考えた。
人を呼ぶべきだろうか。
いやでも、何と言って説明する?
皇女殿下に首を絞められましたって?
誰も信じないでしょ。
仕方ないので、フィリーネをベッドに寝かせて介抱することにした。
変な薬の影響が心配されたので、まずは解毒をかける。
胸をぽんぽんとゆっくり叩いて、落ち着かせるように撫でる。
過呼吸は呼吸を遅くすれば自然と治まるので、気絶している今の状態がそのまま治療になる。
ほどなく、フィリーネは目を覚ました。
「目が覚めましたか、フィリーネ様」
「……私……は……?」
「ちょっとヤンデレが過ぎましたね。それじゃあフリーダですよ」
「……!」
はっと目を見開いて、私から距離を取ろうとするフィリーネ。
「私……」
「大丈夫です、落ち着いて下さい。フィリーネ様は正気を失っていたんです」
「でも……でも……!」
「大丈夫ですから」
私は出来るだけ彼女を刺激しないようにゆっくりと近寄ると、柔らかくその身体を抱きしめた。
最初はこわばっていた身体から、徐々に力が抜けていく。
「嫌い……嫌いです……。レイなんて嫌い……。クレア様もヒルダもお母様もみんな嫌い……」
「……はい」
なんか決壊してしまったようで、腕の中で泣きじゃくるフィリーネ。
えええ、どうしようこれ。
「でも、本当に嫌いなのは――」
フィリーネが何事か言おうとしたその時、
「フィリーネ様!?」
「レイ!?」
部屋の扉が開いて、人影が飛び込んできた。
ヒルダとクレア様である。
クレア様は差し詰め、帰りが遅い私を心配したとかそんなところだろう。
ヒルダは後でお話があります。
覚悟しておくように。
二人の視線が私たちに注がれる。
より具体的には、私の首に。
「フィリーネ様、あ、あなたまさか」
あれだけの力で締められたのだ。
おそらく私の首にはフィリーネの手形がくっきり残っているに違いない。
ここは誤魔化さないと。
「そのまさかですクレア様」
「そんな……。フィリーネ様が、そんな……」
クレア様が呆然と言う。
「はい、フィリーネ様にお願いして、首絞めプレイの練習をしてたんです!」
「ふえ?」
私の言葉に、フィリーネが鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
騒ぎを聞きつけたのか、人がどんどん増えていく。
「で、フィリーネ様に首締めて貰ったんですけど、途中で耐えられなくなって泣き出しちゃいました」
「ふええ!?」
いいから、ここは合わせて下さい、とフィリーネに耳打ちする。
「レイ、なんでそんなことを!?」
「クレア様にして頂く前に練習しておかないと!! あっさり気絶したらクレア様に失礼でしょう!?」
「「「クレア様に、そんな性癖が!?」」」
「ありませんわ!? というかフィリーネ様!!」
「は、はい!」
クレア様の鋭い口調に、フィリーネが姿勢を正す。
「なんでもかんでも引き受けるんじゃありませんわよ! 人が良すぎですわ!!」
「う、うえ……うえええん!」
「泣くほど嫌がらせて!! レイ、正座しなさい!」
「はい」
「誰が座って良いと言ったの!!」
「いま正座って――」
「座らずに正座しなさい」
「無茶言わないで下さいよ!?」
クレア様と私が漫才でうやむやにしていると、
「レイ=テイラー、一国の王女を性癖の練習相手にしないで頂きたい」
爺やさんことヨーゼフさんが溜め息をつきながら言った。
「ほれ、みなも解散せい。此度のことは他言無用ぞ」
パンパンと手を叩いて人を散らすと、爺やさん自身も部屋を出て行く。
でも、去り際に、
「ここは借りておきますぞ、レイ=テイラー」
と私にだけ聞こえる声で言った。
あ、バレてるわ、これ。
「で、あんな感じで良かったんですの?」
「はい、ばっちりです。ありがとうございました」
クレア様、フィリーネ、私だけが残った部屋で、クレア様がそう切り出した。
さすがクレア様。
お芝居だって気付いてたのに、合わせてくれてたらしい。
「……なんで庇ったんですか……。首を絞められたんですよ?」
「まあ、二回目なので慣れてましたし」
「え、本当に首絞めプレイの経験が?」
「しませんわよ!?」
「残念ですが、クレア様じゃあありません」
ちなみに一回目はサンドリーヌさんである。
「同情なんて……いりません」
フィリーネが自暴自棄っぽい口調で言う。
まったくもう。
「そっちはそうでも、こっちは同情するくらいにはあなたのこと気に入ってるんですよ。いなくなられては、その……困ります」
「意味が分かりません。レイと仲良くした覚えなんてありません。むしろ、クレアを巡って対立してたじゃないですか」
理解出来ない、といった様子のフィリーネ。
「そっちにはなくてもこっちにはあるんですよ。私はあなたを見ていたんです。私がクレア様と出会えたのは、ある意味であなたのお陰、なのかもしれませんし」
レボリリをプレイしたときのことを思い出す。
私が初めてクレア様と出会ったのは、レイ=テイラーとしてではなく、フィリーネとしてだった。
「何かの歯車が狂っていたら、あなたは私だったのかもしれないんです。それに」
「……それに?」
「あなたも私の推しなんです。クレア様には敵いませんけどね」
内気で小心者で、本当の意味で普通の女の子だけど、成長すれば一国の制度を覆してしまうような、強い女性。
私はフィリーネが好きだ。
「私たち、仲良くなれると思うんです」
クレア様とフィリーネのような関係は無理かも知れないが、それとは別のライバルのような関係に。
「たった今、あんなことがあったのに?」
「取るに足らないことです。大体、私たちはすでに同志ではないですか」
「なんのことですか?」
いや、同志でしょう。
だって、
「私たち、どちらもクレア様推しじゃないですか」
「確かに!」
フィリーネと私はがっちりと握手を交わした。
「……貴女はオチを付けないと気がすみませんの」
クレア様は頭を抱えていたけれどもね。
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